新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

金融政策に対する無知が招いた悲劇 ~「デフレと失われた20年」編最終回~

今回で今年8月29日から書き綴ってきた「デフレと失われた20年」編の最終回とします。野田佳彦民主党政権の倒閣以後のことは次の「アベノミクスとリフレ政策 」編へとつなぎます。

「デフレと失われた20年」編は40回にも及ぶ大河ドラマとなってしまったのですが、流動性の罠にまで陥った深刻なデフレスパイラルを引き起こしたのは日銀の金融ネグレイト政策が元凶です。日銀だけではなく政府や政治家・官僚・経済学者。マスコミそして日本国民のほとんどが金融政策のことをよくわかっていないし、軽視してきたために正しい処方箋が出されてこなかったのです。

第2次安倍政権が発足し、リフレーション政策を採り入れたアベノミクスが始動したのは今からちょうど5年前のことですが、現在もなお金融政策の意味をきちんと理解している人はほとんどいないでしょう。アベノミクスがはじまった当初、これを土木公共事業を大量に発注して景気を底上げする政策だと思い込んでいる人がいたぐらいです。日本人の頭の中においては景気対策=(土木)公共事業という図式しかできあがっていません。

通貨の発行・供給の調整で景気状況を統治していくという考えが日本人の中で極めて薄く、そのことが三重野~白川までの日銀総裁が行ってきた金融ネグレイト政策を放置することにつながりました。
バブル崩壊以後の日銀がやたらとインフレーションに対しアレルギー反応を示すようになったのは戦時中の日本軍部が行った国債の濫発による軍事費の膨張と終戦後の急性インフレのトラウマが根強く遺っていたことによりますが、どちらも数量で貨幣の発行・供給の過不足を把握していないが故の反応です。需要と供給のバランス感覚が欠落しています。

クルマの運転でいえば速度標示を見ずにアクセル全開で暴走するか、若葉マークの初心者ドライバーのようにアクセルを踏むのを怖がってブレーキばかり踏んでしまうような金融政策しか行われてこなかったのが日本です。過剰にインフレを怖がり、モノやサービスなどの財の生産を委縮させ続け貧国化への道を歩んだのが2012年までの日本でした。アクセルを微調整しながら速度をフラットに維持して走るという運転ができないのです。

日本を除く世界各国は平均して年4%ほどの名目成長をしていました。日本のGDP成長率がずっと横ばい状態を20年も続けていたのです。もし仮に日本が世界各国と同じ水準の経済成長を続けていたら、どれだけのお金が増えていたことでしょう。次のサイトでそれを計算してあります。


恐ろしい額だと思います。20年で日本人ひとりあたり2521万円もの損失を与えられたと述べています。(家一軒買えますな)

もちろんお金の問題だけではありません。この20年で日本人の多くが将来に対する希望や期待を失い、さらには命まで奪われた人もいます。前々回ポール・クルーグマン教授の「白川日銀総裁を銃殺刑にせよ!」という発言を引き合いに出しましたが、デフレは核ミサイルを上回る大量殺戮兵器なのです。

極端なインフレと極端なデフレはどちらも経済活動を破壊し、国民生活を困窮させます。それを防止する唯一の手段が金融政策です。のちに政府貨幣や通貨発行手段をそれに切り替える貨幣レジューム改革構想についても触れる予定ですが、この貨幣発行・供給システムについても国民全体に金融政策についての理解が広まっていないとうまく機能しない危険性があります。

次回の「アベノミクスとリフレ政策」編で金融政策とは何かをきちんと説明していきたいと考えます。そして需要と供給のバランスという観点を通して「金融緩和でハイパーインフレガー」「国債暴落ダー」といった虚言に対する批判を行っていくつもりです。

~お知らせ~
今後日本の政局や北朝鮮問題についての論考は下記ブログで掲載していきます。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

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