新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

国債を財源に遣っていいのはどういうときか?

先日の台風19号でインフラの防災強化をする必要性が再認識されたのですが、その財源は国債が最も適しています。なぜならば堤防や道路・鉄道などの建造物は耐用年数が数十年以上であり、この間に幅広い世代が便益を受け続けられるからです。こうしたインフラ整備には巨額の費用がかかりますが、それを一度に納税者に被せると大きな税負担となります。ですのでその税負担を広く・薄く分散できるように長期の建設国債で公共事業の財源を賄うのです。

 

東日本大震災のときも32兆円の復旧・復興費がかかっていますが、その財源も復興税ではなく、長期の建設国債で調達すれば国民負担が軽く、震災後の景気悪化を招くようなことを回避できたのです。東北沖でこれだけの巨大地震が起きる周期は数百年おきですので、50年とか100年の国債を発行して税負担を長期間に分散すべきでした。

 

落語の演目で大岡越前(忠助)が登場する「五貫裁き」という話があります。これは八五郎という男が八百屋をはじめようと出資金を募るべく、徳力屋という質屋に出向いたところ、喧嘩となってしまい、徳力屋に一文を投げつけてしまいました。八五郎が大家に勧められ、奉行所に訴え出るのですが、裁きの担当となった大岡越前はお金を粗末にしたということで八五郎に「徳力屋に五貫(5000文)の罰金を支払え」という裁きを下しました。しかしその5000文は一度にではなく、一日一文づつ支払えというものです。それから八五郎は毎日早朝や夜更けに寝ている徳力屋を起こして一文づつ支払いを続けたのですが、徳力屋が根負けしてしまうという話です。

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「災害復興費を国債で」というのもそれにことです。支払いや負債の償還を粉々に分散して、1年ごとの支払いや返済負担を小さく薄めてしまえばいいということです。

(TV版の「大岡越前」で加藤剛さんが割れた茶碗をさらに粉々に砕くシーンがありました)

 

あと国債で財源を賄う方法が適している事業といえば教育や科学振興です。わたしたち国民の教育水準が上がれば、それは将来高付加価値のモノやサービスの生産を担う質の高い労働力を殖やしていくことになります。教育は個人にとってかなりの巨額投資となりますが、それを政府が立て替えて行い、その教育サービスを受けた個人は出世払いで税を還せばいいのです。

あと基礎科学研究の分野にも国債を財源に補助金をしっかり与えていくことも、長い目でみたときによき国家的投資となります。基礎科学は巨額の研究費を要しますが、将来の実益につながるものは千に三つと云われ、さらに成果を得られるまで何十年という懐妊期間を要します。民間にとってそれは極めて冒険的すぎるギャンブルです。しかし千のうちの三つしか成功しなくても、その三つが産み出す利益は他の997の失敗や損失を超えるものであったりします。小泉純一郎氏は「民でできることは民に、民でできないことは官が担う」という考えでしたが、基礎科学研究については産・学・官共同で進めていってもいいでしょう。

 

このブログのかなり初期記事で無からお金が産まれる「信用創造」とは何かという説明をしました。

ほとんどの人が知らないお金が生まれる仕組み (2019/6/26改訂)

われわれが手にしているお金というものは元々負債の手形や証文みたいなかたちで原始から古代の時代に生みだされています。「いまは手許に渡すモノがないけれども、後で必ず渡す・返す」という約束手形が貨幣となっていったのです。

信用創造とは銀行などが新しいモノやサービスの生産を志す実業家に投資のための資金を融資し、実業家が新たなモノやサービスといった財を創って、それによって得た利益からを銀行などに負債償還していく活動です。

 

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すべては負債から生まれている?~スペンディングファーストとは~ (2019/6/29 記事差し替え) - 新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

 

先の「大岡政談」の「五貫裁き」に登場した元博打うちの八五郎も、病気で改心して八百屋をはじめようと出資金を募ろうとしております。これと同じです。

 

国債を活用して公共インフラや教育・科学振興といった事業の財源とするというのは、民間の代わりに国家が行う投資といっていいでしょう。

 

投資=invest(種まき)をするには、それを超える大きな収穫=harvestが期待されるものでなければなりません。民間企業が自社の店舗や機械などの設備の他に研究開発や雇用というかたちでの人材育成にお金を注ぎこむ投資はそれ以上の利益を稼げるという見込みや期待があるからするのです。国家的投資も同じことでharvestがまったく期待できないことに国債を発行してお金を注ぎこむべきではありません。

 

ここで散々批判しましたがMMT(現代貨幣理論)が説明する貨幣の見方を通してみても、実は同じ結論が出てきます。国家がスペンディングファーストで負債をつくり、それが貨幣というかたちで市中に出回ります。しかしその貨幣というものは国家が国民から税を徴収するという権限を担保するかたちで発行されています。誰かが負債を生み出さないとお金も生み出されないことは確かですが、それは誰かがその負債を還すという約束がなければ貨幣の信用や価値が消失します。

MMTの生みの親のひとりとされるウォーレン・モズラー氏は自分の子供たちにお手伝いをすると名刺をあげていました。しかしやがて彼の子どもたちは名刺をあげてもお手伝いをしようとしなくなります。子どもたちはお父さんの名刺をたくさんもらっても何も買えないから価値を感じなくなってしまったのです。

そこでモズラー氏は子どもたちに次のことを言い出します。「このプール付きの素敵な家に住み続けるためには、お父さんに毎月30枚の名刺を渡さなければならない。」という義務を子どもたちに課したのです。そうしたら子どもたちは必死に家のお手伝いをはじめ出したというのです。モズラー氏自身も貨幣は後に国民から租税で負債を償還できるという裏付けがあるからこそ、貨幣は価値を持つという認識でした。

 

「莫大な年金などの社会保障費の財源を国債で賄う」という人をよく見かけますが、社会保障費の歳出は毎年毎年30兆円近くも出し続けなければなりません。こういう場合は残念ながら国債を財源としてあてにすることはできません。

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 リーマンショックのときなどのようにひどい不況で一時的に税収が急激に落ち込んだり、財政出動が必要なときは国債を発行して財源を賄い、景気と税収が回復した後で負債を償還すればいいわけですから有効です。

 

あと一部で消費税を廃止せよという主張をする人がいて、不足する税収は国債で補填せよと言っていたりします。私は消費税の増税に反対しますが、消費税が税収の2割を占め、安定財源とされてしまっている今の状況を考えると、いきなりの消費税全廃は無理でしょう。経済再生によって所得税収や法人税収を増やし、それから徐々に消費税の税率を下げる方法を採るべきです。

 

国債発行による財政政策は一時的な巨額歳出や長期的な投資という意味ならば有効な手段ですが、恒久的な政策の場合においてはやはり財源は税収でないといけないでしょう。

 

その区別をつけないまま「もっと国債財政赤字を出せー」という主張をすれば、簡単に足元をすくわれてしまうので注意すべきです。

 
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