新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

日本の投機バブル発生

 



今回は日本の平成バブルの発生とその崩壊の過程について書きます。「バブルと恐慌の発生」編で1929年の世界大恐慌前にアメリカで発生したバブル景気と2000年代に同じくアメリカで発生したサブ(ノン)プライムローンによる住宅バブルの発生について述べましたが、日本の平成バブルについては書かず終いでした。

しかしながらその発生メカニズムは基本的に一緒だと考えていいでしょう。銀行の融資がモノやサービスを生産に対するものから株や不動産等への投機行為へと向かってしまい、それによって信用膨張が進んでしまったことが主要因です。
 
日本のバブル経済発生の原因は1985年に主要5か国がドル高からドル安への誘導を行うことを決めたプラザ合意がきっかけだと云われています。(当時このようなドル高を生んだのはアメリFRB議長のポール・ボルガーがスタグフレーションを食い止めるために高金利政策を採ってしまったことが原因だが、それを他国に尻ぬぐいさせたようなもの)
 
このプラザ合意以後、ドル安=円高となり日本の輸出産業は打撃を受けました。この円高不況を打開するために当時の日銀澄田新総裁は公定歩合を0.5%から0.3%へ引き下げる金融緩和政策を行います。これによって企業が銀行から借りる資金の金利負担を軽くし投資意欲拡大を計ろうとしたのです。
ところが銀行の融資先はモノをつくる企業ではなく、当時「絶対に下がるわけがない」といわれていた株や不動産への投機行為へと向かってしまったのでした。
 
プラザ合意の1985年に日経平均1万3000円だった株価が翌年には1万8000円に急上昇、不動産についてもやはり1986年あたりから上昇率がぐんと高くなります。銀行の不動産向け融資の割合が急速に増えだしたのもこの頃からで1980年代にはたった8%の割合だったものが、バブル期になると20%近くも占めるようになります。
 
株の方は1987年に株価暴落が世界中で発生し「ブラックマンデー」といわれたのですが、日銀のさらなる金融緩和の他に大蔵省主導の株価維持工作がはじまります。
大蔵省幹部は当時日本の4大証券会社(証券、大和証券山一証券日興証券)のトップを呼び出し、株価を2万1千円台で維持するよう要請しました。それこそ「株高を維持するためなら違法・脱法行為も許される」というノリです。
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証券会社は個人相手にも株投機を勧めます。
 
 
証券会社が株を売りまくって株高が維持できるように大蔵省は「特定金外信託」(略して特金)という制度を設けてやりました。これは企業が自社所有の証券を特金に移して運用を任せる格好にしてやると、簿価分離で株の転売で含み益が発生しても帳簿価格が変わらず、税金が低く抑えられるという抜け道です。
証券会社はこれを利用して「いくら売却益が出ても、本体のほうの含み益は別だから大丈夫です。含み益を出さなくてもいいんです」といって営業特金の売り込みをかけていきました。おまけに利回り保証つきとか口約束もしくは名刺の裏書きで「御社に運用で損が出ても補填しますから大丈夫です」などとまで言って証券会社は企業に株を買わせようとしました。もちろんこれは違法もしくは脱法行為です。
 
こうしたファンドトラスト・営業特金を活用した財テクに多くの企業がのっかてきます。実質ノーリスクで莫大な運用益が転がり込んできますので笑いが止まりません。企業は本業よりも株や不動産の投機で収益を稼ぎ出します。企業は銀行から(間接)融資を受けなくても、株でどんどん設備や機械などの投資費用を調達できますのでイケイケモードでそれが加速しました。かなり活発な設備投資で景気もどんどん上昇します。
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他にも企業と証券会社がやった財テクの例として株の時価発行増資(エクイティ・ファイナンス)という手法も使っていました。企業側が何か新規事業や増資といったマブネタをチラつかせてやることによって自社の株価を吊り上げてやります。そして阿吽の呼吸でファンドトラスト・営業特金で資金運用を任されている証券会社がその会社の株を事前に買い上げておくと、莫大な資本がタダ同然で入るという錬金術です。
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証券会社と企業による自作自演の自社株吊り上げ工作
 
それともうひとつ企業による財テクで海外の投資家たちから資金をかき集めた例がワラント債です。ワラント債は企業の借金である社債にその社の新株をある一定額の条件のまま交換できる権利をつけたものでした。例えば一株100円という条件で交換できますよという約束です。この会社の株価がどんどん上昇して一株200円に値上がりすれば海外の投資家は200円-100円≂100円の利益が得られてウマーなのです。
一方日本企業側も自社の財テク含み益が増大し、さらに資金を借りまくることができます。それをまた株式市場に投資して自社株が上昇してウマーとなります。
それからさらにドル建てで借りたワラント債円高進行のために両替で円換算するとさらに金額が膨張します。日本企業はさらにウマーです。
 
不動産側の投機バブルもすごいものでした。不動産平均価格をバブル景気初頭の1981年とピークの1991年で比較するとなんと2倍。 大手企業だけではなく中小企業までも不動産投機をやるのが当たり前になってしまいました。
分譲価格1億円以上の超高級マンション=「億ション」が登場する一方で、不動産投機をしたい地主や不動産業者がなかなか立ち退かない住人に対し、極めて暴力的な手段で威嚇して強引に追い払おうとする地上げ屋まで現れましたものです。(伊丹十三監督の映画「マルサの女」にも登場した)
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こうした株や不動産投機ブームは電電公社の民営化によって生まれたNTT株をなるべく高値をつけて株式公開し、その株売却益で国家財政赤字の穴埋めをしようという思惑も絡んで発生しています。もうひとつJRに分割民営化される前の旧国鉄が抱えていた巨額の累積債務を不要となった貨物ヤード用地の売却で清算しようとしていました。それも不動産バブルが起きていた方が好都合だったのです。(こちらは売却前に不動産バブル崩壊が崩壊し目論見が外れる)
 
バブル景気で実物経済においても設備投資や雇用が非常に活発になり、庶民の生活も今にして思えば非常に豊かなものでした。モノやサービスのレベルがぐんぐん向上し、期待感やときめき感にあふれていた時代だったと私も記憶しています。しかしながら資産バブルというイリュージョンマネーが異常膨張し、多くの企業や銀行・証券会社はそれを抱え込みます。
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図1 株や不動産の価格上昇によってバランスシートの資産が膨張する。(左)
すると負債側の純資産もその分膨張し投資を増やせる。(中)
もしくは銀行からの融資が増えて設備投資を増強できる。(右)
 
 
株や不動産価格上昇によって企業や銀行の資産は大きく膨らむのですが、逆をいえば株・不動産価格が暴落すると膨らんだ資産は急収縮します。
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まだ上の図はBS負債側の純資産が収縮してしまうだけで済んでいますが、下の図のようにBS資産側において株・不動産関連の資産割合が高かったりすると大変です。純資産を食い潰すだけに留まらず債務超過に陥ります。こうなったら終了です。
 
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株バブルは1989年末の大蔵省通達「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」で消滅。不動産バブルは1990年3月27日に銀行に対して不動産融資総量規制の通達を出したことで消えました。
 
そうした資産バブル潰しだけで終わればよかったのですが、「平成の鬼平」こと日銀の三重野康総裁が就任以来、バブル退治としてどんどん公定歩合の引き上げを進めます。このことが企業の投資や雇用に急ブレーキをかけてしまい「失われた20年」の幕開けとなってしまったのです。
 
次回はバブル崩壊バランスシート不況について取り上げる予定です。
 
 
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