新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

第一のMMT騒動は収束するかも知れないが

 

自分はYahoo!ブログ時代からMMT(現代貨幣理論)についての批判を繰り返してきました。この理論は金利と民間企業の投資および雇用の関係や生産・供給側(サプライサイド)を軽視し、財政政策に偏重し過ぎる欠陥があるという問題を抱えています。一応MMTerは「目標のインフレ値になったら財政拡大をやめればいい」という話をしていますが、財政拡大を続けても民間企業の投資や一般家計の消費が伸びず、財政赤字だけが膨れ上がってしまうとか、金融政策を活用すれば比較的小さな財政赤字でも同様の政策効果が得られるはずなのに、それを軽視して余分な財政赤字をつくってしまう可能性があります。MMTerにとっては財政赤字を出すのは当然のことであり、その分国民の資産が殖えるからいいということなのでしょうが。

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上 ポール・クルーグマン教授によるMMT論客のひとりであるステファニー・ケルトン教授への批判記事とそこで用いたグラフ

 

日本においても新聞などでMMTが取り上げられ、多くの経済学者を巻き込んで論争が繰り広げられました。安倍政権が緊縮気味の財政で、10月からの消費税増税を黙認したことから、その反旗としてMMTを援用しようとする反緊縮運動家が多く現れます。

 

ところが先日9月10日に本家MMT論客のステファニー・ケルトン教授のフェイスブックに日本側のMMT支持者の一部である自民党西田昌司議員や安藤裕議員、そして自称保守の経済評論家・三橋貴明氏らともう接触しないという声明が出されてしまいました。どうもあちらのMMT支援組織がケルトン氏に対し、三橋氏や西田氏、安藤氏を極右ファシストだから関わるなと言ってきたようですね。日本側の左派色が強い松尾匡教授らの薔薇マークキャンペーンには今後も関わりを続けていくようです。

 

もともとMMTは日米問わず社会主義色が強いと批判されてきましたが、本家アメリカのMMTerは日本以上に政治イデオロギー色が強く、排斥主義が強いことが伺われます。

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Statement on Kelton Visit to Japan | Facebook

 

まあどっちにしても今回の一件で、MMTブームは一気に冷や水を浴びせられた格好になるでしょう。日本側のMMTに被れた経済クラスタの困惑ぶりはいい見世物です。

 

このアホくさいMMTブームが収束してくれることは、私にとって嬉しいことでありますが、私は今後日本の政治家や政党が採る経済政策が知らずのうちにMMTっぽいものに傾倒していく可能性があると思って警戒しています。というか今回の騒ぎで日本人の9割が国家社会主義的な経済政策を望んでいるのではないかと思えてきました。

 

ネットなどで様々な経済クラスタが述べている発言を読むと、「お上が財政政策でお金をばら撒くことで景気回復が実現する」という感覚がかなり根深く染み込んでいることに気づかされます。一方財政バラ撒きに反対し、財政規律を訴えるグループもまた「国が財政規律を守ることで貨幣価値などの経済秩序が維持される」と考えているようです。こうした発想は一見MMTとは逆の主張に見えますが、実はお上の財政(状況)が民間経済活動を統治するという国家社会主義的なものです。

こうした財政主導型経済政策観ではない人でも、規制緩和構造改革主義に偏重しており、金利と民間企業の投資(雇用も投資に含まれる)の関係を理解できていない場合が多いです。

 

私は過去のブログ記事で散々訴えてきたことですが、日本は金融政策に対して著しく冷淡です。金融政策というと株取引や為替取引などの財テクを思い浮かべる人がものすごく多いのですが違います。金融政策は金利を調整して不景気のときに民間企業の活動を活発にさせたり、逆に景気過熱気味のときに抑制させたりしますMMTに嵌った人や「異次元緩和でハイパーインフレガー」と騒ぐ人たちはこれがまったく理解できていません。

 

金融政策の意味は自ら資金をかき集めて、機械や道具を買ったり、人を雇って、モノやサービスを生産する民間企業の経営者の立場にたたないと理解しにくいことです。MMTみたいなものがブームになってしまったり、あるいは金融緩和無効論や有害論を言い出すような政治家やエコノミストが数多く出てきてしまうのは、日本人が資本主義社会や自由主義経済が何たるかをわかっていないからです。だから国家社会主義的な発想にすぐ飛びつくのです。

 

今後日本の経済が再び低迷しはじめたときに出てくる声は「もっと財政をばら撒け」か少数の「規制緩和をー」のどちらかでしょう。多くの政治家たちが採る経済政策は財政ばら撒きか規制緩和構造改革≒行革になってしまうと思います。

クルーグマン教授がケルトン教授に対して批判したように、日本の経済政策は金融政策を軽視して、本来必要のない財政赤字をどんどん膨らませていくような流れになっていくかも知れません。金融機関系エコノミストの口をつかって金融政策を妨害してきた財務省や日銀関係者らは実のところMMTと親和性が意外と高かったりします。

 

野口旭教授のコラム記事

引用

”翁の上掲『金融政策』を今読み直してみると、MMTの生みの親であるウォーレン・モズラーのSoft Currency Economics IIと視角があまりにも似ていることに驚かされる(特にその第Ⅰ部「金融調節」)。違いがあるのは、当然だがモズラーの本が主に米FRBを念頭に置いている点と、日銀の資金需給実績でいう「財政等要因」にもっぱら焦点が当てられている点である。要するに、真正手形主義、ポスト・ケインジアンの内生的貨幣供給論、日銀理論、そしてMMTは、その思考回路においてまったく地続きなのである。”

 

日本の財務省や日銀とその顔色を伺う政治家・政党はMMTに反発していますが、知らず知らずのうちにやっている行動や言動がMMTに近づいていくのではないかと私は想像しています。上の野口旭先生のコラムは少々ハードな内容なので、かなり経済学に精通していないと理解しにくいかも知れませんが、こちらでもう少し噛み砕いて説明できたらいいなと考えています。