新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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ユニバーサルクレジットは生活困窮者を救えるか?

前回フィンランド政府はベーシックインカム実験は延長しないことを決めたという話を取り上げました。現在フィンランド経済は好調だとはいえず失業率も高めです。経済協力開発機構OECD)の経済開発検討委員会(EDRC)は2018年2月、UKが導入したような、複数の社会保障給付を一本化する「ユニバーサル・クレジット」制度の方が、ベーシック・インカムよりも有効だとする調査報告書を発表しました。

ユニバーサルクレジット制度については日本でも国民民主党がこれを参考に日本版ベーシックインカム案を構想するという話をしていたことがあります。


UKのユニバーサルクレジット制度はこちらでも何度か紹介している給付付き税控除に近いもののようです。フィンランドの政治家たちも「ネガティブ・インカム・タックス」について熱心に議論しています。

この給付制度についてもう少し詳しく書いていきますと、
・従来の低所得者向け給付制度であった所得補助、求職者手当、雇用・生活補助手当、児童税控除、住宅給付などを整理統合し、2013年よりUKではじまった。
・複雑になり過ぎた社会保障制度の簡素化、合理化を通じて、福祉手当の支給ミスや不正受給の是正、長期的には財政負担の軽減を目指している。
・福祉手当受給者は、受給資格のある手当を別々に申請する必要がなく、ユニバーサル・クレジットの基本額を受給する。それ以外に、年齢や心身の障害、子どもの有無など個人の状況に応じて追加額が支給される。
・受給にあたっては、公共職業案内所である「ジョブセンター・プラス」との受給者誓約の締結が必須要件で、失業者が積極的に求職活動を行わないなどの場合、求職者手当支給を停止する。また、ジョブセンター・プラスの担当者が妥当と判断した場合、勤労に必要な規律を学ぶことなどを目的として、失業者に対し、最長4週間、社会奉仕活動を行うよう義務付けることができる。

 *参考 政経言論 「ユニバーサル・クレジット」より

この低所得者向け給付制度はベーシックインカムに比べ、国民の税負担や政府の財源負担が少なく、所得格差是正貧困率低下に貢献するとOECDは高評価しています。しかしながらUKの緊縮財政と相まって、このユニバーサル・クレジット制度は多くのトラブルを頻発しています。申請から初回給付まで約一ヵ月以上待たされ、給付額は毎月受給者がいくら稼いだかによって決まるため、支払いは1ヶ月遅れることになるのです。まったく無一文の人は一ヵ月間も飲まず食わずにいるわけにはいきませんので、フードバンクへ駆け込んで食糧を支給してもらったり、借金をして食いつなぐしかないのです。

ユニバーサル・クレジットでさらにまずいのは、以前に過払いされていた手当、前借分、滞納していた住民税や公営住宅の家賃などが、差し引かれて支給されてしまうことです。以前の負債を天引きされたら支給額が半分以下に減ってしまい、それでは生活費が足りない受給者がさらに借金を重ねてしまうという悪循環が起こっています。かなり粗削りで欠陥が多い制度だといえましょう。ユニバーサル・クレジット制度は政府が予想していたより多くの費用や時間が費やされてしまいました


ユニバーサル・クレジット制度で極めて曲者なのが、再就職活動や職業訓練参加の義務付けと就労能力の判定で、これが極めて機械的かつ厳格なのです。しかも行政側が利用者に制度の内容や必要手続きを的確に説明しなかったり、連絡不足のために利用者がうっかり手続きの間違いや家賃滞納などをしてしまい、給付額を大きく減額されたり、打ち切られてしまうというトラブルが多発しています。

自分がユニバーサル・クレジットについて調べているときに見つけたBBCニュースの記事ですが、かなり悲惨な話です。


この記事に登場するトニー・ライスという人は若い頃から肉体労働に従事し続け、航空機メーカーにも勤務したことがあります。しかしこの工場が閉鎖され解雇されたところから人生の歯車が狂い始めます。その直後から両親が住む公団住宅に移り住みますが、この両親が病死し、役所からの命令でアパートに再転居します。それから化粧品のセールスマンを始めますが、この頃より体調不良が目立ちはじめ、さらに追い打ちをかけるように、ナイフで太ももや腕、顔、肩などを刺されるという傷害事件に巻き込まれてしまいます。これが元で就労がほとんど不可能な状態になりました。

