新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

中南米諸国でハイパーインフレが続出した背景

ハイパーインフレを起こした国の事例をいくつか検証していますが、それを引き起こした国は激しい戦争を起こしていたり、社会主義共産主義国家であった場合が多いです。それともうひとつ目立つことは中南米諸国で多発していることです。それらの国を挙げてみますと現在進行形でハイパーインフレがひどくなっているベネズエラをはじめ、メキシコ・アルゼンチン・ペルーそして比較的経済力が強いといわれるブラジルなどが含まれます。ベネズエラのように社会主義色が強く、原油採掘以外の産業がほとんど育っていない国だけではなく、割と工業の発展に力を入れてきた国でも激しいインフレを経験しています。

中南米諸国の経済発展はアメリカをはじめとするグローバル金融市場から莫大な資金を融資してもらいながら進められてきました。とはいってもメキシコのラサロ・カルデナスやアルゼンチンのファン・ペロン将軍などといったポピュリスト政治家や軍事独裁政権によって国家主導型で進めてきたものです。中南米軍事独裁政権はカストロによって共産主義化したキューバに警戒感を抱いたアメリカがその諜報機関CIAを使って裏で支えたものでしたが、政策手法は国営や国策企業主導で重化学工業を重視するものであり、半社会主義的なやり方でした。当然政財癒着による政治汚職もひどく、貧富の差を激しくする原因にもなります。

このような経済戦略によって中南米諸国は1960年代あたりまでにかけて非常に高い成長を実現し、さらには労働者保護政策や社会保障も手厚く行ったのですが、1973年の第1次オイルショックを境に苦境へ陥ってします。
原因は原油価格上昇による物価高騰で輸入品が値上がりして貿易赤字が拡大したことと国際金融資本の資金引き揚げ、そして膨張した中南米政府が抱える膨大な外債の利子負担が重くなってしまったためです。
上で述べたように中南米諸国の急速な経済成長はグローバル金融資本の融資マネーに大きく依存するものでした。1960~70年代までグローバル投資家たちは国家による補償つきで高利子がつく中南米の国営・国策企業にドバドバと資金供与するのですが、1979年にアメリカのFRB議長ポール・ボルガーがスタグフレーションを止めるために金利の引き上げを行ってしまい、それがきっかけで中南米に投じた資金を引き揚げてしまいました。グローバル投資家たちがとった行動は「晴れているときに傘を貸し、雨の日に取り上げる」といったものです。
そして中南米諸国の政府が支払う外債の利子負担もすごく重くなってしまい、通貨下落やハイパーインフレの引き金になってしまったのです。

ブラジルの例をみますとジュセリーノ・クビシェッキ大統領やその後軍事クーデターで政権を獲った親米のカステロ・ブランコ将軍が行った政策で急速な経済成長を遂げ、輸出も好調でした。ブラジルは輸出だけではなく輸入の方も大きく伸びたのですが、オイルショックのときに輸入品の価格が高騰してしまい貿易収支を悪化させてしまいます。ブラジル経済にとって大きな打撃でしたが、それでもアメリカの銀行を通じてオイルショックで稼いだ中東の富豪たちの巨額マネーがブラジルへも流れ込み、ブラジルの経済活動は持っていました。
ところが上で書いた1979年のFRB金利引き上げによって、国際金融資本はブラジルに投じていた資金を引きあげてしまったり、5%から一気に20%の高金利となったことでブラジル政府の資金借り換えコストが高騰し債務が雪だるま式に殖えてしまいます。ブラジルは抱え込んでいた対外債務の償還がままならなくなり、82年から支払い遅延が続きました。ブラジルはこれまで債権国でしたが債務国に転落し、ハイパーインフレを引き起こします。

