前回はケインズ経済理論や財政政策のときによく使われる政府支出乗数や均衡予算乗数の概説をしました。
これまで財政政策のなかで乗数効果が2~3で波及効果も高いといわれてきた土木公共事業は現在1を少し上回る程度になっているようです。
いわゆるケインジアンと云われる経済評論家や政治家たちは財政政策をやるなら乗数効果が高い土木公共事業を選ぶべきで、波及効果がほとんど望めない減税や国民に直接手渡すかたちの給付金は経済的に意味がないと考えてきました。
しかしながら土木公共事業でさえも乗数効果が1近くまで下がってきた今、これまでどおりの財政政策の考え方は通用しなくなっているといえるのではないでしょうか。乗数効果が1近くということは政府支出のマネーが極めて狭い範囲内で滞ってしまい、貨幣が広く市中へ行き渡っていないことを疑うべきです。
もし仮に政府支出が特定の企業や業界・個人などに偏った配分がなされてしまうと、国民から預かった税を一部の人間に収奪されるような形となり、税配分の公平性が問われることになるでしょう。レントシーキングだと言われかねません。
昔のようにお上が企業や業界にお金を配れば、呼び水(スペンディング)理論で投資が活発化し、お金を受け取った企業が関連企業や就労者たちへそれを分配してくれるので、結果的に世の中全体に広くお金が行き渡るという考え方は通用しなくなっているのです。
「トリクルダウン」という言葉はアメリカのレーガン大統領が頻繁に用いたこともあって「新自由主義」とか「サプライド経済学」の中心的思考だと見られていますが、かつての日本型ケインジアン流財政政策自体もトリクルダウン型になっていました。波及効果が低いとシャンパンタワーの頂部にあるグラスのみシャンパンやワインがなみなみと注がれたけれども底のグラスにはほとんど流れ落ちていかないような状況になります。
極端な不景気で多くの国民が困窮し、お金を各人に供給したいという目的であるならば、トリクルダウン的に上からお金を流すような考え方ではなく直接給付をした方がいいという考えが出てきます。どのみち乗数効果が1いくかいかないか程度ならば必要な人たちに直接給付した方が確実です。
もうひとつ財政政策を行う上で重視すべきは限界消費性向そのものをなるべく高めて、人々が受け取った所得を消費に遣いきってもらうような仕掛け(nudge)を用意しないといけないことです。そのnudgeとは将来の予想です。同じようなことは「アベノミクスとリフレ政策 」の「なぜ物価がなかなか上がらないのか? ~アベノミクスが残している宿題 その1~ 」でも述べました。
将来の予想を変えることによって企業が投資を、個人が消費を活発にすることで限界消費性向が高まっていく可能性があります。
財政政策は金融政策・リフレーション政策と組み合わせないと波及効果が出にくい
ということです。
「ケインズ派」VS「リフレ派」なんて言っている人はバカです。単純にお金をバラ撒けばみんな勝手に遣ってくれるという時代ではありません。流動性の罠に陥っているときは金融・財政共々単独では効果が出ないのです。
同時に言いますと給付金とかベーシックインカムの導入を主張するときも、ただ制度が実現すれば「みんなお金をどんどん遣って景気がよくなる」というだけではダメです。これも予想というnudgeが必要です。
先に述べたようにただ給付金やれとかベーシックインカムを唱えていても「給付金や地域振興券の乗数効果なんかほとんどない」「そんなことをやるより企業に予算を出して投資を促した方がワイズスペンディングだ」と切り返されて終了です。国土強靭系のケインジアンたちは子ども手当とかベーシックインカムに冷淡なのはそのためです。三橋貴明氏はベーシックインカムを「新自由主義」とか「グローバリズム」などと言って否定していますね。「【三橋貴明】ベーシックインカム | 「新」経世済民新聞」
給付金とかベーシックインカムも人々の「将来入る所得の見込みが持続的上がる」という予想をつくらないと効力を発揮しないということに気がつくべきです。
財政政策・金融政策共々大事なのは将来の予想です。
これを変えないとどっちも死に金になるだけです。