新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

”暮らし”を置き去りにした政治闘争に陥っていないか?

このブログサイトのサーバーとして利用してきましたYahoo!ブログが今年末をもってサービス廃止になるに伴い、新ブログサービスへの移転を行います。現在移転先として考えているのははてなブログです。7月以降に移転させる予定です。Yahoo!ブログでの最終記事として今回の話を書かせていただきます。

ちょうど2年前から始めました「暮らしの経済手帖」ですが、その開設記念として「経済と暮らし そして平和について 」という記事を書きました。私は「暮らしの手帖」の編集に携わった花森安治氏のことばをその記事で紹介しています。もう一度転記しておきましょう。
 
「こんどの戦争に、だれもかもが、なだれをうって突っ込んでしまったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしていなかったからだと思う。人は暮らしの中身がまずしいと、投げやりになり、いっちょやれ!と、おおきいことをやりたくなる。そうやって、戦争になだれ込んでしまった。もしみんなに、あったかい家庭があれば、戦争にならなかったと思う」
 
同時に現在日銀審議委員を務める原田泰さんと飯田泰之さんの記事も紹介しました。





私は経済ほど暮らしに深く直結したものはないと考えます。経済の不安定化や低迷は人々を物心ともにまずしくします。もの不足やものの質の劣化は人々の心を荒らします。失業という事態は人々から日々の生活費だけではなく、職業人としての自信や誇りまでも奪っていくのです。このことは人々を過激な思想に飛びつかせてしまう大きな原因になることは言うまでもありません。

1990年代以降の「失われた20年」はこれまでひとつの会社に一度入れば、昭和時代まで続いた定年退職の日まで安定した収入と身分を保障されるという幻想をぶち壊します。就職氷河期といわれる状況が生まれ、そのために当時の若い人たちが非正規雇用のまま、20代、30代を送り続けなければならないことになったり、結婚や出産の時期を逃してしまうようなことが起きたりしました。

さらにあまりに長すぎる景気低迷とかつては世界トップレベルだった日本の産業の衰退は、先行きの不透明感を深め、人々に閉塞感や失望感を与え続けます。

日本に住む人々から活きる力を奪い続けた最大の元凶は、三重野康日銀総裁時代からはじまる金融政策の過剰すぎる引き締めです。このとき銀行の貸し渋り貸し剥がしで資金繰り悪化に陥り、民間企業が倒産・廃業したり投資意欲を萎縮させたことが、雇用悪化や新しい技術や事業発展の阻害を招きました。

しかしながら日銀やその背後にいる大蔵省・財務省はその反省もなく、生煮えの中途半端な金融緩和を繰り返し、政治側がそれを田中角栄経世会時代から変わらぬ土木建設公共事業や特定企業や業界に偏った財政のバラ撒いて景気の底上げをするということを繰り返します。そのためにいたずらに国家財政ばかりを悪化させていったのです。その穴埋めに消費税などをはじめとする増税や国民生活に直結する厚生予算の削減でさせるような流れになっています。

上のような理由で世界でも類をみない四半世紀にも及ぶ長期のデフレ状態を招き、多くの非正規雇用者や無職者、無・低所得者を生み出した挙句に、増税や(国民の生活福祉に関わる予算削減を中心とした)緊縮財政を推し進めようとする財務省の官僚やその子飼いである国会議員、御用学者、マスコミに対する不信や反感が広まるのは当然のことです。私もここで財務省に対する批判をさんざんやってきました。

前回の「国民のための財政政策になっているのか 」で取り上げましたが、松尾匡教授が呼びかけ人となってはじまった反消費税・反緊縮財政を訴える薔薇マークキャンペーンや同じく財政政策の拡大を主張するMMT(現代貨幣理論)ブームようなものが湧き上がってしまうのは、財務省への不信や反感によるもので、その理由や背景は理解できます。
しかしながらこのようなブームは非常に扇情的で、深い思慮や理論武装を行わないまま突き進んでしまっている危さを感じざるえません。それこそ花森安治氏が述べたように”投げやりになり、いっちょやれ!と、おおきいことをやりたくなる”という動きにみえてなりません。

さすがに戦前の日本のように血生臭い戦争やテロにそのまま直結するということはないかも知れませんが、薔薇マークキャンペーンやMMTブームが、高橋是清惨殺後の蔵相になった馬場鍈一財政や軍部の暴走と重なってみえてきます。

2・26事件を引き起こした皇道派青年将校たちは陸軍大学まで進学していない非エリートで、徴兵によって農村漁村から入営してくる兵たちから当時の農村漁村の窮状を伝えられ、心を痛めていたといわれます。非常に評判の悪かった馬場鍈一もまた日本勧業銀行の総裁を務めていたときに、金解禁後の不況による農村部の疲弊をつぶさに目にし、財政規律主義から財政拡大派に転じたようです。
彼らの元の動機は貧しい農村・漁村の窮状を憂う純粋な想いであったものの、方法が間違っており、結果として多くの庶民をさらに苦しめることになってしまったのです。

薔薇マークキャンペーンやMMTブームにのっている人たちも積極財政で国民にお金を手渡し、日本の経済を再活性化させようという気持ちでいるのかも知れません。しかしながらそれらは政治化した活動となり、既得権益を守旧する既存政党や団体、官僚などの利権誘導などに利用され、翻弄されていくように私は思えてなりません。
彼らの頭の中から人々の暮らしというものが抜け落ちていき、権力闘争に現をぬかすことになっていくのです。

もちろん批判すべきは彼らだけではありません。ネット上で経済の話に首を突っ込んでいる人たちのほとんどが、自分たちの暮らしのためではなく、政治ゲームを愉しむため、あるいは自己顕示欲を満たすためだけにそれをしているような状況だといっていいでしょう。経済学を”おもちゃ化”しているのです。

私の目からみて”暮らし”のために経済を語っている人はほとんどいません。日本人の9割9分が経済や暮らしに関心を持っていないと言っても過言ではありません。

これから先、再び日本という国の終末時計の針が再び進みだす恐れがあります。
その時計の針を進めてしまっているのは財務省や政治家らですが、私たち日本人全員でもあるのです。
正直私は今ものすごく暗い将来像を抱いています。

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