新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

岩井克人教授によるピケティ「21世紀の資本」に対する論評

トマ・ピケティ教授の「21世紀の資本」についての話は第6回目です。今回は最後に岩井克人教授が書かれた論評について紹介しておきます。岩井教授はピケティ教授の仕事に敬意を持ち、積極的に引き合いに出しつつも、例のr>g(資本収益率>経済成長率)の不等式について異議を唱えたりしておられます。

岩井教授はr>gではなく、r(資本収益率)にs(資本家の貯蓄率)をかけたsr>gが資本の成長率である。よって資本家に富が集中してしまう条件はs×r>gであると述べられます。

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岩井教授の文を引用
「私はピケティ氏の仕事を尊敬しているが,以上の議論には誤りがあると思う.同氏は資
本収益率rを資本の成長率とみなすが,資本家といえども所得をすべて貯蓄(再投資)する
わけではない.資本家の貯蓄率をsで表すと,資本の成長率はrではなく,それにsを掛け
た『s×r』だ(賃金からの貯蓄は無視する).すなわち資本家に所得や富が集中する条件は
r>gではなく『s×r>g』という不等式なのである.」

東京財団に岩井教授が書かれたレジュメがpdfファイルで公開されていたのですが、つい先日リンク切れしておりましたので、代わりに浅田統一郎教授の論評を掲載しておきます。

そして岩井教授は近年の、英米を中心とする所得の不平等の根本要因は、ピケティの言う「資本の論理」ではなく、英米流の「誤ったコーポレートガバナンスの問題」ではないかという仮説を唱えます。


岩井教授のいう英米流の「誤ったコーポレートガバナンス」とは極端な株主主権論やエージェンシー理論に基づく経営者に対する忠実義務を軽視しがちな企業統治の考え方のことです。エージェンシー理論とは経済主体(プリンシパル)とその経済主体のために活動するとされる代理人(エージェント)の間に起こる契約関係の問題のことを指したものです。 これは企業で当てはめると経済主体(プリンシパル)が株主で、代理人(エージェント)が経営者にあたります。

日本やドイツの場合、「会社はオーナーや経営者のみならず顧客や従業員、取引会社を含めた全利害関係者のもの」という受け止め方が多いのですが、アメリカやイギリスの場合「会社は株主のもの」という株主主権論が強いです。ライブドア事件が起きたときに当時社長であった堀江貴文氏が発した謝罪の言葉が「株主に申し訳ない」だったのですが、彼も株主主権論的な経営指向が強かったといえるのではないでしょうか。

さらにリーマンショック後の英米と日独企業の行動を見ても、日本とドイツは株主への配当を切ってでも雇用、賃金を確保しようとしました。そのおかげで労働分配率が急激に上がります。対するに米国は、リーマンショック後にすぐ従業員を解雇せず、いったん労働分配率が少し上がったものの、しばらくしたら株主の配当のために従業員のクビを切り始めます。英米の場合は雇用よりも株主の利益が大事という経営観なのです。

岩井教授は法人企業を浄瑠璃の人形に、経営者を人形遣いになぞらえておられます。経営者は会社や株主からの信認によって経営を委ねられ、自己利益追求を抑え、他方の当事者の利益にのみ忠実に仕事をしなければならないと言う「忠実義務」を課せられます。経営者がその信認や忠実義務に反すると「特別背任罪」で訴えられます。
ところが、会社と経営者が契約を結ぶとなると、経営者が自分で自分の契約書を書くという自己契約になります。強欲で自制がきかない経営者は会社と自分の契約関係を自分の都合に合わせて設定してしまい、「お手盛り」で法外な報酬を決めてしまったり、強い社内での権限やインサイダー情報を悪用して自分に利益誘導するといった行動をとるようになってきます。日産のカルロス・ゴーンはその典型例でしょう。

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岩井教授もちょうど4年前に「日本でも賃金所得は多少は伸びているが、カルロス・ゴーンさんが日産社長を辞めれば、落ちるかもしれない」とカルロス・ゴーンの高額報酬のことを話されており、奇しくもそれが現実となってしまったのですが・・・・。

岩井教授は「本来経営者に課されるべき忠実義務を軽視し、株主主権の名の下に、自己利益の誘因で経営者をコントロールしようとしたことが、英米において、経営者による株主を含む他のステークホルダーの搾取を許すことになった。」と英米流のコーポレートガバナンスを糾弾します。

ピケティ教授は資本家が持つ株式や不動産などといった資産が生み出す配当、利子、地代などから得られる収益がどんどん膨張していくのだと説いていましたが、岩井教授は戦前だとピケティ教授がいうようにマルクス的な経済格差が生じているけれども、1980年以降に拡がった経済格差は資産格差というより、極端な賃金・報酬・年金の格差であると指摘します。実際の富裕層の資本所得は戦前みたいに大きくありません。

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岩井教授がWTID(World Top Income Database)のデータを加工したもの

こうしてみると所謂”スーパーマネージャー”といわれる経営者が、法外というべき巨額報酬を分捕ってきたことが、とんでもない経済格差を生んでしまっているという岩井教授の説明の方がしっくりくるかも知れません。

相変わらず「新自由主義ネオリベ)ガー」といった批判をする人が多くいるのですが、私はど彼らの不満の元凶も行きつくところも岩井教授が仰る「英米流の誤ったコーポレートガバナンス」が始点ではないかと思えてきたのです。

ピケティ教授が膨大なデータを根拠に指摘してきた極端な経済格差が生じていることは否定できない事実ではあるけれども、それは演繹法ではなく帰納法的に導いたものです。格差は起きているが「なぜ起きているのか?」という考察が少し甘いかも知れません。
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ひどい経済格差は所得分配の社会的契約やルールに欠陥があるからですが、それはピケティ教授のいうように資本主義経済のシステムというマクロ的な欠陥というよりも、個々の企業内というミクロの世界における所得分配のルールがおかしいと考えた方がいいのかも知れません。
岩井教授は処方箋として、エージェンシー理論に基づくコーポレートガバナンス論を追放するべきだ。株主主権論を相対化し、忠実義務(倫理)を中核としたコーポレートガバナンス論をビジネススクールなどで教えるべきと提案しておられます。

日本においても1990年代以降からアメリカ的な経営方式や、それに適応した経済の構造改革を進めるべきだという主張が強まっておりました。しかしながら今にして思うとやはり広めるべき考え方ではなかったということになります。

ピケティ教授の話は今回で終わります。次回以降は日本における貧困問題や様々な誤解について考えていきたいです。

追記
今回の記事で書いたこととは違うかたちでのピケティ教授が唱えた仮説への疑義となりますが、原田泰教授も記事を書かれておりますのでリンクをさせていただきます。



こちらでも政治等に関する記事を書いています。

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