新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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連続的な物価と賃金下落が招いた流動性の罠 その3

流動性の罠についての3回目の記事です。1回目と2回目は多くの経済学者が行っている流動性の罠についての解説を掻い摘んでみましたが、今回は1990年代の物価の動きや雇用状況を鑑みながら、それが発生した原因を探ってみたいと思います。

いままで徐々に上がっていくのが当たり前だった賃金や物価がどんどん下落していくという時代を迎えたのが1990年代以降の日本経済です。「価格破壊」を合言葉にモノやサービスの価格が下落し続け、賃金も連続的に切り下げられ、正規雇用から非正規雇用主体へと変わってしまいました。このことが1990年代末期に流動性の罠という現象を生み出したということを述べていきます。

最近読ませて頂く機会が増えましたが、野口旭先生が書かれたレポートがバブル景気崩壊から民主党政権時代までの「失われた20年」を振り返る上で役に立っています。

私がこのレポートで着目したのは1997年前後の物価と賃金の動きです。小泉純一郎政権時代の方も確認しましたが、ぼやけていた当時の記憶や疑問点がハッキリ・スッキリしたような気がしました。

 ニュースウィーク 野口旭 「雇用が回復しても賃金が上がらない理由  」

下の図は野口先生の上記レポに添付されたグラフです。
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引用 野口旭 「日本の名目賃金指数、消費者物価指数、および実質賃金指数(1990〜2016年)」

バブルが崩壊した1993年頃から1996年まで物価が下落しますが、名目賃金は上昇傾向のままでした。実質賃金も上がっています。(上の図拡大)
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賃金が上がって物価も下がっているから勤労者は得をしていると思うかも知れませんが、企業は稼げないのに実質の人件費負担が重くなり、経営を圧迫します。そのため新規採用の絞り込みや解雇を行って雇用を厳しく抑制します。(リストラやロスジェネ第一期生の発生) 

1996年に再び物価が上昇しますが、橋本龍太郎政権の増税・緊縮財政の影響で1997~1998年あたりより本格的なデフレに突入します。1997年より名目賃金が、遅れて1998年より物価が下落し続けます。
野口先生が書かれているように1997年は日本の経済・雇用慣行の分水嶺となった年で、戦後から高度成長期を通して長年日本の企業で定着していた年功序列型の定期昇給・昇格が放棄され、実力成果主義が導入されはじめます。さらに平均賃金が高く安定した正規雇用から、それが低く不安定な非正規雇用への置き換えがどんどん進みだしたのも1997年からです。これによって多くの国民の所得が減少し、不安定なものになっていきます。

これはこちらの書き足しになりますが、フリードマンが消費行動は今の時点で所持している所得高ではなく、将来に渡って継続的に得られ続けると予想される所得の高さによって変わるという恒常所得仮説を唱えています。


年功序列型の定期昇給が慣例化していた日本企業に勤める勤労者は「真面目にこの会社で働き続ければ自分の所得は何十年にも渡って上昇し続けるだろう」という予想をしていました。だから長期ローンを組んでマイホームを建てるとか、「いつかはクラウン」的に小型車から高級車へと乗り換えていくということができたわけです。
しかし1997年に終身雇用制度が放棄され、賃金が低い上に不安定な非正規雇用主体になると労働者は「自分の所得はどんどん下がるし、いつ解雇されるかわからない」という予想をします。つまりはその年ごとの名目賃金が下がっただけではなく、恒常所得がそれ以下に下がったと思わねばなりません。
不安定な雇用条件に置かれた人々は高額な買い物がしにくくなった上に、日々の出費を抑え込まないといけなくなりました。いつどこで収入が途絶えるかわからないので貯蓄も増やしておかないといけません。

このことが1998年以降の連続的物価下落を招き、多くの企業は「安さが命」的なモノづくりやサービスの生産・販売形態を増長させます。低投資・低価格路線は人件費や設備投資を削るコストカットを推し進め、一層の賃金下落を招きます。デフレスパイラルです。

ここで私の前回記事を思い出してください。


物価が下落するということは名目金利から物価上昇率を差し引いた実質金利が高くなってしまうのです。
実質金利名目金利-物価から
実質金利名目金利-(-物価)になり、
投資(および雇用)の足かせになります。

当時の名目金利・物価・実質金利の動きを見てみましょう。
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名目金利が1%以下をさまよう低空飛行状態であるにも関わらず、1997年から実質金利が上昇しているのがわかります。「流動性の罠」に陥った時期と一致します。
小泉純一郎内閣発足は2001年ですが、その直前までそれが続きました。ついでに言いますとサブプライムローンショックを受けた直後の2008年~2009年と消費税8%引き上げがあった2014年にも物価下落と実質金利の急上昇が見受けられます。

金利が上昇すると、企業はそれより高い収益率が見込めない事業や投資を見送ります。これが投資(および雇用)の縮小を招きます。
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デフレが慢性化し物価下落が連続的になると名目金利を下げても実質金利が下がっていかないことになります。ゼロに近い超低金利になっても投資(雇用)が伸びないという状況が生まれました。金融政策の失効です。
これが今まで説明した流動性の罠であります。

日銀は1999年2月にゼロ金利政策を導入しました。しかしながら金融タカ派速水優日銀総裁は拙速にも翌年2000年8月にその政策を解除しまい、再び景気失速と金融不安を招きます。千代田生命と大正生命を経営破綻に追い込みました。
もはや金利を下げるだけの金融緩和ではもうダメだということで、2001年3月にそれまで異例といわれた量的緩和政策まで導入することになります。この金融政策については次回以降に触れる予定です。

バブル潰しで急激な金融引き締めを行った三重野康から松下康雄速水優までの3代に渡る日銀総裁ですが、景気が慢性的に悪化し続けているにも関わらず、戦力逐次投入的なチョロチョロ金融緩和政策をとり続け、挙句の果ては金利をゼロに引き下げても投資が回復しないという異常事態を引き起こしました。
政財界は増税や緊縮財政、設備投資や人員削減などシバキ一辺倒で国民=勤労者を痛めつけ続けましたが、それが蟻地獄のようなデフレスパイラルを生むに至ります。

1990年代に政財界や日銀総裁らが犯した過ちは今なお、私たちを苦しめ続けているのです。

~お知らせ~
今後日本の政局や北朝鮮問題についての論考は下記ブログで掲載していきます。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

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