そのためにトニー・ライス氏は雇用支援給付(ESA)を受けることになるのですが、労働年金省(DWP)に呼び出され、就労能力判定を受けさせられます。ライス氏は痛みに耐えながらそのテストを受け続けたのですが、それを無視するかのようにDWPの判定係は「働けますね」と非情な裁定を下します。それからすぐにライス氏への雇用支援給付や住宅補助も打ち切られ、彼は無収入状態になってしまい、やむを得ずフードバンクへ駆け込み、食糧支給を受け食いつなぐしかなくなります。そして家賃の滞納も膨れ上がっていきます。

それからライス氏はDWPから「ユニバーサル・クレジット(普遍的給付)」という新しい給付金が受けられることになります。しかしながらDWPの説明が悪くライス氏は制度の内容をよく理解できないままでいました。今までの制度では家賃補助を区に直接送金する仕組みになっていましたが、ユニバーサル・クレジットの場合、利用者が自分で家賃を区に振り込まないといけない仕組みになっていたのです。それを知らないライス氏は家賃滞納を続けてしまいます。区役所はライス氏に退去命令を裁判所に請求しました。そして彼は路上生活者に転落する直前にまで陥ります。

ライス氏は弁護士による法律相談を受けることになり、事業を細かく話しました。弁護士や裁判官はライス氏の窮状やユニバーサール・クレジットの制度欠陥を知り、大きなショックを受けます。

長々とライス氏の事例を書き写しましたが、UKではユニバーサル・クレジットが絡む訴訟が多発しているようです。この制度は複雑化する低所得者向けの給付制度を整理統合して、効率のいい給付を行なえることを謳い文句にしていましたが、ライス氏の事例を読むとそうなっていません。縦割り型の給付制度による漏給問題は相変わらずで、日本の生活保護制度とさほど変わりがありません

UKのユニバーサル・クレジット制度がこれほど多くの問題を生み出しているのは、制度利用者の緊急性を考慮していないなどといった制度設計の杜撰さにあるのですが、UKの保守党政権が続けてきた緊縮財政が問題の背後にあります。ユニバーサル・クレジット制度は保守党が労働党から政権を奪還し、デーヴィット・キャメロン氏が首相になった2010年からはじまったものです。
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デーヴィット・キャメロン元UK首相(保守党)

キャメロン首相はEUの意向に沿うように財政規律を極度に重視し、容赦なき社会保障削減を行います。ユニバーサル・クレジット制度の導入は同じく保守党のイアン・ダンカン・スミス議員が行ったものです。
キャメロン政権時代において、明らかに就労が難しい重度障碍者まで「就労可能」という判定を下してしまい、生活に行き詰った彼が抗議の自殺を遂げるといった事件まで起きています。こうした冷血非情な緊縮財政に対する怒りとEUへの不満がたまり、それがEU離脱国民投票可決というブレグジット問題へとつながりました。キャメロン氏の後継となったテリーザ・メイ首相も、こじれまくったブレグジット問題の収拾がつけられず先日辞任表明をしたばかりです。
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テリーザ・メイUK首相(保守党)

今回は本題のユニバーサル・クレジット問題だけに留まらず、UKの緊縮財政とEU離脱問題まで話を拡げましたましたが、極端な緊縮財政指向が結果的に多くの国民の生活を破壊するだけに留まらず、逆に大きな支出を生み出すという愚行へとつながったのです。ユニバーサル・クレジットの制度の大きな欠陥はもう一度いいますが再就職活動や職業訓練を義務付け化するという条件つき給付にしてしまったことだと私は思います。就労能力の判定に行政の恣意や裁量が入り込み、結果としてかなり逼迫した生活状況の人にも給付が行われないという漏給状態を拡大させたのです。極度の財政規律志向が逆に財政悪化を増長させるというパラドクスを招いたのです。

日本で給付付き税控除を導入する場合も、ユニバーサル・クレジット制度の問題は反面教師としてしっかり研究すべきでしょう。

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