新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

将来世代へのツケ回しや重荷となりかねない国債発行と公共事業とは

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717081135p:plain

今回の記事タイトルは釣りです。タイトルだけ見て脊髄反射しないようにお願いします。東京スポーツと同じだと思ってください。

 

自分はコロナ危機で必要となった休業補償や国民への現金給付、医療機関などへの特別補助といった大規模な財政出動国債を発行して対応すればいいと主張してきております。その理由はコロナ危機で苦境に陥った民間事業者や個人を破産に追い込まないようにし守っていかないと、逆に今後何年、何十年間も経済苦境に陥ってしまうからです。結果的に税収不足で国家財政危機が進行することにもなりかねません。財政赤字のパラドクスです。

 

国債を財源としたコロナ危機対策は将来世代の負担やツケ回しにはなりませんよという話を別の経済ブログでまとめました。

『「国の借金」について考えてみる その1 国債の状況を知る』

ameblo.jp

『「国の借金」について考えてみる その2 経済そして負債と貨幣の意味』
ameblo.jp

 

『「国の借金」について考えてみる その3 「税は財源ではない」は本当か?』

ameblo.jp

『「国の借金」について考えてみる その4 「将来世代へのツケ」って何?』

ameblo.jp

 

ほんとうの将来世代への負担とかツケ回しとは何かというと、それは誤った金融政策や緊縮財政によって民間企業の事業や投資意欲を萎えさせたり、個人の消費を冷え込ませることで、雇用を失ったり豊富なモノやサービスの生産ができなくなってしまうことです。モノ不足やサービス不足は国民生活を貧しく苦しいものにしますし、外貨を稼ぐこともできなくなります。

 

立憲民主党を離脱した須藤元気議員が

「悔しいんですよね。やっぱ政治の、政治の失敗で僕らが犠牲になってるじゃないですか。悔しいですよ。ちっちゃいころから日本は何百兆円借金があるとか、そのためには我慢しなきゃいけないとか、この30年間ずっと我慢してきたんですよ。何がプライマリーバランスだ、と思うわけですよ。もう十分我慢しましたよ。今、僕らロストジェネレーションが立ち上がらないで、いつ立ち上がるんですか。なんで上の言うこと聞かなきゃいけないんですか。十分言うこと聞いてきましたよ。僕は…」

なんて涙を流しながら記者会見をしました。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717090926j:plain

自分はこれを読んでロスジェネ世代がいま1990年代の誤った金融財政政策のツケ払いをさせられていると感じました。

 

今回の記事タイトルを読んで、上で書いていることとは正反対ではないかと思われるかも知れません。いまの日本の国内産業の生産供給能力や政府と日銀をあわせた統合政府バランスシートでみたときの日本の国家財政状況を鑑みたとき、まだ日本国政府は数百兆円程度の国債を発行する能力が残されていることや発行した国債を日銀が買い取ってくれれば債務負担の膨張という問題を回避できるのですが但し書きがあります。

 

それは将来の経済成長によって国が投資したお金を取り戻すという予想や期待がなければダメだということです。

 

企業は社債や銀行借り入れなどといったかたちで借金をつくって、新しい製品の研究開発や設備の増強、店舗拡張、そして雇用といった投資を行い、お金を稼いで借金を還すのです。これをスペンディングファーストといいます。政府による国債発行も企業の投資と同じだと思っておいてください。投資(インベスト)とは注ぎこんだお金を上回るハーベスト(収益)を得る行動です。入ってくる収益以上の過剰投資をやってしまえば会社は潰れます。政府も変わりありません。

 

国債発行やそれを財源とした公共事業をしていいのか?悪いのか?

その線引きはB/C値、便益対費用であります

 

高橋洋一さん的にいえば

B/C>1の公共事業ならば国債を発行してどんどんやればいいのです。なぜなら投じたお金以上の大きな便益を生み、将来世代への負債どころか資産になるからです。1200億円の公共事業で5000億円の便益が得られるならやらなきゃ損です。3800億円分資産が増えることなるからです。

 

大正時代の関東大震災後に帝都復興院を設置し、当時の国家予算1年分に匹敵する規模の予算を注ぎこんで帝都復興計画を推し進めてきました。当時後藤は「大風呂敷」と揶揄されたものの、彼が行った新たな都市計画事業は現在に至る東京という街の骨格として後世まで受け継がれることになりました。後藤が遺した大きな資産です。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717100533p:plain

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717100726j:plain

 

逆に

B/C<1でコスパが悪い公共事業に国債を注ぎこめば、将来世代の負担やツケ回しになります

 

よく財政破綻論者とかハイパーインフレ危機を煽る人たちが引き合いに出す例が、太平洋戦争当時に日本の軍人政治家が行った戦時国債発行や日銀国債引受による戦費濫用です。国家にとって戦争というものは投資だと見なすことができます。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717095404j:plain

莫大な戦費、兵力を投入しても戦争に勝てばそれを上回る国益があると期待できるから国家は戦争をするのです。そういう観点でみますと太平洋戦争における敗戦は国家が生んだとんでもないキャピタルロスであるといえます。莫大なコストをかけたものの、多くの飛行機や軍艦を海の底に沈めただけで、何の便益も得られなかったという最悪の投資です。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717095312j:plain


満洲映画協会理事長であった甘粕正彦元陸軍憲兵大尉の辞世の句は「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」です。戦争という大博打をして失敗したと自ら認めておられます。

 

前回「ダムなし治水はほんとうに人と環境にやさしいのか?」という記事を書き、熊本県と蒲島知事が進めてきた治水行政の妥当性について疑問を投げかけました。

metamorphoseofcapitalism.hatenablog.com

 

