新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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世界大恐慌で見えた古典派の限界とケインズ経済学の登場 ~有効需要の原理について~

財政政策の意義を唱える上で引き合いに出される経済学者ジョン・メイナード・ケインズ有効需要の原理について簡単に触れておきましょう。
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ケインズ経済学が大きく発言力を増したのした背景は1929年にニューヨークで起きた世界大恐慌のときです。アメリカでは4人にひとりが失業するといった事態に陥ってしまいました。

古典派経済学者たちはこの事態に対し「労働需要が溢れてしまっているのであれば労働者の賃金を下げればいい。そうすればやがて需給バランスがとれて失業は無くなっていくだろう」と見解を示します。

「あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。それゆえ、需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよい」
ですね。

C(消費)+S(貯蓄) そしてS=I(投資)であり、不況だと消費C減・貯蓄S増で、S>Iに。マネー増加で金利減→投資Iが増え、S=I復活です。

古典派はモノや労働力が余ったら値段あるいは賃金を下げればちゃんと生産・供給した分は売り捌けると言いました。

しかしケインズはこれを否定します。まずは賃金の下方硬直性を指摘しました。「労働力の需要が減少し、企業が賃金の切り下げを行いたいと考えても、労働者はある水準以下の切り下げは同意しない」と反論します。それともうひとつケインズが切り出したのは数量調整説です。

ある会社の商品が需要低迷で売り上げが下がったとします。もっと値段を下げればまた売れるだろうと経営者は考え原材料費や賃金を下げてコストカットしますが、それでもやはり売れないとなると生産数を落とすしかありません。あるいはケインズが指摘したように経営者が従業員の賃金を下げたくても労働組合が反対して下げにくい・・・・・となると従業員の数を減らして需給調整を計るという手を打ってきます。これは古典派の完全雇用の前提が崩すことになりました。

それとケインズが指摘していたのは人々の消費を除いた余剰所得の遣い道で投資と貯蓄についてです。
古典派は人々が得た自分の所得を全部消費に使わずに貨幣を残してしまったとしても、それをただ寝かしておくのはもったいないので他人に貸して利子を稼ごうとするはずだ。貸すお金がたくさんあれば利子が下がるので企業の投資が増えるし、ローンを組んであれこれモノを買う動きが活発になるだろう。そうなればいずれ需要不足は解消されると考えていました。失業も自然と減ると構えていたのです。

これについてもケインズはそんなことにならないと否定します。
ケインズは人々は今すぐにお金を必要としなくても、余剰所得をいつでも自由な時にそれが遣えるよう手許に置いておきたいと思っていると見なしました。これを流動性選好といいます。
利子がどんどん下がっていくと余剰所得をわざわざ損失の危険性がある株や社債などの投資に回すよりも、好きな時に遣えるお金を残しておきたいと考えるようになる。当然利子は下げ止まるし企業の投資は進まない。需要拡大は頭打ちになり、大量の失業者を残したままで経済状況は膠着してしまうだろうとケインズは反論しました。これが流動性の罠で、人々の流動性選好がMAXになった状態です。
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こんな状況になったらもはや自由放任主義市場原理主義だけにまかせておけば自然に失業問題が解決していくとは思えない。だから政府が金融政策や財政出動という形で介入して本来人員や設備がフル稼働すれば得られる潜在GDPに比べ低い現実のGDPを押し上げてやらないといけないとケインズは考えたのです。

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ケインズは、不況だとC(消費)減・S(貯蓄)増で、貯蓄S>投資IにならずS<Iだとしました。不況だと流動性選好で、みな将来不安で現金ため込み、Iが必要とする分のSが確保されないと説明します。その結果金利は上がり、セイ法則不成立です。
さらにケインズは貯蓄<投資なのだから、人為的に貯蓄を増やすために金融緩和政策を行って、マネー供給増加とそれに伴う金利引き下げを行うべきだと主張します。これで貯蓄=投資を目指すが金融緩和でも効果がなければ財政出動で投資Iを促せと加えます。
そしてもうひとつ流動性選好について述べると、
貯蓄<投資だから、高金利で投資意欲が削がれ、縮小均衡の貯蓄=投資になる。
そのため貯蓄を金融政策で増やしてやって高いレベルの貯蓄=投資に戻さねばならないと述べます。I減には、公共投資で減った民間投資を増さなければならならず、古典派のいうように市場原理任せだとセイ法則成り立たない。縮小均衡経済(GDP減)になってしまうと批判しました。

このように政府による経済への積極的介入政策を提唱したケインズ経済学は古典派と一線を画し、ケインズ革命とまでいわれます。

不況時においては政府は赤字国債を発行してでも減税や公共事業を拡大してやります。逆に景気が過熱しているときには、増税や公共支出を縮小します。これで景気の波を穏やかにしていくことができます。
プリウスなどをはじめとするTHS(トヨタハイブリッドシステム)は始動時はバッテリーから給電してもらいモーターで駆動しますが、中速域に達するとエンジンが作動して出力に加わります。巡行速度に達するとエンジンだけで走行し、減速時には回生が働いてバッテリーへ充電します。
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エンジン=民間 バッテリー・モーター=政府とみなすとケインズ型経済政策の流れに近いことに気が付きます。

またケインズ理論のひとつである累進課税によって高所得者層から膨らんだ富を徴収し、低所得者層へ年金や保険制度などの社会保障を行うことで格差を軽減することができるようになりました。

と・・・・・かなり簡単ではありますがケインズの唱えていたことをざっくりまとめました。

ケインズの理論は第2次世界大戦後に多くの国の経済政策に採りいれられますが、幾たびか限界説や批判が浮上してきたことがあります。その代表例は1970~80年代のアメリカで起きたスタグフレーションです。国の財政赤字が巨額に膨れ上がったり、供給側を見計らわずに需要だけを増加させようとしてしまったことによりインフレ状態が定着。それに伴い賃金を引き上げてもさらに物価が上昇し、結局は実質賃金や実質GDPが増えないままという状態が生まれました。これが物価高の中での高失業の元凶となっていくのです。これによってケインズ経済学は衰退し、アメリカでサプライサイド経済学が生まれます。

1980年代からアメリカのレーガン大統領のレーガノミクス、UKのサッチャー首相によるサッチャリズム、日本だと中曽根康弘政権や小泉純一郎政権といった小さな政府主義あるいは俗にいう新自由主義が幅を利かせるようになりますが、1990年代に入ってからの日本やサブプライムローンショックを引き起こしたアメリカなどにおいてそうした動きへの反発が生まれました。

経済学界にもおいても新古典派ケインズ派は互いに激しい論争や批判を繰り広げてきましたが、同時に両者が互いの理論の良点を自論に取り込んでいます。
ケインズ主義も進化し今のニューケインジアンは単純に財政出動をやればいいとは考えていません。ニューケインジアンの代表格であるクルーグマンは「調整インフレ論」を主張し、インフレ予想で投資や消費を拡大させる考えを導入しています。フリードマンのようなマネタリストの考え方も一部取り込みました。

ともかくケインズ主義=財政政策重視などというのは単純すぎる見方でしかありません。

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