新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

海老原嗣生氏によるベーシックインカム案批判を読む

ベーシックインカムや給付付き税控除に対する反対意見の例をいくつか取り上げてきました。
藤井聡氏や三橋貴明氏、中野剛志氏とそれに近いMMT(現代貨幣論)支持者らが行っているベーシックインカム反対論については「あまりにひどいベーシックインカム賛成者への罵詈雑言 」で、藤田孝典氏など社会保障関係者らによる慎重論・反対論については「ベーシックインカム導入になぜか反対する左派・社会保障関係者 」で反論に対する批判したのですが、正直いっていちいち批判するまでもないような人たちです。ベーシックインカム反対論者の主張にみるべきものはほとんどありません。

そういう中で多少批判らしい批判になっているのは海老原嗣生氏の記事でしょう。
ここのブログサイトで氏のことを取り上げるのは2回目です。1回目はAIやロボットなどが人間の労働を置き換える時代はかなり先のことであり、それを理由にベーシックインカムを導入しましょうという話は時期早々すぎるという海老原氏の指摘を肯定的に紹介しております。

参考 

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「AIやロボットが発達すれば人間が働かなくてもベーシックインカムで生きていけるのだ」というようなお花畑ベーシックインカム導入論はBI賛成派である私でさえ支持しかねます。この点は海老原氏の指摘はよいかと思います。

しかし海老原氏は原田泰教授が書かれた「ベーシックインカム~国家は貧困問題を解決できるか~」への批判まで行われています。
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原田泰教授
下は海老原氏のベーシックインカム批判記事です。4つとも日経BizGateで掲載されていたものです。
 

(1)と(2)の記事については主にベーシックインカムの概要を既に知っている人ならば、さらりと流し読みすればいいでしょう。こちらはイングランドのスピーナムランド救貧制度の記述に引っかかりを感じましたが、これは別の記事で批判します。重要度が高いのは(3)と(4)の記事です。

自分が記事を読んで海老原氏に対し抱いた感想は「政策に対する考え方の柔軟性がないし、ベーシックインカムに限らず社会保障に対する知見も決して深くない」というものです。それと(4)の記事の最後の方で原田教授が高所得者優遇・中所得者層への増税や行政サービスの削減を狙っているかのような記述があり、これについては”下種の勘繰り”だろうと感じました。

私は原田教授のBI案について基本的に賛成しているものの、正直かなりドライというか、素っ気なく、粗削りすぎる印象を持っていることも確かです。そういう意味で原田教授のBI案にもの足りなさを感じる人は少なくないでしょう。けれども社会保障に精通した人間が細かい政策の煮詰めをすればいいことだと思います。

海老原氏の原田BI案に対する指摘ですが、(3)と(4)の記事は、既存社会保障制度の給付を受けている人やBI導入によって実質増税が予想されてしまう中間層との利害調整がうまくいくのかという話になるかと思います。海老原氏の指摘のように原田BI案をそのまま手直しもせずに導入したら、そうなってしまう可能性は否定できません。ベーシックインカム導入と同時に既存社会保障制度を統廃合・縮小しなければならないというものではないですし、財源を所得税率30%のフラットタックスにこだわる必要もないのです。海老原氏が指摘している問題点の多くをクリアする改善策はいくらでも出てくるでしょう。

まず海老原氏が懸念している問題を簡単にまとめてみました。
問題点1 
原田教授が示す月額7万円のBIでは、生活保護・年金・失業給付などは代替できず、追加支給のために二重行政となる。

問題点2
既存の(厚生)行政サービスをBIで代替するためには、BIを月額13万円に増額する必要があり、その場合の予算規模は約200兆円、所得税率は80%(等価調整後でも50%)にもなって非現実的。

問題点3
年収300万円あたりから500万円、700万円近くの中間所得者は年間50万円、100万円の大幅な所得増税となってしまう。逆に年収数千万円以上の高額所得者は逆に大幅な所得減税となる。

問題点4
個人・世帯の所得や資産、生活状況を細かく精査せず、生半可な概観把握により適当に給付金をばらまけば、不要な人に超過サービスとなってしまったり、逆に本当に公助が必要な人に十分な手当が支給されないことになるのではないか。

