新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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日本はいま「滅びの40年」に向かっているのか ~半藤一利氏の「40年史観」~

「日本のいちばん長い日」や「ノモンハンの夏」などで知られた作家の半藤一利氏ですが、この方は日本という国は明治維新以後から40年ごとに興廃を繰り返しているという「40年史観」を持っていらっしゃることで有名です。

半藤氏は明治政府樹立から40年後である日露戦争で軍事大国化し、その40年後の第二次世界大戦で大敗し、さらに40年後にはバブル期の経済的絶頂をむかえ、バブル崩壊後の40年後には再び没落するという予測しています。バブル崩壊は1990年代初頭ですので、半藤氏の「40年史観」が正しいとするならば2030年に日本はどん底の時代を迎えることになります。

 

半藤氏や氏の文章を読んだ人たちの経済観と自分の経済観が完全に一致しているわけではないと思われますが、自分が抱いている予測も半藤氏と同じく、今後10年が最も暗く、厳しく、つらい時代になるのではないかというものです。いまの日本は「滅びの40年」の最終局面を迎えようとしているということです。

 

しかしながら注意が必要なのは半藤氏が唱える「40年史観」や「滅びの40年」は宿命的で不可避なものであるかのように捉えるのは間違いだということです。いまとなってはもう遅いですが、ここのブログで書いたように「失われた20年」やら「30年」やらは政府や日銀が正しいマクロ経済政策=金融政策+財政政策を行っていたら回避できたものでした。私は民主党政権末期~第2次安倍政権発足直後までの間のように、国民自身の間で自国経済への危機意識が高まって、もう一度真剣にデフレ不況から完全に脱しようという機運がひろがれば、半藤氏の「40年史観」がいい意味で崩れることでしょう。

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第2次安倍政権が発足し、黒田東彦日銀が異次元金融緩和をはじめてから、着実に民間企業は雇用や設備投資などといった投資に積極的にお金を遣うようになり、新規雇用拡大や賃金上昇というかたちで所得分配が進みかけていました。しかしそのことがアベノミクス賛成派・反対派を問わず「これだけ雇用や景気が回復したのだからもういいでしょ」というゆるみを生んだように感じます。安倍政権や黒田日銀自体も発足当初のように経済政策に力を入れているように見えません。

安倍総理勇退する時期はそう遠くないと思われますが、その後継者として目される政治家の顔ぶれを見ていても、金融政策の意味を正確に理解しているように感じられません。金融・財政ともども緊縮レジームに戻っていくことでしょう。

 

この先日本の経済活動は再び萎縮をし続け、民間企業は大手の主要企業を含め、国際競争から脱落していく危険性が高いです。雇用が不安定化して人々の消費意欲はさらに弱まり、それがまた民間企業の再投資を萎縮させていくことになります。日本の主力企業が外国資本にどんどん吸収されていってしまう時代が到来し、多くの日本の若者が海外へ出稼ぎにいかねばならないといったことも現実化してしまうのではないでしょうか。

 

「日本は世界の中でも有数の先進国なのだ」という驕りは政治家や主力企業の経営者たちだけではなく、官僚や左派系の学者や評論家たちもそうです。「日本はこれだけ豊かな国なのだからもう成長しなくていい・もうできないのだ」といった自然左翼的発想もまた驕りや慢心です。これが完全に消え去り、危機バネが働くようになるまで最低10年はかかるような気がしています。

 

私は日本の経済力を転落させた元凶は1990年代に日銀総裁をつとめた三重野康からはじまる金融政策無策や大蔵省~財務省らが陰で主導してきた増税緊縮財政にあると思っています。財務省やその子会社というべき日銀は官僚組織であり、民間企業の自由で活発な経済活動を支えるといった発想をあまり持っていません。国家社会主義と親和性が高いのが官僚組織です。

 

モノやサービスといった実物財の創造や生産に携わらない役人たちの無謬主義に陥り、彼らが専横を極めていくことで、40年という時間をかけ、国家が滅亡寸前にまで落ちぶれていくということにならないでしょうか。

 

「失われた四半世紀」を「滅びの40年」にしてしまってはいけません。日本国民全体に「いち早く経済再生を成し遂げないと貧国に成り下がる」という危機意識が広がってくれることを私は願います。

 

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