新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

デフレと清貧志向が破壊した日本のものづくり

1990年代の世相を振り返る話の3回目になりますが、今回は自動車産業を中心にデフレの問題について話をします。バブル期から一転して日本人が豊かさを追い求める心を忘れ、ものづくり文化が貧しいものになってしまったことです。終戦後の復興から高度成長期を経てバブル景気が崩壊するまでの間、多くの日本人はより高い品質やより優れた技術を志向しものづくりをしてきました。顧客もまた新しいものがどんどん品質や機能が向上していくのが当たり前だと受け止めていたものです。

クルマという製品も当然ながらそうでした。多くの車種は4年に一度のペースでフルモデルチェンジされ、より高性能に、より静かで乗り心地がよく、よりカッコよく、より内装も豪華になっていくのが当たり前でした。そうしたクルマに多くの人たちが期待を膨らませときめいたものです。
当然バブル時代にそれが最高潮となったのですが、そのときに登場したクルマといえばトヨタの高級車ブランド・レクサスの礎を築き、その旗艦車種となったセルシオや日産の901運動で生まれ、優れた動質や運転感覚を追求したR32スカイラインGT-Rとその弟分シルビアといった名機というべきモデルが記憶に強く残ります。

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バブル崩壊後にそれが元で深手の傷を負ってしまうことになるのですが、マツダは高級車センティアを皮切りにクロノスやユーノス、アンフィニブランド向けの新型車を次々に投入しました。「ときめきのデザイン」と呼ばれるセンティアの艶めかしい造形と高品位塗装には私も思わず見惚れてしまったものです。
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ところが1990年代初頭にバブルが崩壊し、そのときに開発されていたクルマがコストカット一辺倒の安普請なものになってしまったのです。それは見えないところのコストだけではなく、一般の素人目ですぐわかってしまうようなところまで露骨にレベルダウンしました。
トヨタですとその第一号がビスタ・カムリ(4代目)で、しばらく後に出たコルサ・ターセルカローラⅡやカローラ・スプリンター(8代目)も無残極まりなかったです。プラットフォームは先代流用でクルマの骨格や走りはほとんど変わらないまま。外観は先代を小手先で弄っただけで野暮ったく古臭いものとなり、内装材もかなり安っぽいものになりました。
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ダッシュボードのソフトパッド面積がぐんと減って硬いプラスチックが剥き出しになったり、シートの表皮が紙みたいにペラペラになってクッションの詰め物もスカスカです。自分が触れてびっくりしたのは直接手に触れるステアリングやワイパー・方向指示器のレバーが片面成形で裏側が凸凹・ブツブツになっていたことでした。ひと昔前の軽自動車の最廉価モデルなみです。

クルマといえば100万・200万円もする高額商品で家に次ぐ大きな買い物です。買って数年以上は付き合うものですし、自分の手足であったり家のリビングみたいなものです。自分が一生懸命働いたご褒美としてクルマを買うという人も少なくありませんでした。それを自動車メーカーは「みなさんこれでいいのです。贅沢を言うのはやめましょう。」といわんばかりに貧乏くさいクルマをユーザーに圧しつけるようなことをしたのです。

トヨタに限らず日産やマツダ、三菱なども”緊縮経営”へと転じ「安いのが一番」「クルマは走れればそれだけでいいのです」といわんばかりにクルマの安物化を進めてきました。こうしたチープなクルマが続出したのは1994年あたりからですが、自分はひどく寒々しく感じたものです。新しいものに対する期待や希望・ときめきが奪い取られてしまいました。クルマに限らずあらゆるものが「価格破壊」という言葉と共に簡素化や簡略化をされていったのです。1995~1998年はクルマだけではなく政治や世相も「萎え」一色でした。

