新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

中野剛志氏の内生的貨幣供給についての解釈

財政政策のあり方 」編で自民党の安藤裕議員らが集まって行った「日本の未来を考える勉強会」の講師として参加した中野剛志氏が説明したMMT(現代貨幣理論)や彼らの貨幣・負債に対する認識について批判しました。


問題の動画
自民党「日本の未来を考える勉強会」

私自身も極端な財政規律偏重主義やそれによる増税や緊縮財政に反対する立場ですが、MMT論者のいうように財政赤字を出さなければならないなどという主張には全く賛成できません。国の財政赤字が拡大すればするほど国民が豊かになるなどという法則性は日銀の資金循環表を見ても確認できません。民間企業と政府が負債のキャッチボールを繰り返してきたといった方がいいです。


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中野氏やMMT論者が行っている主張の問題は信用貨幣論の解釈からはじまっていることは既に述べました。上の記事は国家財政問題というテーマに沿って書いたものですが、他にも動画を視ると中野氏のマクロ経済政策の理解や認識がおかしい点がいくつも見つかり、とても看過できないものです。それを書き残したままだったので稿を改めて再批判することにしました。

今回取り上げる予定は中野氏のリフレーション政策に対する見方の根本的な間違いと内生的貨幣供給説の解釈の問題です。これについては中野氏以外も多くの人が誤認してしまっていることです。私も含めてでした。まずは内生的貨幣供給説の解釈をどうすべきかというところから入ります。外生的貨幣供給説内生的貨幣供給説?という言葉を聞いても多くの人がピンとこないかも知れませんが、まずは貨幣がどのような形で生まれ、市中に供給されていくのかということを復習しないといけません。

貨幣は誰かが借金をすることによって生まれる。この点については中野氏やMMT論者と私の認識は同じです。いまわたしたちが手にする紙幣は民間の市中銀行が誰かに融資するという形の信用創造によって生まれています。(いわゆる「万年筆マネー」)
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次の図は信用創造で生まれたマネーがどのような形で市中へと供給されていくのかということを示したものです。これが外生的貨幣供給説と内生的貨幣供給説に関わってきます。
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アベノミクス量的緩和政策で日銀は民間銀行に設けさせた日銀内の当座預金に準備預金(ベースマネー)を大量に積み上げてきました。銀行が誰かに融資すると日銀内の当座預金から積み上げられたベースマネーが引き落とされ、融資金として市中に供給されることになります。

景気がいいときは企業の投資意欲が活発ですし、民間銀行の融資も積極的になります。

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しかし不況になり、企業の投資意欲が萎縮したり、民間銀行の貸し渋りが起きてしまうと、信用創造が進ます、市中へのマネー供給(マネーサプライ)が減少したり、市中での貨幣の回転速度が低下します。三重野康日銀総裁がバブル退治と称して強烈な金融引き締めをやってから、銀行の融資態度が硬化し、企業の投資が急減しました。「失われた20年」のはじまりです。
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その後1990年代末期に宮澤喜一財務大臣らが政策金利のゼロ金利化といった金融緩和をやったりしたのですが、すぐに緩和解除を行ったりしたために、なかなか民間の投資意欲が回復しませんでした。ケインズが述べていた流動性の罠にはまったと見られます。この辺から金融緩和懐疑論が生まれ、経済学者の岩田規久男教授と日銀側の翁邦雄氏との間で激しい論争がおきます。

岩田・翁論争についてざっくり説明すればマネタリーベースとマネーサプライ(現在日銀はマネーストックという)の関係についてです。岩田教授はきちんと日銀がベースマネーというハイパワードマネーを積み増ししていけばマネーサプライは増えていくと述べていたのですが、これに対し翁氏が「市中銀行の貸出し態度によってマネーサプライの大きさが決まり、それに見合うように日本銀行はマネタリーベースを受動的に供給するしかなく、マネーをコントロールすることはできない、」「「日本銀行が所要準備の後積みを行っているという観察事実に基づくものであり、岩田が用いた上述の恒等式において、信用乗数には乗数の意味はなく、マネーサプライとマネタリーベースとの事後的な比率に過ぎない」と反論します。ここで外生的貨幣供給説と内生的貨幣供給説の登場となります。

