新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

就職氷河期の発生と非正規雇用やリストラが一般化しはじめた90年代

前回まで日本のバブル景気崩壊とその後の「失われた20年」と呼ばれる異常に長い経済低迷期が発生した原因について話してきました。それは三重野日銀総裁によるバブル潰しで行った金融引き締めと橋本龍太郎政権の緊縮財政が招いたもので、銀行の信用収縮が企業の設備投資や雇用を萎縮させ、市中へのマネー供給を滞らせたためです。この金融・経済・財政失策はいまもなお日本経済やわれわれの暮らしに重い後遺症を与えてしまっております。

一般の人たちの話や新聞・マスコミなどで非正規雇用問題や低賃金・低待遇、ブラック企業問題、貧困や格差問題等について多く語られたり取り上げられています。あと1000兆円を超える累積債務を抱えているとされる国家財政問題もあります。これらの問題はよく現行の安倍政権のせいだとか、民主党政権のせいだ、小泉純一郎政権のときの小泉改革の行きすぎのせいだなどとよく言われますが、それは極めて近視野的な見方です。こうした経済的諸問題は1990年代が源流となっていることです。私がこうしてバブル崩壊の1990年代にまで遡って話をしている理由はこの当時の過ちを糺さないと問題の本質がつかめないからです。

正規雇用問題の方についてですが、その労働形態のひとつである派遣労働やそれを斡旋する会社が現れ始めたのは1990年代中頃のことでした。1980年代までの日本において当たり前だった完全雇用や終身雇用が1990年代のバブル崩壊で綻びはじめたのです。経営が危うくなってきた企業がこれまで抱えてきた従業員を整理解雇することをリストラと呼ぶようになったのもこの頃からでした。日本の経済活動の急速な萎縮が終身雇用制度の維持を難しくしてしまい、企業は非正規雇用主体へとシフトせざるえませんでした。派遣労働といえば小泉改革竹中平蔵氏のことが想起されがちですが、彼らは90年代から起きた動きに乗じていただけに過ぎません。

こうした労働者の雇用条件切り下げは1990年代以降の金融引き締めによるマネーの発生・供給の著しい減少と企業の投資・雇用意欲の萎縮がもたらしたものです。株や不動産投機の損失を穴埋めするために銀行が極端に融資を渋ったり、銀行そのものが経営破綻してしまったことが企業への資金供給を止めてしまい、そういう事態を引き起こしたのでした。
さらにひどいことに日銀はその後も金融緩和を渋り続け、おまけに政府・大蔵省→財務省増税や緊縮財政で国民経済を徹底的に叩きのめします。そのおかげで国民消費は伸び悩んで企業の投資(雇用を含む)もすっかり萎縮しきってしまったのです。当然労働者へのマネーの分配が収縮・不安定化する一方でした。GDPバブル崩壊以後頭打ち状態です。


イメージ 1

企業はあまりに長い経済低迷や不安定化で思い切った投資がやりづらくなり、新しい技術を開発することも困難になっていました。スキルの腐食がじわじわ浸潤し、バブル時代には日本のメーカーが世界中を席巻し花形であった自動車や電機産業の国際競争力低下を進めています。このことがまた雇用に悪影響を与え続けました。

冒頭で述べた日本経済やわたしたちの生活問題の多くは信用収縮によるマネーの発生と供給の慢性的低下がもたらしたものだと言って過言ではありません。労働福祉や貧困問題に強く関心を持つならば日銀の金融政策や政府・財務省増税・緊縮財政に対し厳しく目を向けるべきでしょう。

景気の浮き沈みによってその年の新卒者の就職状況が大きく左右されてしまうような事態を放置すれば当人の努力と無関係の理不尽な生年格差を生みます。そういうことがないように極力経済活動は安定的な持続成長ができるよう金融政策等で統制していかねばなりません。それは国家や中央銀行の責務です。

多くの国民が将来に対する不安を抱えているとされていますが、それを払拭するにも景気変動の幅を極力小さくし、国民の将来見通しが立てやすい状況をつくることが先決です。社会保障による再分配強化の前に、(就労による)所得分配の安定化を計るべきです。

そして企業に従業員の賃下げやリストラ(本当は整理解雇のことを指す言葉ではないが)をするなという前に、そうしなくても済むような経済づくりをしなければなりません。

次回も1990年代を振り返っての話ですが、エッセイ的な内容にしたいと思っています。「不信と失望の時代のはじまり」です。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet

イメージ 1