新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

終末期医療について考え直す

久々のブログ更新です。「社会保障・福祉・医療問題 」編は年金保険問題から医療保険問題に話を移しております。現在日本はどんどん国民医療費が膨張してきたのですが、その要因として前々回前回に取り上げた非常に高コストな先進医療の他に老人医療費の増加が指摘されています。現実に日本の医療費の6割は高齢者に対して支払われている状況です。今回はそれと関係の深い終末期医療のあり方について考えていきます。

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本題に入る前に念押ししておかねばならないことがあります。医療と経済の話で気を付けるべきことです。
このブログは経済問題を扱うブログであり、医療や福祉問題もお金やコスト負担の話をせざる得ないのですが、この問題は人の生命に大きく関わるものです。高齢者医療に多くのお金や労力が注ぎこまれているのですが、それを簡単に削減しましょうなどとは言えません
これから終末期医療とそのコストの話をしますが、医療費削減ありきで話を進めていくことは非常に危険です。まずは終末期を迎える患者さんたちのQOL(クオリティ オブ ライフ ~生命と生活の質~)を守り、高めるための医療とは何を考え、その結果コストパフォーマンスの高い医療が実現するという流れにしなければなりません。

断り言を済ましましたので本題に入っていきますが、日本の終末期医療について本人が望んでいないにも関わらず、医療側が人工呼吸器や人工栄養、胃ろうなどといった過剰な延命治療を続け、患者さんに重い治療負担と苦痛を与えてしまっているという問題が指摘されています。有名なのは兵庫県尼崎市で在宅医療に取り組んでおられる長尾和宏医師でしょう。

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自分が末期癌などになってしまった場合、あるいは老衰で体が弱り切ったときに、いかなる治療を受けるのか決めるのは自分自身だと私は考えています。自分は少しでも長く生きたい・病気と闘い抜きたいと考えるか、最期は自然に任せ平穏死を選ぶかは個人の判断に委ねられます。
しかしながら現実に行なわれている終末期医療は無批判に、患者をベルトコンベアに載せて、流れ作業的に決められた延命治療を施していくという形になりがちです。点滴を続け、毎日高頻度に吸痰をしないといけない状況になってくると、看ている側も辛くなっていきます。自分も既に両親は他界しておりますが、最期の看取りについてはこれでよかったのかという後悔が遺っています。
そういう経験から自分も死期が近づいてきたときは、過剰な延命治療は行わず枯れるように逝かせてほしいという希望を持っています。(遺言がわりか) 医師や看護師が判断に困らないよう自らの意思を周囲に伝えておかねばと考えています。

以前スウェーデンの福祉サービスについて調べていたときに、あるレポートでベテランの訪問看護師が吸痰の必要に迫られ、「私、こんな経験はじめてよ」と仲間の看護師と話す姿が書かれていました。日本の医療や介護福祉現場では吸痰が当たり前の光景となっていますし、自分の両親もその処置をしてもらいました。そういう意味で自分は「えっ!ホントなの?」と驚いたものです。
このことも理由を探しますと、スウェーデンに限らず欧米諸国の多くが、完全に食欲を失った高齢者に無理な食事介助を押し付けたり人工栄養を行わないので,短期間で亡くなり,寝たきりにならないという実状があるようです。そのため,誤嚥性肺炎の発症も少ないそうです。あと点滴の場合体へ水分をどんどん送りこんで水膨れ状態にし、それがよけい痰の発生を進めてしまうことになると指摘する医師もいます。日本の場合そうした高齢患者を医療側がつくってしまっているということも反省すべき点ではないでしょうか。


終末期医療の現場で患者さんのQOL向上につながらない無理な延命治療は国民医療費の膨張にも直結します。高橋洋一教授が官僚時代に経済財政諮問会議特命室で討議資料を作成していたとき、ある大学病院の協力を得て、分野別医療費のコストパフォーマンスを測定させたそうです。そうしたらコスパの「良い分野」と「悪い分野」に二極分化しまったとのことです。コスパの悪い分野は、終末期医療に集中していました。


大きな病院内でひとりの医師が無理な延命治療を控えようと思っても、患者家族の中にひとりでもそれに反対する人がいればできなくなります。医師が勝手に延命治療を中断してしまうと患者から訴訟を起こされるリスクがあり、その予防線として結局人工栄養点滴や人工呼吸器、投薬などの治療を継続してしまうことになるのです。
それと病院も入院患者の7~8割が経管栄養や中心静脈栄養で延命している患者であり、これらの治療をやめると2週間ほどで亡くなってしまう人たちです。そうした患者さんがいなくなってしまうと病院のベットは空きだらけになってしまい、病院経営は苦しくなります。そういった事情で延命治療は「わかっちゃいるけど、やめられない」のです。

日本の場合尊厳死に関する法整備があまり進んでおらず、裁判の判例以外に延命中止・差し控えに関する法的規定がない状態です。このため、医療現場は身動きがとれません。

終末期医療問題は自分自身の死期をどう迎えるのかというライフデザインという意味だけではなく、国民医療費問題にも関わっていることです。その答えは各人ひとりひとりが考え、決めていかないといけないことです。いずれにしても我々にとって逃げようがない問題だということを肝に銘じておくべきでしょう。


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