外生的貨幣供給説とは政府ないしは中央銀行がマネーを大量に刷って、市中にそれを供給していけばフィッシャー交換方程式(貨幣供給M×貨幣回転速度V=物価P×財の取引量T)の法則通りに民間の消費や投資が活発になって物価もそれに伴い上昇していくだろうという見方です。国や中央銀行が市中へマネーをゴリ押しするような貨幣供給になるので、そのマネーをハイパワードマネーと呼びます。

一方翁邦雄氏が主張した「市中銀行の貸出し態度によってマネーサプライの大きさが決まり、それに見合うように日本銀行はマネタリーベースを受動的に供給するしかない」という見方は内生的貨幣供給説によるものだと見られます。つまりはマネーサプライは市中の企業が活発に投資を行ったり、個人が消費をしないと、国や中央銀行がいくらお金を刷って増やしても、マネーサプライは増えようとしない。日銀が民間銀行用の当座預金口座にいくらベースマネーをブタ積みしても、マネーサプライは増えないから無駄であると述べ、岩田教授を批判したのです。
イギリスのことわざで「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」というものがありますが、内生的貨幣供給説もそうした見方です。ちなみに日銀がマネーサプライをマネーストックという言い方に変えたのも、こうした背景があります。

中野剛志氏や三橋貴明氏らの金融緩和政策に対する発言を聞いてみると、翁邦雄氏が述べていたことに近いと気づくでしょう。中野剛志氏や三橋貴明氏らが(流動性の罠に陥っているようなときは)量的緩和政策は効力を発揮しないと述べているのは翁氏を代表とする日銀理論と同じです。

さて問題はここからです。
どうもZ省や金融機関の御用学者と云われる連中や中野剛志氏や三橋貴明氏らの発言を聞いてみると、量的緩和で日銀が民間銀行用の当座預金ベースマネーをブタ積みすること(のみ)が無駄、あるいはハイパワードマネーとはベースマネーのことだけだと思い込んでいるのではないかと見受けられます。
そういう解釈をするとなると、わざわざ民間企業が投資意欲を高め、民間銀行が信用創造や融資を活発に行われることによってブタ積みされたベースマネーが市中へ供給されていくのを待つのはまどろっこしい。だったら国が財政出動をして直接市中へお金をばら撒いてやった方が手っ取り早いじゃないかという発想が出てきてしまいます。(私もそうでした)

ケインズが可能性を指摘していた流動性の罠についての解釈も同様で、以前の教科書に書いてあるように「流動性の罠に陥ったときは金融緩和が無効になるが、財政政策は有効」程度の認識に留まっている人がほとんどです。また上と同様に「マネタリベースを増やしても投資が増えない」程度の認識しかなく、市中へ送り込むマネーサプライを増やしても、お金が遣われず死蔵されという解釈をする人はあまりいません。

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松尾匡先生が流動性の罠について面白い文章を書かれていました。(以下引用)
現代のケインズ理論の結論によれば、政府支出を増やすことによる景気対策の効果はあまりないということになっている。なぜなら政府支出の増加で増えた人々の所得は、流動性のわなのもとではすべて貨幣のまま持たれてしまので、消費需要の増加として広がっていくことはないからである金融政策についても、金融引き締めなどして貨幣供給を減らせばますます不況が悪化するという意味では影響があるが、逆に金融緩和で貨幣供給を増やしても、全部人々がそのまま持ってしまい世の中に出回らないので何の効果もないつまり旧来のケインジアン以上に深刻な不況の存在を説きながら、新古典派をもしのぐ政策無効命題を導きだしているのである」
(→松尾匡先生のサイト「用語解説 ケインズの経済理論」 )

