新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

あなたはなぜ経済について語るのですか?~「暮らしの経済手帖」 on Yahoo!ブログ最終回~

開設から2年に渡り、Yahoo!ブログで書き綴ってきました「暮らしの経済手帖」は、はてなブログに移転する予定です。新アドレスが決定次第告知いたします。

サイト移転告知前の最後の記事を書きます。今回話するのはどうして経済学を学ぶのかということについてです。この文を読まれた方も一度そのことを振り返っていただければと願っております。

経済学とはどういう学問でしょうか?世間ではお金のことを取り扱う学問だと思われていますが、私は”もの”とその動きを知る学問だと思っています。”もの”とは「者」と「物」のふたつを指します。古代やまとことばでは「者」と「物」は一体であると受け止められていました。たとえばある人が丹精込めて「物」をつくったとしますと、その「物」につくった「者」のたましいが宿るのです。

話が少しそれましたが、経済学は人すなわち「者」や「物」がどのようなかたちで動き、どのように生産されたり、消費されるのかを計測して、その法則性を数理的に見出すものです。ここのブログではややこしい数式は取り上げていませんが、多くの人々が経済問題を考える上で必要な初歩的な経済知識をまとめ、紹介する目的で設置しています。内容は高校の公民の教科書程度のものです。私自身も経済学部出ではないので、入門書レベル以上のことは書けません。

私が経済のことに首を深く突っ込むようになったのは、リーマンショックとその後の東日本大震災がきっかけです。私はリーマンショックが起きた当時、ある派遣会社に勤めておりました。この派遣会社はフィリピン人の工員さんを多く抱えておりましたが、彼女らが日を追うごとに契約解除され、涙を流す姿をいくつも見てきております。最終的に会社そのものが工場派遣業から撤退し、私を含め全員が会社を去ることになります。
それから民主党政権が誕生するのですが、外交から経済政策に至るまで失策を連発し続けます。そこへ東日本大震災が襲い掛かります。このとき膨大な復旧・復興費はもちろんですが、国家財政のこともかなり気になりました。おまけに空前の円高で、日本の製造業がかなり痛めつけられ、韓国企業などにシェアを奪われ続けます。また世界第2位だったGDPが中国に追い抜かれました。

そうした不安や焦りが経済学を学ぶきっかけになったのです。

それから数年後、自学自習の末にやっとこさ頭の整理が追い付き、初歩的な経済知識をまとめたウェブサイトを開設しようと決意したのです。しかしながら純粋な経済学の教本であるならばプロの経済学者が書かれたものを読むに限ります。私のような素人が書いた文よりもはるかに正確性が高いです。それならば私が何も経済学サイトをわざわざ書く意味はないでしょう。
そこで少し方向性をかえ、徹底的に一般の生活者向けの経済知識サイトにしようと考えたのです。テーマは「暮らし」です。私は経済学ほど暮らしに深く結びついている学問はないと常々思っておりました。

そしてあるところで「暮らしの手帖」編集長だった花森安治氏の言葉に出会います。

「こんどの戦争に、だれもかもが、なだれをうって突っ込んでしまったのは、ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしていなかったからだと思う。人は暮らしの中身がまずしいと、投げやりになり、いっちょやれ!と、おおきいことをやりたくなる。そうやって、戦争になだれ込んでしまった。もしみんなに、あったかい家庭があれば、戦争にならなかったと思う」
 
そうだ自分たちの暮らしをもっと大切にしなければならないし、守らんきゃいけない。自分たちの暮らしを守ることは自分自身の幸福を守ることでもあるし、それができなければ結局他人から奪ったり、傷つけるような行いをする。暮らしを粗末にしてしまえば自暴自棄になって、戦争に突っ走ってしまったり、あるいは無差別で他人を殺害するような行いをしてしまう。

私はそう考えました。

以前このブログサイトの副題を「~O Espirito da Paz~」としていたのは平和を祈る気持ちがあったからです。

さらに開設当初の記事で現在日銀審議委員を務める原田泰さんと飯田泰之さんの記事も紹介しました。


この三つの文を読んだとき、私は花森安治氏の言葉を想いだしたのです。原田泰先生は普段非常に冷徹に、淡々と市場原理に従って理論的に論文を書かれる方ですが、「資本主義は平和をもたらす」というコラムからは原田先生の自由と平和を深く愛する純粋な想いが強く伝わってきます。

本来純粋な経済学は理論や数式で成り立っているもので、数学や物理学のように自分の意見や感情を介入させる余地はありません。ただ冷淡に市場原理に従って論述することしか許されないのが経済学です。経済学の議論で自分の意見を言ったり書いたりしてはいけないのです。
しかしながら経済学の理論を活用し、政策として反映させていく場においては意見を言えますし書けます。自分たちの希望を伝えて、より優れた経済政策を実現するためです。

経済政策を考える上で忘れてはならない志は「人々の暮らしを大切にすること」です。それを忘れた人間が経済を語る資格はないですし、そうした文や発言なんかは読むに値しないと考えます。

ネット上で経済のことについて発言する人間は山ほどいます。彼らの発言や文を読むと九割九分が、他人を自分より見下し、罵ったり、あるいはお上にお金をばら撒いてもらうことをおねだりする甘えや依存心だけが見え透いたものばかりです。他者に対する親切さや慈悲がまったく感じられません。このブログだけではなくツイッターでも自分勝手な意見を書き殴ってくるような人が次々と現れました。ほんとうにこの国は幼稚な人間しかいないのかと思えてなりません。

私がここで「ベーシックインカム構想 」編を書き進めている間、この話題に飛びついてくる人がほとんどいませんでした。このときこのブログで読まれていた記事はMMT(現代貨幣理論)の批判記事ばかりです。私は賛成派・反対派を含めて、なぜ皆がこんなMMTみたいな薄っぺらい経済理論もどきのことばかりに気をとられているのかと情けなく思えてならなかったです。「MMTとリフレ派の対立」などといって、経済議論をプロレス観戦のようにしか見ていない子どもじみた人たちばかりを見ていると、何のために自分はこのブログを書いてきたのかと嘆きたくなります。こういう人たちは経済や暮らしのことには何の関心もないのです。

個人の匿名アカウントだけではなく、経済評論家やマスコミも自分が所属する組織や団体の既得権益しか考えていないような記事ばかりを書いています。政治家や役人らの利権、銀行などの金融機関を守るために、経済学の知識を歪め、民間企業の活動を阻害したり、人々の暮らしを蔑ろにし続けたのです。

そうした人たちの身勝手さが、やがてこの日本という国を再び衰退させ、やがてはいま当たり前に使ったり、食べたりしているものが手に入らなくなってしまうようなことになっていくかも知れません。ものづくりにいそしむ心を取り戻さないと、この国は落ちぶれていく一方でしょう。

新しいブログに移転させたあとは、時評を中心に書いていくつもりですが、いま再び暗雲が立ち込めかけたこの国、いや世界全体の経済状況を鑑みると、悲観的な話をいくつもせざる得ないでしょう。2年前にこのブログを立ち上げたときのように、期待や希望が多少でも持てる状況ではありません。波乱にもまれながらの船出となりそうです。

サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet