新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

”平成の鬼平”が引き金となった失われた20年

前回は80年代からはじまった日本の投機バブルのことについて書きました。この投機バブルは製造業等向けの資金需要が飽和状態になりかけていた銀行が融資先を株ないしは不動産への投機へと向けてしまったことや、企業が証券会社とツルんで自社株を吊り上げ、資金をタダ・・・・いや熨斗つきで調達するような財テクが元凶で起きたことです。

このように株や土地を転がしてマネーをどんどん膨張させることはいびつ極まりない行為です。証券会社は「絶対に損はさせません!損失が出てもウチが補填します!」などという口約束や名刺の裏書きまでして強引に株を売ってきました。銀行も不動産投機に対する融資割合が増加していきます。(20%近くも) そうした投機行為に歯止めをかけるため1989年末に大蔵省が「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」という通達を出し、さらに1990年3月27日銀行に対して不動産融資総量規制の通達を出しました。これで
投機による株価や不動産価格吊り上げを止めることができました。

しかし大蔵省出身の澄田智に代わり日銀総裁に就任した三重野康が金融の引き締めまでやらかしたのです。三重野総裁は日銀叩き上げで「株に手を出したことがない」と広言してきた人でした。「バブルはけしからん!オレが徹底的に潰す!」と言わんばかりに公定歩合を2回も引き上げます。これによって三重野総裁は世間やマスコミから「平成の鬼平」として賞賛されることになったのです。

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三重野総裁の利上げによって銀行の普通預金でも2%・定期預金で澄田時代が3.3%だったのに対し倍近くの6%にまで上がりました。株の平均配当利回りが0.5%でしたので、マネーがどんどん株から銀行の預金口座へと流れ込みます。株価はどんどん値下がりしました。不動産価格の方も崩れ出し、売り一方に転じていきます。

これで株や不動産投機バブルを潰したぞ!と喜んでいたのもつかの間で、急激なその資産価格縮小で銀行や証券会社等の金融機関や企業のバランスシートがおかしくなってきます。

まずは前回も使った企業のバランスシート崩壊の図です。

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銀行側のバランスシートもこんなことになってしまいました。


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また国際決済銀行(BIS)によって銀行は一定以上の自己資本率を有することなどの基準を設けました。日本の銀行は自己資本比率が欧米の銀行よりも低かったのですが、国際的に営業活動を行う上で甘すぎるということで1987年「バーゼル合意」という規制に参加することになりました。BIS規制は自己資本8%すなわち12.5倍以上のお金を信用創造で膨らませ融資したり、預金者からお金を預かってはいけないということになります。(国内の場合は自己資本率4%以上=25倍以内)

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ところが銀行は株や不動産等への投機行為に対する融資や自行所有の株・不動産資産を増やしました。銀行のバランスシート資産側にそれらが計上され、資産バブルによってその含み益がどんどん膨らんでいきます。

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株価や不動産価格がうなぎ昇りで上昇している間はバランスシート負債側の純資産もその分増えていきますし、預金者からお金をどんどん預かることができます。
ところがバブル崩壊で株・不動産価格が暴落すると株・不動産投機を行っていた企業や個人の多くが破産等で債務を償還できなくなって不良債権が大量発生します。自行所有の株・不動産等の資産価格も下落しますし、融資の担保となっていたそれらの資産を売却しても価格暴落で補いがつかなくなります。

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とまれバランスシート資産側の縮小と共に負債側も縮小し、純資産を収縮させてしまうことになるのです。そうなるとの法定の自己資本比率(銀行の資本金と負債および預金の割合)を守れなくなり・・・・・
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ラブ注入(査察)→銀行免許取り上げとなって一巻の終わりです。

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そして最悪は経営破綻や預金封鎖となります。

銀行は自己資本率を強引に引き上げるために、大慌てで融資先から貸し出しているお金を引き上げ、新規の貸し出しも締め始めます。中小企業などは銀行から冷酷非情に融資を打ち切られ、資金繰りに困って操業停止に追い込まれるような仕打ちを受けます。土下座をしても融資をしてもらえないのです。「銀行は晴れの日に傘を貸し出し、雨の日に取り上げる」と云われたのはこの頃です。
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銀行から融資を受けられなかった中小企業に対し資金貸し出しを行って暴利を貪るハイエナのような商工ローンも現れました。「腎臓売れ!目ん玉売れ!」の日栄ですね・・・・・・。

鬼平・三重野総裁の公定歩合引き上げと銀行の貸し剥がし貸し渋りによってお金の発生や生産活動、市中へのマネー供給がぐんと落ち込みます。つまりは信用創造が極端に萎縮してしまうということです。これが「失われた20年」の発端です。
人間の体でいえば心臓の動き(融資)が極度に低下し、体に血液・酸素・栄養素等が送り出されない状態です。

もちろん雇用の方もバブル崩壊を境に不安定化します。

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1929年に世界大恐慌を引き起こしたアメリカと同じく、日本も急激な信用創造の萎縮によって企業の生産活動や雇用が停滞していくことになりますが、日本の場合さらに悪いことに橋本龍太郎政権で消費税5%の引き上げと冷酷ともいえる緊縮財政を行って経済活動の萎縮を決定づけてしまいました。次回はその件についてです。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet

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