新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

労働者にバブルの尻ぬぐいを押し付けた御都合主義の日経連提言(1995年「新時代の日本経営」)

マクロ経済の話から少し離れて1990年代の世相を振り返っています。バブルが崩壊したのは1992年前後あたりですが、その後日本の社会をどんどん暗く沈滞化させてしまうことを決定づけたのは1995年~1997年あたりだと自分は思っています。1997年は消費税が5%に引き上げられた年であり、当時の橋本龍太郎内閣が緊縮財政を突き進めた時期です。そればかりではありません。それまでの日本企業の経営モデルや労働者との雇用慣行が大きく変わっていく転換点となったのが1995年から1997年です。

1995年に日本経営者連盟(日経連)はポストバブル時代の企業経営のあり方として「新時代の日本的経営」を打ち出してきました。この提言は高度成長期以降日本の企業が続けてきた雇用者を長期に渡って守り続ける終身雇用制度をやめて、もっと柔軟に労働移動がしやすい雇用制度に転換していくべきだというものです。
よく不安定で低賃金の派遣労働が増えたのは小泉(純一郎)と竹中(平蔵)のせいだと云われていますが、派遣労働という雇用形態が目立ちはじめたのは1995年あたりです。(労働者派遣法成立は1986年) 労働者の賃下げがどんどん加速し、非正規雇用が増えだしたのも1997年あたりからでした。小泉・竹中がそうした状況をより加速させていったのは間違いのないことですが、非正規雇用問題のことを取り上げるならば1995年の日経連「新時代の日本経営」にまで遡るべきです。


当時の「新時代の日本的経営のあり方」を読み直しますと表向き「日本的経営の基本理念である人間中心(尊重)の経営」「長期視野に立った経営」の深化や堅持が謳われていますが、私の記憶では日本的なやり方はもうダメだからアメリカ的な方向へ行かないといけないという考えで日本の構造改革論議が進められていました。日本は全ての労働者を会社がずっと面倒を見続けて、年功序列で自動的に昇級・昇給していくようなやり方はやめるべきだ。アメリカなどのように能力主義成果主義を強化し、プロ野球選手のように年俸制や契約制も導入していかないといけないなんて話が次々と出てきました。上司が部下の能力や成果を査定し報酬を決めるやり方やコミットメントといった欧米流の賃金交渉スタイルがもてはやされたのも1990年代中期のことです。

ついでにいえばリストラという言葉が日本で多く用いられるようになったのも1990年代からで、やはりアメリカの企業経営論から借りてきた言葉でした。リストラは「re-structuring」であって元々は「立て直し・再構築」という意味になります。ところが日本においてはその言葉が整理解雇や雇用削減・人員整理や設備投資の縮小といった意味に湾曲されて遣われだしてしまいました。

1990年代以降の日本企業は労働者個人の能力や成果に応じた公正な所得分配とか、働くスタイルの多様化などという御経を唱えつつ、バブル期の放漫経営のツケを非正規雇用の拡大や賃下げという形で労働者に支払わせるという身勝手な行為を始めだしたのです。
自分も雇用の流動化促進や解雇規制緩和に賛成する考えですし、全ての労働者を正社員にしなければならないという考えも持ち合わせていませんが、同時に職を失った人たちの所得や生活を保障するセーフティネットの整備を行ってからそれを進めるべきだと考えています。しかし現実にはセーフティネットの整備どころか政府の社会保障予算の実質削減が進み、長期失業者や無・低所得者を増やし続けることになります。

経済活動の低迷が続き、雇用需要が慢性的に縮小していくと買い手市場となっていきます。つまりは雇う側の方が強くなり、労働者側が弱くなっていくというパワーバランスになってしまうということです。20年間も続くデフレは企業側を傲慢にし、労働者を下駄の雪のごとく踏みつけるような事態を助長しました。俗にいうブラック企業の増加です。雇い主が社員に対し過重労働を課したり、時には暴言や暴力といったパワーハランスメントが行われるといった問題が噴出するようになってきます。
上で述べた能力主義成果主義もまた圧倒的に雇い主側の力が強い状況になれば賃下げや社員に対する圧迫・締めつけの横行を蔓延させることにつながります。

労働者に対するシバキの第一発目は三重野康日銀総裁(1989~1994)による金融引き締めで、これによって銀行の信用創造と融資が急減し、企業の投資(雇用)が萎縮します。 (参照 「”平成の鬼平”が引き金となった失われた20年 」) そして二発目のシバキが「新時代の日本的経営のあり方」で、多くの労働者が非正規雇用に転じたり賃金削減や整理解雇の憂き目に遭ってきました。三発目のシバキが橋本龍太郎政権をはじめとする緊縮財政です。「失われた20年」の間に労働者(国民)は企業や国家による二重三重の収奪で多くの富や財を失っていくことになりました。さらにそこへ「自助努力」「自己責任」という言葉が労働者(国民)に追い打ちをかけていきます。労働者(国民)側にとってさまざまな理不尽さを押し付けられた20年でした。

何度か申し述べているようにデフレ経済は弱肉強食社会です。小さなパイを奪い合う熾烈な競争社会となります。このような状況で最も強いサバイバリティを発揮するのがサイコパス的な人間です。

日経連をはじめとする財界や国家(日銀や財務省も当然含む)が90年代に犯してしまった過ちが、20年以上も労働者(国民)を苦しめ続け、衰弱化させていったのです。そして彼らが担ぐ神輿の上にのった企業や国家もまた経済力をどんどん失って日本全体が共貧社会となっていってしまいました。

前回の最後の方にも書きましたが、1995年あたりから自分は国家に対する不信と憎しみの感情を心の底で燻り続けながら20年を過ごしてきています。ヤケをおこして自暴自棄にならずに今日まで過ごしてきましたが、何度も何度もドロドロとした怒りの感情が噴きあがりそうになったことがありました。
この過ちから20年経ってようやく安倍政権・黒田日銀体制化でのリフレ政策がはじまり、日本経済再興への道を歩みかけていますが、あまりに長すぎた低迷で失ったものを全て取り戻すことは難しいことかと思います。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

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