新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

産業革命の陰で進んだ労働者の貧困

前回の記事「プロテスタンティズムと絶対王政下で生まれた懲罰的なイングランドの貧民法(救貧法) 」に続いて、今回も資本主義経済黎明期にイングランドで発生した貧困問題の話です。時代は18世紀半ばから19世紀半ばにかけて起こった産業革命まで下ります。

イングランドの得意産業は、毛織物や綿織物といった繊維業であり、産業革命もだから、産業革命もその分野から始まりました。まずはジョン・ケイが発明した飛び杼やハーグリーブズのジェニー紡績機、クロンプトンのミュール紡績機、アークライトの水力紡績機といった新しい紡績機械の発明が工業化の皮切りになります。イングランドの産業は工場制手工業(マニュファクチャ)から工業製機械工業(インダストリー)へと進化します。
さらにワットによる蒸気機関の発明や、それを応用した鉄道や蒸気船などの開発が加わり、工業化社会や資本主義経済が一気に開花していくことになります。

しかしながらその陰で多くの労働者たちが、劣悪な現場環境の中で長時間の過重労働を強いられていました。
都市に流れてきた貧者は女・子ども関係なく、奴隷労働に従事せざるえなくなります。現代のように労働基準法最低賃金制度、労働災害保険や児童労働の禁止といった労働者保護の法規制が存在しませんでした。ですのでまだ幼児でしかない子どもを朝の3時から夜の10時から10時半近くまで働かせる工場が出てきたりします。

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イングランドの児童労働で最も酷いのは煙突掃除でしょう。狭い煙突内で煤を吸い込みながらの作業です。当然転落事故などの危険がものすごく高く、そうした事故に運よく遭わなくても、肺病等を病んで若くして命を失います。あと海軍の少年水兵らの場合は火薬を運ぶ仕事をさせられており、こちらも非常に危険な労働でした。

 小檜山青様 

日本で労働者を過酷な勤務やパワハラでどんどん潰してしまうような企業が「ブラック企業」と呼ばれ、大きな社会問題になりましたが、当時のイングランドはそれをはるかに超える酷さです。

またロンドンの街は公害と貧困、疫病、犯罪が蔓延した暗黒街でありました。工場から排出される煤煙や悪臭が街中を覆い尽くし、多くの市民が肺病を患います。

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さらに道には馬や犬の糞が転がり、猫とかの死体だけではなく、行き倒れの凍死者の遺体も放置されている有様です。テムズ川は茶色く濁ったドブ川であり、ゴミだけではなく溺死体も流れてきます。

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産業革命当時のイングランドはヴィクトリア王朝の時代でありましたが、王家は街の貧民たちの暮らしに目を向けることなく、豪華な宮殿で宝石や花束に囲まれながら、贅沢の限りを尽くした優雅な生活を送り続けました。荘園の地主(ジェントリー)や独立自営農民(ヨーマン)、そして教会関係者でも貴族でもない市民の一部(都市ブルジョアジー)たちは、借金をしながら機械を購入し工業を始めますが、事業に成功して蓄財を重ねて資本家に成り上がっていきます。産業革命の恩恵をえた富裕層と貧困で苦しむ労働者階級と別れ、この頃からイギリスには二つの国民がいると言われるようになりました。

封建時代の教会関係者や王侯貴族に変わる新たな支配階級として台頭してきた資本家たちですが、彼らの思想や行動の柱となったのは自由主義リベラリズム放任主義レッセフェールです。ブルジョアジーを中心とした清教徒革命や名誉革命によってイングランド絶対王政は崩れ、封建時代や絶対王政下における教会による宗教的支配や王侯貴族らの専制的支配を排斥しようという機運が高まります。
新興のブルジョアジーたちは商工業活動の大きな支障となる国家による政治的介入や規制とか東インド会社のように王家とそれに媚びへつらう一部の政商らが貿易の権利や利益を独占してしまうようなレントシーキングを徹底的に嫌います。
絶対王政下で重商主義が強かったときは保護貿易でしたが、資本家たちは自由貿易を望みます。その自由貿易に理論的根拠を与えたのは古典派経済学者の一人であるデヴィット・リカードゥらが証明した「比較優位の原則」です。現在においてもミクロ経済学の鉄板理論のひとつとなっています。
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自由主義は王侯貴族や教会による封建的かつ宗教的な抑制を排し、資本家たちが自由に生産活動や交易活動を展開していくことによって、資本主義社会が大きく開花し、これまでにない経済発展を実現します。
リカードゥの論争相手だったトマス・ロバート・マルサスは「人口論」の中でイングランドの人口膨張によって食糧不足を招き、貧困の拡大を招くといった主張がなされていましたが、産業革命による生産・供給力の飛躍的な拡大を実現し、増えた人口の食い扶持を賄うことができました。これは産業革命の大きな功績であり、光の部分です。産業革命がなかったらマルサスの言う通り、人口飽和によってさらなる貧困や飢餓がイングランドを襲っていたことでしょう

しかしながら資本家たちの無政府主義的(アナーキー)といってもいい、極度に利己主義的な経営行動が、露骨極まりない労働者からの搾取と貧困・格差を生み、煤煙・悪臭・汚水・疫病といった公害を撒き散らせます。これは産業革命時代の深い闇の部分です。

