新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

金融政策軽視が招いていた国家財政悪化

このサイトの「デフレと失われた20年」編や「政府(市民統治)貨幣 」編、そして「ハイパーインフレについて」編を綴っていくうちに気がついたことは金融政策第一主義を採る必要性でした。多くの人たちにとって第一に思い浮かべる経済政策や景気対策は財政政策ですが、むしろこれは二番手として扱うべきものです。

金融政策はモノやサービスなどの財を生産する民間企業の投資に大きく関わるもので、実業家以外の人にとっても雇用(所得分配)や物価に直結するものです。金融政策が経済活動を統治するもっとも基礎的な政策です。金融政策は貨幣の発行量や金利の調整が主体です。財政政策は減税もしくは増税、そして公共事業や補助金・給付金配布などといった財政出動が入りますが、経済規模が巨大になってしまった現代において国が大規模な歳出を行っても、それは市場という大河の一滴に過ぎず、財政単体で景気浮揚を行うことは極めて困難です。

前回「国に1100兆円もの負債を積み上げさせた元凶は誰か ~日銀の金融無策が諸悪の根源~」では日本が「失われた20年」という世界史上で類のない超長期に渡るデフレ状態を招き、日本経済の沈滞化と国家財政の悪化へと導いたのは三重野康総裁時代からはじまる日銀の金融無策によるものだということを記しました。
デフレスパイラル状態や流動性の罠に陥る直接的なきっかけは橋本龍太郎政権の増税・緊縮財政と財界が進めた非正規雇用拡大と賃下げであると述べましたが、その背景も三重野が行ったバブル退治の金融引き締めにあります。三重野の金融引き締めの悪影響は橋本龍太郎増税・緊縮財政よりも悪影響が大きかったと私はみています。
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橋本龍太郎の失脚後、小渕恵三政権が発足し、ケインジアンを自負する宮澤喜一氏を財務大臣に据えました。

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この政権でかなり大型財政出動を行い、景気浮揚を計ろうとしましたが、焼石に水で思った以上の効果が得られません。国家財政の累積債務がどんどん増えていく一方でした。宮澤喜一財務大臣は財政政策だけではなく金融政策面でもゼロ金利政策も導入しましたが、こちらも中途半端で終わっています。

後にリーマンショックがあった2007~2009年あたりの大不況にもおいても、麻生太郎政権は大型の財政政策を行っています。こちらの方も十分な成果があったとは認められず、麻生政権は民主党に政権を奪われることになりました。

1990年代以降にはっきりしてきたのは財政政策主導の景気対策は限界を見せてきたということです。にも関わらず旧くからの自民党政治家はそれにしがみつき続け、いたずらに負債だけを膨張させてしまったのです。

小泉純一郎政権や第2次以降の安倍晋三政権は金融政策主導の経済政策を行い、民間企業の投資意欲拡大によって景気浮揚を計る方法を採ってきました。国家財政を傷めない形での景気対策を打つことができたのです。

もちろん恐慌といっていいような深刻な経済危機のときは金融政策一本でいいなどとは言っていられません。金融政策は効果が現れるまでタイムラグがあり、明日の生活にも困っている失業者や倒産寸前の中小企業を救うために大型な財政出動は不可避です。そうした場合に国が発行した国債を日銀が買い取るか引き受けるかのどちらかで現金を発生させるヘリコプターマネーという手が出てきます。これも金融政策のテクニックのひとつです。(財政ファイナンス

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ただ単純な財政出動だけですと、後に金利上昇を引き起こして企業の投資を余計鈍らせたり、通貨高を招いて輸出不振を引き起こすなどといった弊害をもたらす可能性があります。それを防ぐにも金融政策で長期金利を抑え込んで財政出動をやればそのリスクが減らせます。

これまで自民党の政治家や財務官僚らの金融政策に対する知識が非常に希薄だったために、日本の国家財政がどんどん悪化してしまったといっても過言ではありません。財政政策ばかりに執着しますとどうしてもゼロサム的な発想に囚われてしまい、あっちの予算を盛りたいからこっちの予算を削るといった発想に陥りがちです。

次回もまた金融政策の知識が欠落していたために引き起こした国家財政危機や悪性インフレの事例について述べます。

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