新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

デフレと失われた20年

金融政策に対する無知が招いた悲劇 ~「デフレと失われた20年」編最終回~

今回で今年8月29日から書き綴ってきた「デフレと失われた20年」編の最終回とします。野田佳彦・民主党政権の倒閣以後のことは次の「アベノミクスとリフレ政策 」編へとつなぎます。 「デフレと失われた20年」編は40回にも及ぶ大河ドラマとなってしまったので…

第2次安倍政権発足前より高まるリフレーション政策への期待

「デフレと失われた20年」編はかなり長いシリーズとなりました。日銀や橋本龍太郎政権から麻生太郎政権までの自民・公明政権および民主党政権による20年間もの金融無策によってこの国は流動性の罠に陥るほどのひどいデフレ経済に陥っていました。企業の投資…

民主政権末期におきた生活保護バッシングと重税無福祉国家への道

2007年あたりからの深刻な不況と失業急増に見舞われ、大きな批判を受けた自民・公明政権に代わり2009年に登場した民主党政権はわずかな期間のうちに鳩山・菅・野田と3度も総理が交代し、レームダック化しました。民主党は政治主導・脱官僚政治・ムダのない行…

震災後も続く白川方明日銀総裁の極右的金融政策と疲弊する日本経済

このブログで既に白川方明日銀総裁の極度な金融引き締め政策について何度か批判してきました。 「日本国民を奈落の底へ突き落した金融極右・白川方明日銀総裁と与謝野馨 」 「政府貨幣と金融緩和を実行しなかった麻生政権の失策 」 「日本の経済的地位低下が…

10年に一度の大物(ワル):勝栄二郎財務次官の操り人形となった野田佳彦政権

尖閣漁船衝突事件や突然の消費税引き上げ発言に加え、東日本大震災のデタラメな対応ぶりで悪評の限りを尽くした菅直人政権は2011年9月にやっと退陣しました。そのあと民主党新代表となり政権を引き継いだのは野田佳彦になります。野田は総理の職に就く前に…

震災復興費は誰のものか~被災者への直接給付/支援こそが復興の早道~

前回につづき東日本大震災の復旧・復興についてです。震災のドサクサに紛れるかのごとく、官僚色の強い自民党総裁・谷垣禎一氏らがレームダック化した民主党・菅直人政権を丸め込むような形で、増税工作や土木系を中心とする大規模な公共事業の押し込みを計…

平成の辻正信・菅直人政権のデタラメな東日本大震災への対応とショックドクトリンの発生

2回特別記事を挟みましたが「デフレと失われた20年」編 「日本の経済的地位低下が遠因した尖閣諸島問題 」からの続きです。 政権発足直後からマニュフェスト破りの消費税率引き上げ発言や尖閣漁船衝突事件等などで次々とトラブルを引き起こし、国民の不信や…

日本の経済的地位低下が遠因した尖閣諸島問題

菅直人という人間は民主党がまだ野党時代だったときは市民派政治家として自民党政権や官僚に対し非常に勇ましく、闘争心を剥き出しにして吠え立て噛みつきまくっていました。その子分が長妻昭でやはり同じく自ら「官僚に最も嫌われている政治家」を標榜して…

菅直人を調教した財務官僚による「完全なる飼育」と消費税10%引き上げ

自民党から政権を奪い、政権発足当初は70%の支持率も得ていた民主党・鳩山由紀夫政権ですが、普天間基地移設問題等に対する八方美人的で優柔不断な態度が国民だけではなく、アメリカのオバマ大統領(当時)からの不信も抱かせることになってしまいました。…

ミイラ盗りがミイラになった話 ~官僚に丸め込まれた民主党~

反官僚・脱官僚を旗印に掲げ2009年の衆議院選挙で自民党から政権を奪った民主党ですが、政権発足間もない頃からどんどん官僚に取り込まれ操り人形のようになっていきます。前回書いた子ども手当は各省庁の官僚にとって利権という座布団がまったくない支出で…

民主党の子ども手当はなぜ潰れたのか

民主党政権時代の話・第2回目は政権交代のときの目玉公約のひとつだった子ども手当についてです。 後で述べますように子ども手当は財源確保や制度設計の甘さの問題があったものの、子どもを持つ世帯に所得を問わず無条件で給付金を支給するという考えそのも…

無計画かつ論理性のない総花的な民主党政権のマニフェスト

2009年9月に国民生活をあまり顧みなかった経済政策などへの不満が爆発する形で1996年より続いた自民党政権が崩壊し、中道左派である民主党政権が発足しました。この当時の様子はまるで有権者がバットで自民党政治家の頭を殴りつけ殺すような勢いだったのを憶…

2007~2009年の深刻な不況を招いた自民党政治と90年代型日本的経営

2009年9月に自民党の麻生太郎政権は衆議院解散総選挙で大敗し、民主党に政権を奪われ退陣に追い込まれました。麻生政権が倒閣した理由はなんでもない2007年~2009年にかけて起きた深刻な不況に対する国民の不満が爆発したからでした。 この不況の元凶はサブ…

政府貨幣と金融緩和を実行しなかった麻生政権の失策

前回はリーマンショック前後に行なった麻生政権の財政出動が75兆円もの規模ながら、単発的かつピント外れなものでしかなかったことを指摘しました。 これは財政出動・金融緩和の両方にいえることですが、デフレ(ひどいのは恐慌)を脱するまで、政府が責任を…

深刻化した不況と不発に終わった麻生政権のバラマキ財政出動政策

2008年から2009年にかけて輸出に依存する日本の自動車・電機メーカーがアメリカのサブプライムローンショックによる金融危機と世界同時不況によって深刻な業績不振に陥り、そのしわ寄せが部品を納品していたサプライヤーや派遣労働者にいきました。そのため…