クルマを買う側も失望感を憶えましたが、クルマを開発する側の人たちも可哀想だったと思います。ある雑誌に書かれていたことですが、上のビスタの開発陣たちは上層部から「安く造れ」の号令一辺倒で新しいことが何もできず、やる気を失ってしまっていたようです。(自分も似た経験があるので気持ちがわかる) 
デフレはものを創る側・買う側双方から憧れや情熱を奪い殺してしまいます。その結果ものへの興味や関心を削ぎ、ものが次第に売れなくなったり、優れたものづくりを志す人たちもいなくなっていくことにもつながりかねません。生きる意欲や悦びを否定されてしまった時代が1990年代です。

このようなあからさまかつ極端なコストダウンの塊というようなクルマに不満を持つユーザーが多かったのか、トヨタも少し方向修正してマイナーチェンジで内外装を少しでも高級に見えるよう改善してきました。上のカローラもマイナーチェンジでダッシュボードをフルソフトパッドに変更したり、バンパーを全塗装化するといった見栄えの向上を計っています。その後社長が豊田達郎から奥田碩に交代してからのトヨタは革新性の高いクルマづくりを目指すようになりプリウスヴィッツアルテッサといった野心作を次々と投入しました。

このように日本のクルマはバブル崩壊以後、極端なコストダウンと簡略化に突き進んだり、少し高級・上質路線に戻したりの繰り返しを続けてきましたが、新しく生まれたモデルが先代より古臭く安っぽくなってしまったというようなことが起きたのは1990年代が初めてのことです。この時期を境に日本人はクルマへの情熱や憧れの気持ちを徐々に薄れさせていったように思います。
このようなチープな印象のクルマが増殖してしまった時期に生まれ育ったのがさとり世代ですが、彼らはものへの興味や関心が薄く、いいクルマに乗りたいとか、いい服を着たいという欲が薄いとされています。豊田章男トヨタ社長が「ドキドキ・ワクワクするクルマをつくってみせる」と鼓舞しても、ユーザーは笛吹けども踊らずになってしまったのです。

さとり世代の消費行動について


上の記事はさとり世代といわれる20代の人たちはモノではなくコトを重視するという主旨で書かれていますが、彼らは物質主義を捨て精神主義や清貧主義に目覚めたとか「こころの時代だ」などといって喜んでいてはいけません。10代や20代の若い人たちがモノへの興味や関心を持たなくなるということはモノをつくる技術への関心も薄くなるということです。モノ自体がどんどん売れなくなったり、技術発展の担い手が目減りしていくことによってこの国の産業空洞化やスキルの腐食を招くことになります。

1990年代でも前半はまだ「高くても質の高いものを」といった嗜好がのこっていましたが、1995年ぐらいになると「価格をどんどん安くすれば売れる」とか「簡素化させてお金をかけるな」といった空気が支配するようになってきました。バブル時代までの「より豊かに」「より質の高いものを」といった志向を完全に否定し、一転して「ぼろは着てても心は錦」とか「狭いながらも楽しいわが家」といった清貧主義へと日本全体が傾いていったのです。
こういうと「質素倹約は素晴らしいことだ」などという人たちが出てきますが、私はまるで戦中の「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」というスローガンを連想してしまいました。

1990年代が生み出したデフレ思考は日本の国をどんどん貧しくしていき、社会全体から生命力や活気を失っていくことになります。その停滞の間にアジアを中心とする各国がどんどん工業技術力を高め、次第に日本製品のシェアを奪っていきました。これ以上日本の産業や技術を衰退させていくと先進国から脱落し、底辺国へと転落していく危険が出てきます。そのことはいま10代・20代の人たちの将来を絶望的なものにしかねません。

マクロ経済政策を通じてデフレ状態の脱却を急ぐと共に、バブル時代を経験してきた人たちが自ら目で見て触れてきた豊かなモノ文化を次の世代に伝承していかないと、この国はますますモノが売れない・つくれない国になっていくことでしょう。社会主義国家のように殺伐とした社会になっていく恐れがあります。このことを強く警鐘しておかねばなりません。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

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