といったところでしょうか。

しかし私が海老原氏の指摘を読んで不思議に感じたのは、とにかくBIは生活保護や年金・失業給付などを完全に統廃合させることが前提条件だと決めてかかってしまっているように感じることです。それが月額13万円にしないとBIは既存社会保障制度と置き換えができず、行政効率化にもつながらないなどという思い込みにつながり、海老原氏は必要以上に難しく、ややこしく考え込んでしまっているのです。

ベーシックインカムは行財政のスリム化が期待できることを謳い文句のひとつとしていますが、私は無理にそれにこだわる必要はないと考えます。既存社会保障制度のひとつである生活保護法はBI導入時に制度自体を廃止する必要はありません。なぜなら生活保護は「補足性の原則」があって、法制度を弄らなくても生活保護費からBI給付額分が相殺されるからです。(参照「生活保護制度の4原則と保護費の算定 」)
私はBIで行政コスト削減といっても、実際にはそれほどの額にならないと見ています。現在雇用保険歳入から捻出できる予算は2兆円強程度です。よって生活保護や失業給付は無理にBIに統廃合しないといけないというわけではありません。原田BI案の財源案で掲げられている基礎年金・失業給付・生活保護などの縮小・廃止で21.8兆円というのは、大部分が基礎年金が占めると思われます。

確かにBI単独だけですと、何らかの事情で就労できず無収入の人が7万円程度の給付額だけで生活できるとは思いません。そこで私はBIとは別に個人に住宅費を補助するバウチャー制度も新設することで現行生活保護と遜色のない給付水準を保障すればいいと考えたのです。障碍者についても現行の障害年金や手当等を残せばいいことです。生活保護利用者の医療費についてもBIとは別に低所得者を対象とした公的医療保険料の減免制度や自己負担分を還付する制度をつくった上で、現在生活保護利用者である人を国民健康保険へ加入させます。(それを望む生活保護利用者もいる) 給付制度の一本化にはなりませんが、それに固執する必要はないでしょう。

海老原氏は「医療費補助は現在ならば、生計費支給時に所得・資産状態を審査されているため、追加審査は不要となる。」「BIで生計費関連が不支給となれば、医療費補助の方で新たな審査が必要となる。その行政コストは大きいし、審査を受ける精神的苦痛をなくす」というBIの謳い文句も看板倒れに終わることとなる。」とBIは二重で行政コストがかかることを批判しますが、給付対象者の所得・資産状態の審査は歳入庁を創設して一括でやらせれば済むことです。給付制度の一本化は無理にしても所得・資産状態の審査という業務は一本化できます。
海老原氏は”等価所得法を用いるならば、世帯構成員をしっかり把握しなければならない。それは、各家庭ごとに独立・出産・死亡・離別などがあり毎年変わる。こうしたものを、全世帯くまなく毎年チェックしてBI額を調整するというのは「とてつもない膨大な手間」となり行政のスリム化など程遠い。”などと言っていますが、これについても歳入庁創設と「徴税と給付の一体化」で解決できる問題です。

あと歳入庁創設やマイナンバーで税の徴収漏れを防ぎ、それによって数兆円の財源が生まれると云われています。これもBI財源に入れ込むことができるでしょう。

次に問題点3のフラットタックスについてですが、所得税の場合、累進性を強化させることができます。フラットタックスに拘る必要がないといったのはそのためです。中間所得層までは税率を低めにして、高所得者層については課税強化を行っていいかと思います。80年代の初めまでのように国税地方税を合わせて最高で93%の所得税は行き過ぎにしても、60~70%に戻す考えもあります。
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原田案ですと年収280万円で給付額と徴税額の相殺額が0になり、年収300万円台より徴税額の方が上回ります。もう少し高い年収の人から課税させるべきだと考えるならば年20万円の基礎控除という下駄をはかせて年収300万円台以上から課税をしていく形にするというアイデアも出てきます。
余分な話ながら原田教授と同じくリフレ派の論客である田中秀臣教授が対談し、所得税制について議論されました。お二方で所得税制についての考え方が異なっています。