日本国民を奈落の底へ突き落した金融極右・白川方明日銀総裁と与謝野馨

前回は小泉内閣末期から崩れはじめた自民党政治と経済再悪化について書きました。2006年に量的緩和政策を解除してからデフレが再発し、資金繰りが厳しい中小企業を中心に倒産・廃業が目立ちかけます。当然賃上げや正規雇用の拡大も止まり、派遣労働者をはじ…

自民政治の綻びと進む日本経済状況の悪化 ~第1次安倍・福田内閣時代~

2001年4月より5年半に渡って政権を担っていた小泉純一郎氏は前々から宣言していたとおり、自民党総裁の任期が終わる2006年9月に総理を辞任しました。小泉政権は発足当時より国民からの支持や期待が非常に強く、1996年から2009年までの間における自民党政権の…

デフレ再発とセーフティネット整備の中途半端さが深めた小泉純一郎・竹中平蔵批判

前回は2006年3月に日銀が量的金融緩和を拙速に解除してしまったことが、デフレの再発を招いたことを書きました。小泉純一郎総理や竹中平蔵総務大臣らは解除に反対していましたが、与謝野馨経済財政担当大臣らに圧される形で解除されてしまったのです。当時の…

拙速な量的金融緩和の解除と景気・雇用の再悪化

2001年3月からはじまった世界初の量的金融緩和ですが、2006年3月9日の金融政策決定会合において、消費者物価指数が前年比上昇率が4ヶ月連続して0%以上になったとして解除しました。 しかし当時の総理大臣であった小泉純一郎氏をはじめ、竹中平蔵総務大臣、中…

2001年からの量的金融緩和政策の効果は?

前回に続き2001年3月からはじまった量的金融緩和政策についてです。今回はこの政策がデフレスパイラル阻止にどの程度貢献できたのかについて検証していきます。 量的緩和政策の肝は物価下落を食い止め、名目金利の引き下げにも関わらず実質金利が高止まりし…

中原伸之審議委員が実現した量的金融緩和政策

1990年代末期に日本経済は金融緩和も財政出動も効力を失ってしまうという流動性の罠に陥りました。 1997年以降物価がどんどん下落していきますが、それが転がりはじめた岩石のように勢いが止まらず、金融緩和や財政出動が無効になってしまいます。(物価岩石…

極めてアンビバレントな存在 小泉純一郎氏と竹中平蔵氏

「失われた20年」史ですが、いよいよ2000年代に突入です。小泉純一郎政権時代の経済政策評価に入ります。 その前に断り事をいくつか書かねばなりません。それは小泉氏やそれを支えた竹中平蔵氏を評価する場合経済政策の議論と政治イデオロギーの議論をきちん…

通常の金融緩和を無効にしてしまう悪質デフレをつくった1990年代の日銀金融無策

1990年代末期に日本は金融緩和で金利をゼロにまで引き下げても、企業の投資が活発化しないという流動性の罠に陥ったことを前回まで3回に渡り述べました。 このような事態を招いたのは1997年に行った消費税5%引き上げや社会保障予算を含めた歳出切り詰めによ…

連続的な物価と賃金下落が招いた流動性の罠 その3

流動性の罠についての3回目の記事です。1回目と2回目は多くの経済学者が行っている流動性の罠についての解説を掻い摘んでみましたが、今回は1990年代の物価の動きや雇用状況を鑑みながら、それが発生した原因を探ってみたいと思います。 いままで徐々に上が…

お金が貯蓄として死蔵されてしまう流動性の罠 その2

「通常の金融緩和が効かなくなる流動性の罠 その1 IS-LMモデルについて」の続編です。2回目の記事です。 前回は不景気でどんどん金利が下がってゼロ付近で底打ちし、金利を下げたりマネーの供給量(MS)を単純に増やそうとするだけの通常の金融緩和が失効し…

通常の金融緩和が効かなくなる流動性の罠 その1 IS-LMモデルについて

三重野日銀総裁が引き起こしたバブル崩壊は橋本龍太郎政権の増税緊縮財政がもとでさらに深刻しました。橋本政権の後継内閣である小渕恵三政権とその財務相であった宮澤喜一はその手当のために思い切った財政出動を行い、景気悪化の進行を食い止めたのですが…

1990年代から負債が膨らみ続ける国家財政 ~小渕政権と宮澤喜一財相のオールドケインジアン的経済政策~

~今回から通常記事再開です~ 現在の経済・政治情勢やベーシックインカム・給付付き税控除等については下記ブログで記事を書きます。 「にゃんまるらぼ ミキスト」 経済・政治 ~以下本文~ 下の記事で橋本龍太郎政権が消費税5%引き上げと歳出削減による緊…

ポストバブル経済モデルの構築失敗と日本病の始点となった1990年代

また自分の想い出話となりますが、大学時代にある講師の先生と親しくなり、講義が終わった晩にいつも食事を共にさせていただいておりました。そのときはちょうどバブル経済が崩壊したばかりの頃だったのですが、これからの日本経済や社会の動きはどうなるの…

デフレと清貧志向が破壊した日本のものづくり

1990年代の世相を振り返る話の3回目になりますが、今回は自動車産業を中心にデフレの問題について話をします。バブル期から一転して日本人が豊かさを追い求める心を忘れ、ものづくり文化が貧しいものになってしまったことです。終戦後の復興から高度成長期を…

労働者にバブルの尻ぬぐいを押し付けた御都合主義の日経連提言(1995年「新時代の日本経営」)

マクロ経済の話から少し離れて1990年代の世相を振り返っています。バブルが崩壊したのは1992年前後あたりですが、その後日本の社会をどんどん暗く沈滞化させてしまうことを決定づけたのは1995年~1997年あたりだと自分は思っています。1997年は消費税が5%に…