 

私自身もできるだけ球磨川の美しい風景や清流、鮎などの生育環境、そしてこの地域に遺された文化資産をなるべく傷つけてほしくないという気持ちでいっぱいです。しかしながら2020年7月4日に発生した球磨川の氾濫とそれによる洪水は人吉市をはじめとする街や集落を呑み込み、阿蘇青井神社や老舗旅館、鰻屋さんなども被災しています。痛々しく惨たらしい光景です。上に書いた後藤新平とも浅からぬ関わりがありますが、明治時代に架けられたJR九州肥薩線球磨川第一橋梁も流出しています。昭和40年代にも人吉市は3年連続で洪水に見舞われ、その再建後街並みが一変したと云われていますが、今回の水害で恐らくまたそうなることでしょう。自然の力によって人間が築き上げてきた文化的資産が一瞬で破壊されてしまったのです。この状況を知ってダムなし治水というものが、ほんとうに人や環境にやさしい公共事業だったのか疑問を抱いてしまうことになりました。

 

もう一度ダムに頼らない治水事業案の例について列挙しておきましょう。

ダムを建設して想定どおりの治水効果があった場合の便益を5000億円とし、その場合のB/Cも併記しておきます。

 

1 遊水池 1兆2000億円 (B/C 5000/12000=0.42)

2 放水路 8200億円 B/C 5000/8200=0.61

3 引堤 8100億円B/C 5000/8100=0.62

4 堤防嵩上げ 2800億円 B/C 5000/2800=1.79

であり工期が45年~200年も要します。

ちなみに川辺川ダム残り建設費は1200億円ですのでB/Cは5000/1200=4.2です。

 

今回安倍政権は熊本の豪雨災害復旧に4000億円の国費を投ずると表明しました。あってはならないことですが、今後毎年のように熊本や九州で大規模な豪雨災害に見舞われ、その度ごとに数千億円以上の国費を出していかざるえないことになるかも知れません。毎年毎年国民ひとりあたり数千円の税負担か債務負担が増えることになります。

 

今回の熊本水害をうけて蒲島知事は記者会見の場で「私自身は極限まで、もっと他のダムによらない治水方法はないのかというふうに考えていきたい」とか「少なくとも私が知事である限り。これまでもそのような方向でやってきた。ダムによらない治水が極限までできているとは思わない。極限まで考えていきたい。」というだけでダムに代わる抜本的かつ具体的な水害対策案を現時点で示していません。

 

 橋下徹氏が蒲島知事の発言を聞いて『ダムによらない治水計画を「一定の期限内に」作り上げる責任があったし、その期限が守れないのであれば、自分のダム中止という政治方針を諦めるべきだった。』と述べています。

president.jp

 

熊本県がこのままダムに代わる抜本的な水害対策案を打ち出さないまま、無為無策で過ごすならば今後水害による巨額損失という大きな負担と負債を熊本県民だけではなく日本国民全員が抱えていく可能性が高いです。再度大きな水害に見舞われた場合、復旧工事を行う建設事業者の人手不足がさらに深刻化したり、本来他国からの軍事侵攻に対処する役割を担っているはずの自衛隊員らの兵力を消耗させ続けることにもつながりかねません。これは将来世代への大きな負担やツケ回しだといえましょう。

 

あとJR九州肥薩線ですが、被災前の2018年度で八代~人吉間(川線)の営業収益は2億7100万円であったものの、営業費は8億4400万円かかっており、5億7300万円の赤字を発生させています。今回の肥薩線を復旧させるとなるとその費用はいくらになるかわかりませんが、恐らく数十億円程度を覚悟しないといけません。

 

一鉄道ファンである私にとって仮に肥薩線がこのまま廃線となってしまうとするならば非常に悲しいものがあります。球磨川沿いを走る「やませみ・かわせみ」号や後藤新平の名を冠した「いさぶろう・しんぺい」号、「SL人吉」号といった列車を無くしてほしくありません。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200717214555j:plain

JR九州「いさぶろう・しんぺい」号

 

しかしながら熊本県側が抜本的な水害対策の見直しをコミットメントしない限り、肥薩線の復旧をすべきではないと私は思います。再び何十億円以上もの損失を生み出しかねない状態での路線再開はありえません。なぜなら一民間企業となり株式公開まで行ったJR九州に再三再四繰り返される災害によって巨額の負債をどんどん背負わされるようなことがあってはならないからです。私がJR九州の株主であれば肥薩線復旧に反対します。現在のJR九州の社長である青柳俊彦氏も恐らく同様の考えをお持ちのことでしょう。肥薩線の復旧は熊本県側の抜本的治水対策が絶対条件です。県がそれをしないのであれば肥薩線公設民営方式化にするか路線をくま川鉄道に移管して沿線地域が路線を維持いくべきです。

 

時には大暴れしつつも球磨川を愛し続けた人々にとっては嫌な言い方になるかと思われますが治水事業というのは災害との戦争です。私が知った限りですと、いまの熊本県が採っている治水戦略ですと太平洋戦争と同じく消耗戦になりかねません。結果として地域社会の崩壊を招いたり、県や関連市町村の債務を膨張させる恐れがあります。

 

もう一度言いますが、負債をつくることを恐れ、投資を怠ることは将来世代を貧しくします。しかし誤った投資判断によって負債を膨張させることはやはり破滅への道でもあるのです。

 


全般ランキング


政策研究・提言ランキング

お知らせ

こちらのブログでは経済の基本的知識や理論に関する記事を書いています。

 

https://ameblo.jp/metamorphoseofcapitalism/

ameblo.jp

 


サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター 

https://twitter.com/aindanet

twitter.com