 原田泰×田中秀臣対談記事

そして問題点4に移りますが、海老原氏は次のように言います。

「要は、非正規といってもその多くは、主婦・高齢者・学生なのだ。彼らの多くは、配偶者や親権者の収入や年金など主たる世帯収入があり、また、その他支援策も受けている。
 たとえば、多くの主婦は、世帯ベースで配偶者控除配偶者特別控除を受けており、さらに本人には社会保険免除(3号保険)の特典もある。学生も扶養家族控除や年金免除・猶予、健康保険は世帯主負担となっている。果たして彼らにBIで「生活底上げ」が必要か?
 一方、高齢者の非正規に関しては、BIが基礎年金と相殺されてしまう。だから原田型BIでは全く底上げとならない。
 主婦・高齢者・学生以外の非正規500万人弱の中には、障害や母子家庭、生活保護など別の給付を受けている人も少なからずいる。そうした人たちの「現状の給付」をなくし、BIを支給することで本当に生活の底上げが可能か?
 また、事務職の女子など両親と同居している非正規労働者も多いだろう。彼らにもBIが必要か」

引用終わり

海老原氏は何らかの事情で正社員になれず、生計維持が厳しい状況で、本当に生活底上げが必要なのに今は支援がされていない200万~300万人程度に的を絞って手厚く公的支援をすべきではないかと言います。各個人や世帯の生活状況や所得・資産を精査せずに、BIのように大雑把なやり方で適当なバラマキをやってしまえば、
不要な人に超過サービスとなるだけなのだということでしょう。

しかしながら海老原氏のいう「本当に生活底上げが必要なのに今は支援がされていないのは200万~300万人」を誰がどうやって精査して選び出すのでしょうか?現在その作業を担っているのは各地方自治体が設置している福祉事務所(役所だと”福祉課”とか”生活課”という部署になっている)のケースワーカーです。彼らに担当区域内の家を一軒一軒訪問して、本当に公助が必要なのかどうか調べてこいと言うのでしょうか?

以前こちらで福祉事務所のケースワーカーの労働環境について調べていたときに読んだ記事です。

ケースワーカー一人あたりが担当するケースの数は法定で80世帯の受け持ちとなっていますが、多くはCW1人で約100世帯を担当しないといけない状況です。もっとしっかりとした精査を求めるならばケースワーカーをもっとたくさん増員しないといけません。それができるのでしょうか?

しかも公正な行政判断を下すには「本当に生活底上げが必要」という状態が何たるかを法基準ではっきり定義づけないといけません。しかしながら現在の生活保護の場合、それが福祉事務所の裁量に委ねられている状況です。

結局のところ「本当に生活底上げが必要な状態」は各個人や世帯の所得や資産状況という線引きで決めるしか方法がないのです。海老原氏の文章を読んでいると,、パターナリズム(温情主義)の臭いを感じざるえません。

ある人は海老原氏に対しこう評します。
”この福祉批判、支持双方がいう「本当に必要な人」って発想自体が、不公正の助長や取りこぼしの温床になる。というより、そんな精査ができると考えることが、フリードマンがいうところの「温情主義者の傲慢」です。”

あと上に書きぬいた海老原氏の引用文に戻りますと、「多くの主婦は、世帯ベースで配偶者控除配偶者特別控除を受けており、さらに本人には社会保険免除(3号保険)の特典もある。学生も扶養家族控除や年金免除・猶予、健康保険は世帯主負担となっている。果たして彼らにBIで「生活底上げ」が必要か?」などと言っていますが、ベーシックインカムや給付付き税控除が実施された場合、配偶者控除や扶養家族控除は廃止・統合すると説明しております。海老原氏はどうしてこんなことを言ってしまうのでしょうか?まともにBI案の説明を聞いていないとしか思えません。

今回はかなり長くなってしまいましたが、こちらとしても海老原氏に対する十分な反論や回答をし尽くしたとは思っていません。言い足りないことはたくさんありますが、ひとまずここで終えるとします。

次回はスピーナムランド救貧法のことについて取り上げるつもりですが、既存社会保障制度とベーシックインカムとの折り合いについて、もう一度考え直してみたいです。


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