資本家たちの欲望を膨張させ、その暴走を許してしまった背景のひとつは自由放任主義すなわちレッセフェール思想にあるでしょう。この思想を悪者扱いするような言い方になってしまいましたが、レッセフェールとは元々フランス語で「為すに任せよ」という意味です。これは重農主義者(フィジオクラシー)の経済学者から生まれた思想で、人為的に作った法規制を濫造することは自然が生んだ秩序に逆らい、その調和を崩すことになるという考えです。王族などの一部特権階級や政商たちが、自分たちの都合のいいように法規制を敷いて、富や財を独占したり、国家による保護関税や産業保護を進める重商主義に対抗する思想がレッセフェールやフィジオクラシーの思想です。この思想は古典派経済学の父といわれたアダム・スミスにも影響を与えます。

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アダム・スミスもやはり経済活動に対し国家の統制や介入することを排除し、市場原理に任せるべきだと主張であるとしました。各人の利己心の追求に任せしてしまうことは経済や社会秩序を破壊する恐れがあるので、国家が保護したり介入すべきではないかという批判に対しても、「神の見えざる手」というべき市場の自動調節機能によって需給バランスや物価などの調和がきちんととれるという解答を示します。また宗教改革を進めたプロテスタンティズムの考えでは商工業を盛んに行って多くの富や財を殖やしていくことも、神の御心に沿うものとして考えられていました。そのための勤労は美徳となるのです。

ところが現実面においてレッセフェールは資本家の暴力的ともいうべき労働者からの搾取や貧困・格差・公害といった社会問題を生み出し、野放しにし続けることになったといえましょう。
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さらにあとで改めて述べますが、資本主義経済は景気変動による好不況の波や雇用の不安定化、そしてそれが最も深刻化した恐慌といった経済問題を引き起こしたりもします。

産業革命当時のイングランドは「政府の仕事は国防と治安の維持のみ」でよいとする夜警国家を目指していましたが、強欲というべき資本家たちの驕りや横暴に業を煮やし、彼らに虐げられていた労働者が反旗を翻します。またイングランドの作家や学者たちがこの醜悪な惨状について告発するようになり、社会改善の動きが出てきます。

労働者たちが資本家たちに起こした行動は工場の機械を破壊するラッダイド運動と呼ばれるものでした。
労働者たちは資本家が手動の織機から生産効率が高い水力・蒸気による自動織機を導入したりすることで、熟練工が解雇されたり、不熟練の労働者が深夜までの労働で酷使されるといった労働環境の悪化を招いたとして、工場の機械を壊す抵抗運動を行ったのです。これに対しイングランド政府はこれを行った者を死刑するという法律を打ち出しましたが、この運動を阻止することはできませんでした。
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労働組合や共済組合の原型となるものはイングランドの労働者たちが集まるパブで生まれます。そうしたユニオンは当初非合法組織として政府から弾圧を受けたりしましたが、やがて合法組織となり、資本家側と団体交渉を行う権利が認められていきます。この運動はイングランドだけではなくヨーロッパ全体に拡がりました。
やがて1833年には労働基準法に相当する一般工場法が成立。さらに労働者階級の政治参加を求めるチャーティスト運動も起きます。

また手工業者の家で生まれ、青年実業家として成功し財を成したロバート・オーウェンは労働者の待遇改善や向上を目指した工場経営を目指し、法律の改善や労働者階級への教育普及なども行いました。
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さらに1840年代のドイツでは資本主義経済そのものを否定し、労働者の解放を目指す社会主義思想が生まれます。その思想家の代表格といえば言うまでもなくフリードリッヒ・エンゲルスカール・マルクスです。
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もうひとつ労働運動ではありませんが、今日において常識となっている公害対策や環境規制の必要性が認識されるようになったのも産業革命期の反省が生み出したものといえましょう。そして私たちが当たり前に使っている上・下水道もそうです。上・下水道は都市インフラでありますが、社会保障制度のひとつに数えられる公衆衛生の一環を担う行政サービスでもあります。

今回書いた記事はかなり左派色が強く、私が資本主義経済や自由主義思想に対し否定的な考えを持っているかのように受け止められるかも知れません。しかしながら時代が下り1980年代にソヴィエト連邦(現在ロシア)など社会主義経済体制をとっていた国々が次々と崩壊し、国家による統制経済がうまくいかないことが立証されていきます。私も現在社会主義共産主義といった思想には興味を持っていません。
産業革命期にものすごく多くの社会問題を引き起こしたといえど、結果的に市場原理に委ねた自由主義・資本主義経済という制度システムを選ぶことが人類にとって最適解であったという答えに行きつきつつあります。

我々が勘違いしてはならないのは自由主義や資本主義経済というシステムを社会主義者共産主義者のように否定することではなく、システムの問題を洗い出し、改善を繰り返していくことでしょう。第2次世界大戦後にヨーロッパ圏を中心に資本主義経済でありつつも、民衆全体の厚生福利、そして労働者や社会的不遇者の保護も重視した福祉国家が生まれます。また経済学の発展が労働者の失業や貧困の発生を防止することに貢献してきました。
次回も産業革命期のイングランドで起きた貧困や格差・公害とそれを生み出した背景について書きます。エンスージアストや過剰純粋化(単純化)という観点で産業革命期のイングランドを考察してみたいです。経済学における人間の捉え方の問題も取り上げます。

こちらでも政治等に関する記事を書いています。

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