1997年以降物価がどんどん下落していきますが、それが転がりはじめた岩石のように勢いが止まらず、金融緩和や財政出動が無効になってしまいます。(物価岩石理論か?)
通常の金融緩和政策は金利を引き下げるかたちのものです。金利の引き下げによって収益率の見込みがやや低い事業でも採算がとれるようになるので投資が拡大するという考えで行われます。
しかしゼロ金利に到達してしまうとそれ以下に下げられません。物価が連続して下落すると名目賃金-(-物価)で実質金利が高くついてしまいます。デフレスパイラルは流動性の罠を招きます。グラフ引用 FP資料館様 「名目金利と実質金利の推移」
金融政策の一方で1990年代末期の首相であった小渕恵三氏と財務大臣となった宮澤喜一氏は必死に積極的な財政出動を行っています。しかしこちらも糠に釘・ヘドロにコンクリートパイルを打ち込むようなものでした。宮澤氏自身が当時のことをそう回顧しています。立花隆氏による宮澤喜一氏へのインタビュー
ゼロ金利政策でさえも失効し、財政出動も借金の山をつくるだけで景気浮揚効果がいまいちとなってしまった状態で打つべき手を当時日銀の審議委員であった中原伸之氏は提案します。
民間銀行が日銀内に設けている当座預金口座に預金をたくさん積み上げて、それを民間企業への融資に遣わせるという量的金融緩和政策の導入です。これは日銀のアドバイザーであったジョン・テイラー氏が助言していた政策です。
前々回書いたように1998年から2003年まで日銀総裁を務めた速水優氏は極端にインフレを避けたがり、デフレのままにした方がいいという考えでした。中原氏を除く日銀審議委員も同様です。そういう中で中原氏は孤軍奮闘して2001年3月に世界中でも前例のない量的金融緩和の実施を実現したのです。
量的緩和の手法を具体的に述べますと
2 その代金が日銀内に設けた民間金融機関の当座預金に振り込まれる。
3 民間金融機関は当座預金に積まれた現金を企業への融資や株・不動産等の資産運用に活用しはじめる。
4 市中に多くのマネーが供給され、それがやがて物価上昇をもたらす。(貨幣数量説) 金利も低下
です。
流動性の罠から脱出するためには転がり落ち続ける物価の動きを食い止めないといけません。そこで貨幣数量説の考えを採り入れ、市中のマネーの供給量(MS)を増やすことによって物価上昇を起こす手立てを講じたのです。
それと民間の銀行は預かっている預金など金庫の中で保有している額以上のマネーを融資しています。信用創造の話でもしたように元々無いお金を貸しているのが銀行です。一度に全預金者が全額預金払い戻しを求めてきたときに応じられる銀行は一行たりともありません。銀行がいつでも預金の払い戻しに対応できるよう日銀内の当座預金に「法定準備預金額」あるいは「所要準備額」を積ませる準備預金制度や足りない現金を銀行間で融通しあう仕組みをつくっています。
3で書いたように民間銀行が日銀内の当座預金に積まれたマネーを株や不動産などの資産運用に回しだすと、当然株価や不動産価格は上昇します。こうなると企業や金融機関のバランスシート左側の資産部門が拡大し、右側負債部門の純資産も増えます。「これは資産バブル膨張ではないか」と思われるでしょうが、それによって雇用や設備投資を増やしやすくなることも事実です。
1990年代に起きたバランスシート不況の逆になります。
日本の貨幣である円の供給量が増えていけば、円安にもなりますので輸出産業の価格競争力が増します。これも有効需要の押上げに貢献することが期待できます。
これらの政策を最低でも物価上昇率が安定的にゼロ以上になるまで続けるということを日銀側がコミットメントすることによって、企業や銀行は「当面金利を上げたり、準備預金額を減らしたりしないだろう」という予想を生み、思い切った大型の投融資に踏み切りやすくなるという時間軸効果も盛り込みました。
量的金融緩和政策で期待されていたことをまとめると
1 マネーの供給増大が物価下落の食い止め、インフレ予想により実質金利が低くなり投融資が再活発化する。
3 株価・不動産等の資産価格が上昇し、企業や銀行のバランスシートが改善され投融資増となる。
4 準備預金の増加が民間銀行の資金繰り悪化を防止。貸し出しがしやすくなる。金融システムへの不安回避。
5 為替レートが円安基調になることによる輸出促進
となります。
次回はこの量的金融緩和政策がどのような影響を与えたかについて分析していきます。