新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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旧社会主義国家の崩壊で発生したハイパーインフレ

ハイパーインフレの発生と非常に密接な関係を持っているのは社会主義国家です。これまで過去において発生したハイパ-インフレの56例のうち、およそ半数が社会主義国家で起きています。今回の記事はソ連崩壊直後のロシアで起きたハイパーインフレのことですが、この後ジンバブエベネズエラの例も取り上げる予定でいます。どちらの国もやはり社会主義統制経済が生産活動の衰退や商業活動の混乱を起こしてひどいインフレを引き起こしています。

旧ソ連とロシアの話に入りますが、まずはソ連時代はどんな経済体制だったのかを見ていきましょう。
社会主義国家はどこの国でもそうですが、共産党一党独裁体制で全体主義です。国家元首も独裁者が多く冷酷非情な粛正で次から次へと大量殺戮を行ってきております。また一部の特権階級が国家の富を独占し、一般の人民・労働者は貧困と重労働に喘ぐといった国が目立ちます。社会主義圏は(無)計画経済でモノやサービスの生産や供給体制がボロボロになってしまうのです。

ソヴィエト連邦が導入した(無)計画経済の綻びが目立ちだしたのは1960年代からで、ブレジネフが書記長だった1970年代のときにはそれが鮮明になってきました。1920~30年代のときのソ連は一見高度な経済成長を実現させていたがに見えましたが、それはスターリンの粛正によって政治犯や思想犯にさせられた数百万人と言われる規模の強制労働従事者のほぼ無償の労働が支えていたともいわれています。スターリンは重工業偏重の産業政策と農業集産化(コルホーズソフホーズ)を推し進めていますが、このような国家社会主義的な手法が産業衰退の元凶となっていったのです。

かつてソ連はかなり高度な科学技術を有しており、コンピューター技術は西側とも引けを取らないレベルだったようですが、官僚主義的政策でこれを潰し、西側の劣化コピー版みたいなコンピューターばかり作るようになります。上で述べたようにソ連の産業戦略は重厚長大産業偏重で「軽薄短小産業」にも対応できず、半導体などの電子技術をはじめとするハイテク分野で西側に大きく遅れをとります。かつては優位に立っていた原子力や航空宇宙技術でも例外ではありません。ソ連の工業製品は経済効率や品質向上に無頓着なままでどんどんガラパゴス化していきました。

農業についてもコルホーズソフホーズによる国家主導の集産化は悲惨な結果をもたらします。個人の農業主がいなくなり、農夫たちは国家の指揮下で農耕をするのですが、お上から与えられたノルマやタスクだけこなしたら後は知らん顔です。(国労動労に現場を牛耳られていたかつての国鉄を思い出すといい) 当然収穫はひどく落ちます。

生産されたモノを流通させるにも細々とした役人の許可が必要で、貨車に積んであった農産物が手続きをしている間に腐ってしまっていたなどということまで起きていました。統制経済は不効率を極めます。生産されるモノ自体の量が少ない上に流通もダメだったのです。サービス業も全然育ちません。「赤い貴族」と云われる一部特権階級のみに財が集中し、一般の庶民たちはモノ不足に悩まされます。労働者は懸命に労働をしてもまったく報われないので労働意欲が極端に落ちます。サボタージュ以外に抵抗の術がありません。

ソ連の街はあちこちの国営店に食料や日用品を求める長い行列ができ、地下鉄の駅頭などには物乞いがたむろし、凍てつく夜の路上では安ウオツカの瓶を手に男が行き倒れていた有様です。
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おまけに公害も酷かったです。旧ソ連時代はまともに生産が伸びないのに財政だけが硬直的に増える一方でした。冷戦で長年にわたり軍拡を続け軍事費がかさんでいたことや、企業や一部の個人に多額の補助金を出していたので当然債務は膨張する一方です。インフレもソ連崩壊前から慢性化していました。そうした中でソ連最後の書記長であり、米ソ間の冷戦を終わらせたゴルバチョフペレストロイカ(改革)を進めようとしましたが、力及ばず失敗します。

ゴルバチョフ失脚後、急進改革派のボリス・エリツィンが大統領となり、ソ連は解体されロシアに戻りました。
ところがエリツィンが行った経済自由化政策は的外れかつ乱暴なもので、それがもとで一気にハイパーインフレが進行しはじめます。
その原因の第一はもちろん旧ソ連から引き継いだ膨大な債務ですが、それだけではありません。ロシアは旧ソ連政府が所有していた生産設備を格安で民間の企業家に払い下げてしまいます。それを譲り受けた企業は独占的に商品の生産ができるために、思い切りボッタクリ商売をしはじめます。これがインフレを加速させました。
経済自由化でロシアのインフレがひどくなったという記述をよく見かけますが、むしろ長く続いた社会主義によって市場原理が麻痺しており、適正な価格調整が働かなかったといった方がいいかも知れません。

それと運が悪いことに当時原油価格も下落し、資源輸出に大きく依存していたソ連・ロシアの経済はさらに大きな打撃を受けます。いまのベネズエラも同様です。

この猛烈なインフレと政府の財政難によって多くのロシア国民の生活はひどく痛めつけられました。年金生活者の生活がもっとも悲惨です。旧ソ連時代は医療を受けることは無償でしたが、給付水準が大きく下げられ、病気になっても医療を受けることができません。そのおかげで数百万人もの人が亡くなりました。医師もまた患者の急減で失業します。そして失業者も一挙に増加し、強盗や密輸などの犯罪が急増しました。ロシアの若く美しい女性たちは売春を行ったり、海外へ渡航して富裕層と結婚したりしたようです。

それからロシアは1998年8月に債務不履行宣言(デフォルト)をします。その後、預金封鎖やデノミが行われました。エリツィンに代わりプーチンが大統領の座につくまでロシア経済や治安は混乱の限りを尽くします。

ソ連崩壊後激しいインフレに見舞われたのはロシアだけではなく。ソ連に属していた他の15共和国も同様でした。

これによってロシア国民など旧社会主義圏に住んでいた人たちは自由主義よりもむしろ統制経済時代の方が良かったと懐かしんだりしていたようですが、どのみち避けて通れなかったことだと私は思います。ジンバブエとかベネズエラの状況を見るとそれは間違いのない認識だと痛感します。

社会主義ハイパーインフレを招くのはモノやサービスなど財の生産がひどく萎縮するからです。
モノ・サービスの生産・供給<需要・貨幣という状態で激しいインフレを招きやすくなります。歳入に見合わない歳出のバラマキがひどく国家財政も極度に悪化します。外債をあてにして財政赤字の補填をしますが、市場から見放され、それすらできなくなります。

健全な産業の活発化や育成ができない社会はハイパーインフレを引き起こしやすいのです。


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