新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

不信と失望の時代に突入した1990年代 ~空疎な政治改革ブームの後に~

今回から少し経済事象の解説的な話を離れて、1990年代当時の世相を振り返ってみたいと思います。私事も交えての話になりますがご容赦ください。

バブルが崩壊した1990年代を境に日本という国はいままでとはまるで別の国になってしまったような感覚を私は抱きました。経済活動が停滞しただけではなく、政治や社会の世界においても期待や希望を失い、暗く冷たいぎすぎすとした世相にかわってしまったのがこの時代です。デフレは人と人のつながりもバラバラにしてしまいました。経済活動の低迷は椅子とりゲームの椅子をどんどん少なくしていくようなものですから、人々はみな椅子を奪い合うために他人を跳ね除け、蹴り落としておかないとサバイバーになれません。私にとって「失われた20年」はお金だけではなく心までも失った20年だったように思えてならないのです。

まず政治面から振り返ってみましょう。
政治不信が強まったのはリクルート事件や東京佐川事件などをはじめとする政治家と財界の癒着が引き起こした贈収賄汚職事件が続出したあたりからですが、1995~1997年あたりでそれが決定的になっています。自民党の大物国会議員が金銭スキャンダルを引き起こし、それが政治改革ブームや新党ブームにつながりました。金権政治に染まった自民党に代ってクリーンな政治を行うことを旗印に掲げた新生党日本新党新党さきがけなどが連立を組んで1993年に宮沢喜一政権を倒閣し細川護熙政権が誕生します。

しかしながらその連立政権はやがて新生党小沢一郎ならびに公明党市川雄一を中心とするグループと武村正義が率いるさきがけならびに旧社会党系グループの間で不協和が生じさせます。やがて後者のグループが自民党と連立を組んで村山富市政権が生まれました。左派政党である社会党の党首が総理大臣になったのです。
ところがそれから不動産バブルの焦げ付きで大量の不良債権を抱えた住宅金融専門会社をはじめとする金融機関の経営悪化が表面化し、自・社・さ政権は公的資金投入で救済しようとします。これによって多くの国民はこのことに不公正感や理不尽さを感じました。さらに1995年1月に阪神淡路大震災が発生。このときの初期対応の稚拙さや村山総理の失言などもあって政権への失望感はさらに増します。自民党はともかくとして元々社会的弱者寄りの政治を掲げてきた社会党や清新さを売りにしてきたさきがけは国民からの信頼や期待を失うことになってしまいます。
それからしばらくして村山首相が辞任し、自民党橋本龍太郎に政権の座を譲りました。結局細川内閣発足から村山内閣退陣までの政権は空疎なイメージだけの素人政治に終わったのです。自民政権に戻った橋本龍太郎政権も大蔵省(→財務省)に操られるままに増税・緊縮財政を推し進め、「失われた20年」を決定づけてしまいました。小沢一郎もそれからどんどんと新しい政党を作っては壊し、「どの女と寝ようが勝手だろう」といわんばかりにあちこちの政党とくっついては離れを繰り返してきました。まさに野合政治です。

1995年から1998年あたりまでの時期における政治は冷漠政治というべきもので、国民は国家が自分たちのために何もしてくれないということを知らしめられます。阪神淡路大震災のときの対応は特に棄民政治を強く印象づけました。
私自身もこの当時荒廃した職場環境で極度の人間不信や孤立感に苛まれ職を辞したのですが、それと重なって非常に暗く殺伐とした思いをさせられております。1995年で自分の人生観がかわり、他人に対しどこか冷淡な見方しかできなくなりました。阪神淡路大震災の惨状をテレビ等でみて「自分の命が明日あるとは限らない」「将来を信じない。他者や社会への関心を捨て今日その日を己の享楽のみを追求して生きる」という瞬間刹那主義的な人生観へと転換してしまったのです。

1995年は阪神淡路大震災だけではなく、たった2カ月後にオウム真理教サリンテロ事件が発生し、1997年には神戸で酒鬼薔薇聖斗と名乗る中学生が猟奇的な快楽殺人や傷害事件を引き起こしました。後者の事件の被害に遭われた方の体や心を深く傷つけ、今もなお反省しているとは思えない犯人を許すことは私にできませんが、同時にこのような事件が起きてもおかしくない世相だったとも思えてなりません。犯人の少年(当時)は反社会的かつ無政府主義的な思考を持っていたことが彼の犯行声明文や手記から伺い知れます。
神戸に在住し阪神淡路大震災の惨状を目にした彼は小学生時代に卒業文集で村山富市首相に対し<ぼくは、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいに来たら、たとえ死刑になることが分かっていても、何をしたか、分からないと思います>という殺意を仄めかす文を残していました。政府や法に対する敵愾心や憎しみのようなものが彼の心の中で育ってしまったのではないかと私は想像しています。
また<絶対零度の孤独>といった当時の少年の言葉も他者への信頼や愛情を完全に否定したもので、寒々しいものを感じます。

この時代から日本は国民と国家、社員と会社、人と人の信頼関係やつながりがどんどん希薄になり、情愛とか情熱、信念、志といったものが否定されてしまうような国になってしまったと私は感じています。このことが人々から生きる希望や力を奪い、それが経済活動の低下や少子化問題というかたちでも現れてしまっているのではないでしょうか。優れたモノやサービスを創造したり提供し続けるには人と人のつながりや信頼が重要で、新しいアイデアを実現したいという志を共有し合えないとできないことです。また子供をつくり、育てることも女性と男性の愛情や信頼関係が構築されなければできないことでしょう。

デフレが日本社会の冷漠化が進行させ、逆にデフレがまた人々の心を荒廃させていくという負の循環を20年以上にも渡り続けていくことになります。
人々の心の中から新しいものやことへの期待や希望、悦びがどんどん失われ、諦めや絶望、憎しみや怒りだけがどんどん膨らみ続けました。人間の持つ喜・怒・哀・楽の感情から喜と楽が最初に消え去り、次に哀が失われ、最後に怒だけが残ってしまったように私は感じています。

今後2~3話こうした内容の記事を書いていく予定です。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet

イメージ 1