ともあれケインズ流動性選好仮説を突き詰めていくと、自称ケインジアンらが言うような「金融政策がダメなら財政出動でカネをばら撒けばいい」とか「そうしたら物価が勝手に上がって景気や消費も回復する」などという発想が実に幼稚で雑駁な論法でしかないことがわかってきます。

勘違いしてはいけないのは流動性の罠マネタリーベースを増やしても投資が回復しないだけではなく、マネーサプライを増やしても投資や消費が活発化しない現象です。量的緩和政策ではなく、財政出動で大量にカネをばら撒けば流動性の罠から簡単に脱出できるなどというのはバカです。そんなことを言うのは完全に似非ケインジアンです。

そういう観点に立って動画を視ていると中野氏はそうした間違いをしていることに気がつきます。よくリフレ派は市中のカネの供給量を増やしさえすれば景気がよくなり、物価も上がると信じ込んでいるマネタリストだと云われますが、むしろ中野氏らこそ単純な貨幣数量説にしがみついたマネタリスト的発想の持ち主で、外生的貨幣供給論者なのです。財政政策で政府が市中にカネをバラ撒くマネーも外からゴリ押しするという意味でハイパワードマネーです。中野氏や三橋氏はケインズ派と云われますが、ケインズ理論の核心というべき流動性選好仮説や外生的もしくは内生的貨幣供給説を正確に理解しているのか疑わしくなってきました。

一方リフレ派の急先鋒と見られてきた岩田規久男教授の方が翁氏との論争後、単純な貨幣数量説(マネタリスト)的見方だけではなく、上で述べたようなケインズ流動性選好仮説の見方や内生的貨幣供給説を視野に入れた論理を構築していかれました。

岩田規久男教授が日銀の副総裁に就任する前に書かれた本の抜粋です。

多くの人が誤解しているが、マネタリー・ベースの持続的な拡大によるデフレ脱却は、中央銀行がばら撒いた貨幣を民間がモノやサービスに使うことから始まるのではなく、自分が持っている貨幣を…使って株式を買ったり、外貨預金をしたりすることから始まるのである。

 量的緩和は…「モノの購入に使われる結果、物価を引き上げる」のではなく、為替相場や株価に影響を与えることから、その効果を発揮し始めるのである

さらに日銀副総裁就任後に述べた言葉です。

ここまでお話ししてきたように、私も含めたリフレ派と呼ばれる人たちは、マネーを非常に重視しています。しかし、現在の貨幣が増えればインフレになる」という素朴な貨幣数量説を主張しているのではありません。中央銀行の金融政策レジームと、そのレジームを前提にした投資家による将来の貨幣ストックの予想こそが、現在の金利や予想インフレ率に影響するのです。「銀行の超過準備がいくら増えても、企業への貸し出しは増えていない」との批判はまったく筋違いといえるでしょう。」

次回繰り返し解説する予定ですが、リフレ派と云われる人たちは「マネタリーベースをどんどん増やせばマネーサプライが増えて、物価が上昇したり景気がよくなる」などという単純な貨幣数量説的発想はとっくの昔に捨てています。現在のリフレーション政策を裏付ける論理は企業や個人が持つ将来の予想を変えることによって投資や消費の行動を変える合理的期待仮説に則ったものです。

皮肉なことにケインジアン一派の一人と目された中野氏が既にもう多くの経済学者から捨てられている単純な貨幣数量説や外生的貨幣供給説にしがみつき続け、マネタリストと云われたリフレ派の方がケインズ流動性選好仮説や内生的貨幣供給説、合理的期待仮説によって理論強化を進めてきたというねじれ現象が起きているのです。

そのことを頭に入れて中野剛志の発言を聞くと、「あんたの経済知識は四半世紀前のレベルだよ」と言いたくなってきます。現代貨幣理論?そんな話をする前に基本的な経済学の教科書を読み直すべきでしょと。

追加参考記事
 田中秀臣教授


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