新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

ブラジルのハイパーインフレ

今回はベネズエラに続き、ブラジルで起きたハイパーインフレの検証を行っていきます。「中南米諸国でハイパーインフレが続出した背景 」で既に概略を述べましたが、もう少し詳しく経過を述べていきます。

もう一度第2次世界大戦後からのブラジルの歴史を振り返りますと、オイルショックのときまでは「ブラジルの奇跡」と呼ばれるほど急速な経済成長を実現します。ジュセリーノ・クビシェッキ大統領やその後軍事クーデターで政権を獲った親米のカステロ・ブランコ将軍が重化学工業やインフラ整備を中心とした産業政策と社会保障制度の拡充を併せた経済政策を行い、それが奏功します。この国で使っていた通貨はクルセイロで、戦後割と高めの為替レートで固定されていたために輸出があまり伸びず、貿易収支は赤字気味だったのですが、輸入品を自国内でライセンス生産したものに切り替えていく輸入代替工業化で経済成長を計る戦略をとっていました。

しかしブラジル経済は他の中南米諸国と共通する落とし穴があって、工業化やインフラ整備の資金をアメリカの銀行や投資家をはじめとするグローバル金融資本に大きく依存したものだったのです。この資金はドル建て・変動金利型で調達したものでした。
1960年代あたりまでのブラジル経済は好調だったのですが、1970年代におきたオイルショックのときからおかしくなっていきます。1973年の第1次オイルショックのときは原油価格上昇に伴ってブラジルが輸入していた商品の価格も高騰し、貿易赤字が拡大します。このときは自国通貨の切り下げではなく輸入代替工業化で乗り切りますが、第2次オイルショックとボルカー・ショックがブラジル経済にとどめを刺します。
ボルカー・ショックとはアメリカで発生したスタグフレーションを食い止めるためにポール・ボルカーFRB議長がかなり厳しい金融引き締めを行い、金利を思いきり上げてしまったために起きたショックです。これによってアメリカ国内の物価高騰にブレーキがかかりましたが、アメリカの銀行や投資家たちから融資を受けていた中南米諸国はとばっちりを受けます。

米国の金利引き上げに伴い、ブラジル等が抱えるドル建て・ドル払いである対外債務の利子支払いが一気に跳ね上がります。ブラジルの債務負担が急激に重くなりました。米国の金利引き上げはこれまで米国の銀行や投資家たちが積極的に行っていた中南米への投資も冷え込ませます。中南米は資金づまり状態に追い込まれました。高金利によるドル払い債務の負担増と高騰した原油の支払いでブラジルの外貨は急速に減少し、外貨準備が底をつきます。また輸入代替工業化で自国生産を行い、輸入を抑えてきましたが、設備や原材料費は輸入に依存していたためにオイルショックによる輸入インフレが強くなっていました。

1982年にブラジルと同様の状態に陥っていたメキシコがついに債務返済不能(デフォルト)になります。これに引きずられるようにブラジル通貨も下落したためにブラジルの対外債務の返済負担はさらに拡大し、1983年からIMFの融資を受けるようになりました。負債元本の返済は延期し利子払いだけだけを行う形にしていきます。

それとブラジルの場合物価に合わせて労働者(政府系企業に従事する者が多数)の賃金や社会保障費・国債価格をスライドさせるインデクセーション制を導入していたのですが、インフレが進むと財政支出がどんどん増えてしまいます。税収が伸びない上に外資から融資も受けられないために不足する財源は貨幣の増刷による通貨発行益(シニョリッジ)に頼るしかありません。カネがだぶつくのでインフレはますます加速し、さらにインデクセーション制維持のためにまた財政赤字が増えて通貨の増刷という悪循環にはまります。次第にインフレ上昇のスピードに賃金や社会保障費の増額が間に合わなくなり、実質賃金が下落することになります。

外債の借り換えコスト上昇と上で述べた財政支出の増加でブラジルの国家財政は火の車になっていきました。
1986年に財政赤字を抑えるためにジョゼ・サルネイ政権はインデクセーション制を廃止し、価格を凍結、賃金を抑制、住宅ローンや家賃を凍結、為替レートも固定といった極端な改革を実施します。(クルザード・プラン)
これによって激しいインフレは一旦収まりますが、賃金水準はまだ物価に対し高いままだったために、モノ不足状態を生み、闇市の横行もあって再び激しいインフレが起きます。
そしてさらに国内市場でのモノ不足によるブラジルの輸出縮小で外貨不足がさらに進んで、1987年には外債の利子払いまでも停止しデフォルトしてしまいます。品薄状態だったところに通貨暴落が加わって商品の価格が急騰しインフレがどんどん加速しました。

これを食い止めるためにサルネイ大統領は1988年からサマープランと称して徹底した緊縮財政と国営企業の民営化を断行します。食糧品など消費者向けの補助金を廃止し、公務員数の削減や銀行に対する法人税率引き上げも行おうとしましたが、議会の抵抗があってうまく進みません。そしてハイパーインフレは月率50%(年1000%以上)でどんどん加速します 。やはりクルザードプラン同様にサマープランも頓挫し、サルネイ政権は不人気のまま1990年に退陣しました、

次のフェルナンド・コロール大統領もまた規制緩和や対外貿易の振興、政府支出の抑制など、先進国受けする一連の政策を掲げて経済の建て直しに乗り出そうとしますが、インフレの抑制はできず、1992年には汚職疑惑から大統領を罷免されてしまいます。この後イタマール・フランコが大統領を引き継ぎ、国政の建て直しを行ったのちに彼の秘蔵っ子というべきエンリケ・カルドーゾに政権を譲ります。

カルドーゾ政権は外資規制や国家独占を撤廃して国営企業の民営化を推進するなど新自由主義的な政策を前面に出し、産業保護政策時代とは一変した経済構造を築き上げました。
1994年に貨幣を新レアルに切り替え、ドル・リンクとするレアルプランで高インフレを見事に収束させることに成功します。マクロ経済の安定化が実現したために貿易の自由化や構造改革の推進による経済の効率化が進みました。欧米企業を中心にブラジル向け投資が活発化し、ブラジル経済は復活します。
レアルプランはその後、固定相場制で為替レートが高くなりがちで、外貨バランスの保証上金利も高くしておかねばならず、ブラジル経済発展の足かせになりかけたので1999年に廃止されましたが、これに代わってインフレターゲットによる物価統制が導入されます。
カルドーソ政権はインフレの元凶である財政赤字問題にメスを入れるべく、行・財政改革、年金制度改革などを推し進めましたが、この間失業増や貧富の差拡大が進み、長年の政治腐敗も払拭できないために国民の不満が募る一方でした。

そのため左派系政党の労働者党に属するルーラに政権を譲り渡すことなったのですが、カルドーソの手堅い経済政策を引き継ぎ「インフレ・ターゲット」「変動為替相場制」「プライマリー収支目標の設定」の3本柱も踏襲します。ルーラの代でIMFの目標値を超える財政黒字を達成し、2009年にはIMFに対する純債権国となりました。悪性インフレも抑制できたのです。

ところがルーラの次のジルマ・ルセフ大統領に移ってからまたブラジル経済は崩れかけています。2015年にはマイナス成長を記録しました。大企業の業績低迷は深刻で国内主要15社の負債総額は1500億レアルにおよび、債務不履行の可能性があると危惧されております。

ブラジルの経済状況は他の中南米諸国と比較してかなりマシな方ですが、それでも多くの不安定要素を抱え込んでいる経済体質であることには変わりないようです。

次回はアルゼンチンで起きたハイパーインフレです。


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