新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

恐慌を食い止めよ その4 高橋是清のリフレ政策

前回は昭和恐慌が発生した背景について述べました。
これが起きてしまった原因はマネー不足とそれによる投資(雇用含む)の萎縮です。ここへアメリカで起きた世界大恐慌による需要ショックが襲い掛かり、致命傷となったのです。

今回からいよいよ高橋是清蔵相のリフレ政策についての話へ入っていきますが、高橋財政の根幹も極度に不足するマネーの供給拡大と投資の活発化であったと私は見ています。すなわち金融政策主導のリフレ政策です。高橋財政といえばかなり積極的な財政出動というイメージが強く持たれていますが、高橋自身は自身が国会の質問で述べていたとおり金融のスペシャリストです。
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当時の民間投資を見ると高橋の前の蔵相だった井上準之助の代における投資の額が極度に減少していました。高橋是清の代で投資が急回復しているのです。
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大川一司 一橋大学名誉教授 作成のグラフ

グラフの動きを注視しますと高橋財政のときの国家財政支出は極端に増えていません。むしろ減らす動きがあったぐらいです。にも関わらず民間の設備投資が強い勢いで伸びています。積極投資による産業振興が高橋財政の肝だったのです。もちろん後で述べますようにその投資の呼び水や火付け役として軍備投資や時局匡救事業と呼ばれる土木公共工事が活用されたことも間違いのないことです。

高橋是清犬養毅政権の発足で大蔵大臣に就任し、即日で行ったことは濱口雄幸政権の蔵相だった井上準之助が行った金解禁を再び禁止にしたことです。金本位制ですとその国家が保有している金(正貨)以上の紙幣を発行することができません。濱口・井上は金解禁後前に緊縮財政を敷き、マネーの発行や供給を徹底的に抑え込みました。それから金解禁を行った瞬間に輸出不振等で想像以上に金が流出し、さらに深刻なマネー不足を招きました。当時の為替レートとは合わない旧平価で金解禁をしたために超円高状態となり、それが深刻な輸出不振となったのです。

金輸出再禁止を行って管理通貨制度に移行しために紙幣を増刷することが可能になりました。柔軟な金融政策ができます。高橋は思い切った量のマネーの発行・供給をするために国債の日銀直接引き受けという手法を採りました。今でいうとヘリコプターマネーと呼ばれるものです。
何度かこのブログで説明してきましたが、紙幣は誰かが負債を生む形で発生します。通常は市中銀行が企業等に融資するという形でこの信用創造が行われ信用貨幣が生み出されますが、高橋らが行ったのは国が国債を発行し、日銀にそれを引き取ってもらうことで紙幣を発行してもらうことでした。高橋らはこの手法で生んだ新しいマネーを企業への融資や財政出動の予算にあてがったのです。

これは私の見解ですが、一気に会社がいくつも同時に倒産してしまったり、数えきれないほどの失業者が溢れかえってしまうような緊急事態において最も効率的な救済手段はヘリコプターマネーであると考えています。高橋是清と当時の日銀副総裁であった深井栄五との間で国債の日銀直接引き受けか、市中に出回っている国債を日銀が買い取る買い受け(アベノミクス・黒田日銀体制で採られている手法)かで議論があったようですが、高橋が引き受けの方を選んだことが世界最速でデフレ脱却を果たした要因ではないでしょうか。

このような果敢な金融緩和政策によって、重化学工業をはじめとする産業が一気に活性化します。高橋は地域での自主的な取り組みを低利融資で助成するという成長戦略を採りいれていました。このように融資や投資の活発化による生産活動の促進だけではなく、金輸出再禁止後の円安誘導で輸出も伸びました。当時の日本の主力輸出品は綿織物でしたが、イギリスを抜いて世界一の輸出高となりました。(イギリスは「ソーシャルダンピングだ」といって日本に怒ってブロック経済による締め出しを計ってきたが)

高橋はさらに金融緩和政策だけではなく、思い切った財政出動策も打ちます。
恐慌のように需要が極度に落ち込み、倒産や失業が大量に発生したときは金融緩和だけで融資や投資を再稼働させにくいです。いや・・・・そのことよりも都市から農村に至るまで失業者や貧困者が溢れかえっている惨状に手を打たないといけません。いち早く雇用を回復させ、彼らの収入を増やす必要がありました。
当時満州事変への対応で軍事力強化が叫ばれていましが、軍隊の兵員強化が雇用対策のひとつとなります。また兵器や軍用品の需要増加で重化学工業の投資が加速します。冒頭で述べた貧困に喘ぐ農民に公共土木工事で職を与える時局匡救事業も財政出動策として盛り込まれました。
こうした財政出動の膨大な予算も国債の日銀直接引き受けで調達されます。

高橋是清の恐慌脱出政策はヘリマネと思い切った財政出動で投資や雇用を回復させ、あとは金融緩和政策でそれを持続的に引き伸ばすものでした。高橋は最初の生産活動再稼働の段階では思い切った財政出動を活用しますが、民間企業が自律成長をしていく段階になったら財政出動を抑え、均衡財政に戻す考えだったようです。高橋は物価再上昇と共に増やした軍事費を削減しはじめ、時局匡救事業も存続を望む声がありながら予定どおり3年で打ち切りました。

この出口戦略に対し軍部が大きな不満を持つようになり、それが2・26事件へとつながります。
皆さんがご存知のとおり高橋是清皇道派軍人らのテロによって惨殺されてしまうことになります。

次回は高橋是清暗殺後の軍部による軍事費膨張と高インフレ・国家財政悪化についてです。
ヘリマネや金融・財政出動政策におけるインフレターゲットの重要性についてお話します。

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