新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

バブル崩壊後の日本経済に止めを刺した橋本龍太郎の緊縮財政

前回は1989年から1994年まで日銀総裁を務めた三重野康が行った金融引き締めが日本を「失われた20年」に追い込むことになってしまったことを書きました。 「”平成の鬼平”が引き金となった失われた20年


イメージ 2

上の図のようにわたしたちが手にするお金は市中銀行信用創造が生んだもので、企業等に融資をすることによってはじめて世に送り出されます。景気の好況期は民間銀行の信用創造と融資が積極的で、企業の投資(雇用)意欲も高く、民間銀行→企業→市中へとどんどんお金が流れていきます。政府の方も多くの税収が得られて財政も安定させやすいです。ところが下の図のように民間銀行による信用創造が収縮し、企業等への融資を渋り出してしまうと世の中全体にお金が供給されなくなっていきます。

イメージ 3

バブル潰しは株や土地の投機行為を監督・規制で抑え込めば良かったことで、三重野総裁がやった金融引き締めは余分でした。そのおかげで銀行の融資が極端に少なくなって、企業は資金繰りに困って設備投資や雇用ができなくなるだけではなく、操業停止に追い込まれるところまで出てしまったのです。当然一般の労働者も所得を落としたり不安定化させていくことになります。

三重野総裁の金融引き締めで企業の活動や業績は急失速してしまうのですが、同時期に政権を担っていた橋本龍太郎が進めてしまったi消費税5%引き上げや緊縮財政が日本の経済に止めを刺してしまったのです。消費税5%引き上げは先代の村山富市政権のときに内定していたのですが、実施したのは橋本政権です。

イメージ 4

橋本政権は増え続ける赤字国債の発行を食い止めるべく財政再建路線を強く打ち出していました。1997年4月の消費税引き上げ実施に続き、同年11月には歳出削減や赤字国債の発行を毎年削減していくことを定めた財政構造改革法を成立させていきます。同じく橋龍政権6大改革のひとつであった「社会保障構造改革」においても健康保険料の自己負担分引き上げや給付やサービスの削減を計るものでした。
これは私事になってしまいますが、この時期自分は障がい者の親たちが自主的に運営していた障がい者施設に勤務していました。10年以上に渡る努力が実り、その施設がようやく社会福祉法人化される矢先に橋龍政権が進める財政再建によって認可内定取り消しをされてしまうということが起きたのです。幸いにしてそれは復活しましたが、そのこともあって橋本龍太郎に対する私のイメージは長年「冷酷非情」のままでした。

このような増税や緊縮財政を行ったにも関わらず、国家財政の再建は進むどころか悪化してしまったのです。消費増税を実施した1997年度においては消費税収が約4兆円増えたのですが、2年後の1999年度には1997年度比で所得税収と法人税収の合計額が6兆5千億もの税収減となりました。消費増税による歳入増を景気悪化による所得・法人税減が相殺してしまったのです。

いつも経済のことで参考にさせていただいているのらねこまさんのツイート記事に掲載されたグラフを見ますと、日銀の金融引き締めと増税・緊縮財政が逆に国家財政を歳入減・歳出増の”ワニの口”状態にしてしまったことがよくわかります。
イメージ 1
引用 上図 のらねこまさんのツイートより。

グラフを読めば日銀の金融引き締めが強かった1992年あたりにマネーストックが急減し、それと同時に税収減と歳出増の幅がどんどん拡がっていることに気づかされます。歳出は橋龍政権の1997年にほんの僅か一年間だけ減らしているのですが、1998年からまた歳出がどんどん増えてしまっています。
のらねこまさんのグラフとこの記事の上から2番目の図を併せて見ていただければ「失われた20年」の正体が一目で理解できるのではないでしょうか。

橋龍政権は消費税5%引き上げ直後に起きた景気悪化に対処すべく、大慌てで4兆円減税と財政構造改革法の改正を表明します。減税内容は所得税・住民税の定率減税最高税率の引下げ、法人税・法人事業税の税率引下げで高所得者や企業向けのものでした。逆累進性が高く低所得者への負担が大きい消費税の引き上げはそのままで、高所得者や企業向けの減税だけを進めています。この当時の減税で6兆5千億円の歳入を失いました。

1998年7月に自民党は景気低迷や失業率の悪化によって参議院選挙で惨敗。橋龍政権はこの責任をとって内閣総辞職します。後継の小渕恵三政権は橋龍政権の反動で公共事業を中心に財政出動を進め赤字国債の発行が進みました。
橋本龍太郎はのちに自身が行った増税や緊縮財政に対し「私は平成9年から10年にかけて緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も自殺した。本当に国民に申し訳なかった。これを深くお詫びしたい」「財政再建のタイミングを早まって経済低迷をもたらした」と懺悔の言葉を遺しています。大蔵・財務官僚の言いなりになっていたことも悔やんでいました。

1990年代という10年間における金融・経済政策の過ちが日本経済凋落を決定づけてしまったのです。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet

イメージ 1