新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

世界史上初のハイパーインフレ?フランス革命のときのアッシニア紙幣

ハイパーインフレについて」編は今回さらに時代を遡り、ブルボン朝による絶対王政が敷かれていた中世時代のフランスで起きた話をしましょう。世界史上初のハイパーインフレフランス革命のときに発行されたアッシニア紙幣の暴落だとされています。

アッシニア証券・紙幣の話に入る前に1786年のフランス革命勃発から1799年のナポレオン時代へと移行するまでの第一共和制時代の流れを確認しますと、政治的にも経済的にもかなり不安定で混迷を極めています。ブルボン王朝のルイ16世やその王妃マリー・アンソワネットをギロチン刑にしたように王侯貴族を血祭にあげただけではなく、革命勢力そのものがいくつもの派閥に分かれ、互いに内ゲバをしていたような有様でした。
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大まかに見たら第一共和制時代は革命初期に政権を担った中流ブルジョワ階級を中心とするジロンド派時代から急進左派であるジャコバン派による恐怖政治時代を経て、再びブルジョワ階級を中心とする総裁政府に至るまでの三期に分かれます。ジロンド派時代の経済失政がハイパーインフレや食糧難を招き、これに失望した庶民階級のサンキュロットたちはジロンド派を倒して、山岳派ジャコバン派を持ち上げますが、この勢力は王党派・立憲君主派の残党、ジロンド派を次々と断頭台送りにするという血生臭いテロル政治を行いました。この派は最高価格令や徴兵制導入など強権的かつかなり細かい統制を敷いていました。これに嫌気がさした民衆たちは再びジャコバン派を倒して断頭台送りにします。
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日本の民主党政権時代を10倍えげつなくしたような時代でした。

話を戻しますとフランス革命は1788年にフランス全国三部会は第一身分・第二身分の聖職者・貴族と平民中心の第三身分が対立し、第三身分が離脱したところからはじまります。彼らコミューンは憲法制定国民議会を立ち上げます。
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それから1789年ルイ16世が庶民から人気のあった財務総監督官ジャック・ネッケルを罷免したことに怒った庶民たちがバスティーユ牢獄を襲撃しフランス革命の火蓋が切られました。
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これによって国家の主権者はブルボン王朝から国民議会へと移ります。

ところが革命によってフランス国家の信用が下がり、国債を発行しても買い手がつきません。銀行に国債を引き受けさせてきましたが限界に来ています。徴税をしようにも間接税が革命で廃止になり、それに代わる新税である直接税も土地台帳が未整備だったために税収がかなり少なくなりました。革命後財務長官に復帰したネッケルはモーリス・ド・タレーランの提案により教会から没収した土地財産の売却益を担保にお金を借りることにします。そのために発行された証券がアッシニアです。
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1879年末に憲法制定国民議会は4億ルーブル分のアッシニア証券を発行することにします。利子は五分です。しかし当時はまだ担保である教会の土地に僧侶たちが住んでおり、抵当権が取り除かれていないので土地の売却の見込みが立たず、アッシニア証券の買い手はなかなかつきません。
そのため憲法制定国民議会は第一回発行のアッシニアを廃止して、3%の利子つきとし土地と交換可能な兌換紙幣という形で新しいアッシニアとして再発行することにしました。これでようやく目に見える保障がついてやっとアッシニアは信用力がついて紙幣として流通するようになっていきます。

すると憲法制定国民議会は信用がついたアッシニアで負債を償還しようと考え出しました。1790年に議会はアッシニアを完全に無利子の貨幣として12億ルーブル分を発行していくことを決めます。とにかくフランス国家は正貨である金貨・銀貨が不足していました。革命によって貴族たちは金貨・銀貨を抱えて亡命していったためにどんどんそれが国外へ流出していきます。オノーレ・ミラボー議員らは「アッシニア紙幣は正貨に比べ弱い」というピエール・サミュエル議員の反対意見を押し切り、アッシニア紙幣の大量発行を行ってエキュ正貨との交換を続けます。

次から次へと濫発を続けたアッシニアはそれによって価値が暴落し、猛烈なインフレを引き起こします。
このインフレは紙幣を大量に発行したためだけではなく、食糧不足も多いに関わっていました。1793年は前の年が豊作であったにも関わらず、買い占め人といわれる商人たちが、値上がりを予想した物資(穀物、小麦粉、砂糖など)を買い漁って倉庫に貯蔵するようなことをはじめ出し、農民も小麦を市場に出して下落し続けるアッシニアと交換するより、取っておく方を選ぶようになってしまいます。このことがさらにインフレをひどくし、ますますアッシニアの貨幣価値を下げることになりました。

おまけにフランスは革命に危機を覚えたオーストリアプロイセン大英帝国などといった他のヨーロッパ各国(対仏大同盟)を相手に戦争をしなければならなくなります。革命戦争です。軍事費が膨張していく一方でした。負債はどんどん増え、アッシニアのさらなる増発が続きます。さらに反革命勢力や大英帝国による陰謀で偽アッシニアもかなり出回ってしまい、それが貨幣価値の下落を助長させています。
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上で述べたとおり第一共和制時代は政治的にも経済的にも大きく混乱し続けましたが、これに伴ってアッシニアも値崩れを続け、最後は紙クズ同然になります。1799年にブリュメールのクーデターを起こし政権を獲得したナポレオン・ボナパルトが金貨・銀貨本位制に戻したことで完全に消えました。

結局フランス革命期のハイパーインフレはアッシニアを発行した憲政国民議会政府が極めて不安定で迷走を続け貨幣発行主体としての信用ができなかったことと、その紙幣を濫発し過ぎたことによって発生したといえましょう。正貨が不足していた上に徴税もうまく行かず、そこへ商人の食糧品買い占めによるインフレや戦争が加わり、負債ばかりが膨張し続けたのです。

前回も書きましたが飯田泰之准教授が仰った「ハイパーインフレが起きる国は二通りだけである。通貨発行主体の継続性が疑われた場合、例えば外国に占領されるんじゃないかという場合と、すでに占領されてしまった場合。つまり、国が崩壊する、革命、戦争という状況下に起こりえるものである」という説明がフランス革命のときのハイパーインフレにもぴたりと当てはまるでしょう。

最後に変な記事をひとつ見つけました。

ハイパーインフレが革命を引き起こしたなどと言っていますが、因果関係が逆ですね。
革命の混乱がハイパーインフレを引き起こしたといった方が正しいでしょう。

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