アルゼンチンのファン・ペロン将軍も工業化による経済発展を試み、同時に手厚い労働者保護や社会保障充実の政策も打ち出しました。しかしながらペロンは工業偏重で農業で得た貿易黒字を国内産業保護に回し、農業や牧畜業を衰退させてしまいます。おまけに国策企業と政界の癒着がひどくなり政治腐敗も進行します。この後ペロニストと軍部の軋轢がひどくなり、やはり軍事クーデターが起きるのですが、贈収賄の横行など政治腐敗が進行しました。政治のゴタゴタが長引き、アルゼンチンの治安や経済の悪化がどんどん進行します。
軍事政権はフォークランド紛争でイギリスに喧嘩を売ってしまい、激高した”鉄の女”サッチャーはアルゼンチンに対し反撃の指令を出します。その結果アルゼンチン軍とフルボッコにされました。アルゼンチンの軍事政権は崩壊し、このあと1989年に年率5000%のハイパーインフレを起こします。

その後メネム政権が関税の引き下げ・貿易自由化や国営企業の民営化と投資制限撤廃を行い、90年代前半には経済成長を取り戻すとともに、通貨ペソをドルペッグの固定相場制にしてハイパーインフレを抑えると共に、アメリカなどの海外資本が通貨変動を気にせず投資しやすい環境を整えました。

ところがアジア通貨危機中南米諸国への襲い掛かかってきます。南米諸国の政府は必死に手持ち外貨を使って投機筋の売り攻撃に対抗しようとしますが、ブラジルは耐えきれず自国通貨レアル引き下げを行わざるえなくなりました。一方アルゼンチンのペソは何とか通貨下落を避けることができましたが、皮肉にもそれが仇となりブラジルとの輸出競争に負けてしまいます。日本の円高不況と同じ構図です。この結果11%にも及ぶマイナス成長への転落と失業率20%という事態を生み、国民の4割が貧困層となる悲惨な状況を招きます。1950年代は豊かな先進国だったアルゼンチンは半世紀で見るも無残な底辺国に成り下がります。

アルゼンチンは経済悪化と共に国家財政危機も進行し、国債金利も上昇してしまいます。海外への預金流出も激しくなる一方で外貨準備金も不足しました。政府はIMFに緊急支援を要請しますが、IMFからかなり厳しい緊縮財政を要求され、政府議会はそれを認めなかったためにIMFは融資を断ります。そしてついにアルゼンチン政府はデフォルト(債務放棄)を宣言し、ドルペッグを捨てて変動相場へ移行することになりました。またも悪性インフレの再発です。

メキシコについてはオイルショックによって、逆に国外からのメキシコ国営の石油会社や電力会社への投資が急増します。さらにメキシコは労働者の賃金が安かったために外資の製造業がどんどんメキシコに進出して、多くの融資を受けております。
一方融資する側のアメリカをはじめとする投資家たちはメキシコ政府による債務保証がしっかりついた石油公社や電力会社は安全な投資先だと見ていました。しかもメキシコはアメリカよりも高い金利をつけていますのでガバガバ稼ぎまくれます。ローリスク・ハイリターンの美味しい投資です。
このような理由でメキシコの対外債務は急増していったのですが、石油や輸出で稼いだ金で高い金利を支払い続けることができていました。ところが1980年代になって上で述べたようにアメリカのボルカーFRB議長が金利を思い切り引き上げます。これによってメキシコの対外債務利払いの負担が非常に重くなり、財政負担能力を超えたものになってしまいました。1982年にメキシコはそれに耐えきれず利払い一時停止(モラトリアム)をせざる得ないことになってしまいます。第1次メキシコ通貨危機です。このときに急激なインフレと失業が発生し、メキシコ国民の生活を痛めつけます。
メキシコではその後国営企業の民営化が行われ、富裕層にそれが払い下げられます。さらに1984年のウルグアイラウンドへの参加やNAFTA北米自由貿易協定)で再びメキシコへの投資ブームが訪れますが、1994年南部で起きた先住民による武装反乱と大統領選挙の候補の暗殺でそのバブルが崩壊し、第2次メキシコ通貨危機を迎えます。

ざっと3つの例だけを挙げましたが、ひと言でまとめると中南米ハイパーインフレは、外債に大きく依存しながら工業化や労働者保護ないしは社会保障を推し進めてきたものの、結果的にアメリカとグローバル金融資本に翻弄された故に起きたと言っていいのかも知れません。

~お知らせ~
今後日本の政局や北朝鮮問題についての論考は下記ブログで掲載していきます。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet
イメージ 1