終末期のがん患者さんはそれによる疼痛の他に倦怠感や呼吸困難の症状に襲われることが多いです。その呼吸困難に対する対処はモルヒネ・ステロイド・安定剤などの薬物療法で対応する場合が多いのですが、酸素吸入が有効なことも少なくありません。しかし医療保険制度で在宅での酸素吸入が認められているのは高度慢性呼吸不全や慢性心不全などの慢性的なものに限られており、急性の呼吸困難には保険適用されないのです。
となると在宅で緩和ケアを受けていた人が急性呼吸困難に陥った場合は病院に入院するしかないことになります。
在宅緩和ケアの訪問診療を行う山崎章郎医師(左)
これまで在宅での緩和ケアを希望し、自宅で最期を迎えたいと思っていた人やその家族に、医師が「制度ですから」といっていきなり入院させることはできないものです。そのために在宅緩和ケアを行っている現場医師が自己裁量で「治療上必要」「やむを得ない事情」であったという名目で酸素吸入を行います。そうした形で訪問診療医は診療報酬請求をしてきました。診療報酬を査定する側もお目こぼしといった形で報酬請求を認めていたのです。言葉悪くいえばクルマで制限速度50㎞/hのところをあえて数km/hほどオーバーして走るようなもので、取り締まる警察側も多少の速度超過なら見逃してやるかといった態度をとっているのと同じです。
ところが近年国が緊縮財政で医療費の保険支払いを厳しく引き締め出し、診療報酬請求の査定が厳しくなってきました。在宅緩和ケアで急性呼吸困難に陥った患者に酸素吸入をした場合はその診療報酬支払いを認めないという査定をするようになってきたというのです。
となってくると在宅酸素のレンタル料約70000円をクリニック側が自腹で負担しないといけなくなってきます。いくら良心的なクリニックであれども、赤ひげみたいなことは続けられません。訪問診療医が呼吸困難で苦しむ患者さんがいても酸素吸入に踏み切ることを躊躇う可能性が出てきます。在宅緩和ケアを選んだはずの患者さんを呼吸困難で緊急入院させたり、患者さんが苦しむまま放置せざるえない状況が多発しかねません。
山崎医師は終末期がん患者や、入院を望まない在宅療養中の老衰の肺炎患者への在宅酸素療法の適応を拡大を訴えますが、国や医療保険財政のことを考慮して1カ月に1回行われている在宅酸素療法指導管理料と酸素濃縮装置使用加算の算定を1週間単位にすることを提言されています。
山崎医師によると終末期がん患者や老衰による肺炎患者の多くが1カ月以上も在宅酸素療法を必要とする状況は少ないので1週間単位の診療報酬査定にし、報酬を4分の1にすれば支払うその額が少なく済むのではないかということです。
こういう形で在宅酸素療法を終末期がん患者や老衰の肺炎患者が起こす急性呼吸困難にも適用拡大すれば訪問診察医師たちは堂々とその治療を行うことができ、なおかつ医療費削減にもつながる可能性が出てきます。
国民医療費膨張の抑制を計るために高齢の長期入院患者を医療部門から福祉部門へ委ねたり、入院治療から在宅医療へとシフトさせようとしてきたのは国や厚生労働省です。しかしその一方で現場の医師が患者の在宅ケアを躊躇わせるような診療報酬制度や保険医療材料制度を改善するどころか、査定の締め付けだけを強化するようなことをやってしまっているのです。やっていることがちぐはぐです。
これでは患者や現場の医師に大きな負担を圧しつけるだけになるでしょう。単なる高齢患者の切り捨てになりかねません。
現場の医師がやった方がいいと思う治療法があったとしても、その治療法が保険適用されていないという問題は在宅酸素療法に限ったことではありません。佐藤秀峰氏の「ブラックジャックによろしく~癌医療編~」でも同じような問題が取り上げられていました。ある患者のために使いたい抗がん剤があるのに、そのがんには保険適用されていないから処方ができないという問題です。
現場の医師や病院・診療所が苦しむ患者さんを見かねて自己負担・・・・・いやひどい場合は診療報酬の不正請求を覚悟で保険外の治療行為をせざる得なかったり、一方で効果がほとんど期待できないような薬剤や治療法が延々と続けられ、コストパフォーマンスが悪い医療になってしまっていたりするといったことが起きていたりします。