新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

日本国民を奈落の底へ突き落した金融極右・白川方明日銀総裁と与謝野馨

前回は小泉内閣末期から崩れはじめた自民党政治と経済再悪化について書きました。2006年に量的緩和政策を解除してからデフレが再発し、資金繰りが厳しい中小企業を中心に倒産・廃業が目立ちかけます。当然賃上げや正規雇用の拡大も止まり、派遣労働者をはじめとする非正規雇用労働者の問題は放置されます。彼らは居住地を失いネットカフェ難民として彷徨せざる得なくなっていきました。その一方でアメリカのサブプライム住宅ローン証券の焦げ付きによって2007年あたりから投機家たちが原油・小麦・大豆などの資源・食糧に投機先を転換しはじめ、その価格が高騰します。この影響を日本も受け、企業は原材料費の高騰で業績が悪化し、一般消費者の生活も苦しくなっていきます。さらに2008~2009年あたりにかけ輸出産業や製造業に従事していた派遣労働者が大量解雇される事態が発生しました。

このように日本経済はどんどん足元から崩れ出していたのですが、当時の自民党や日銀の金融・財政政策は無能・無策の限りを尽くします。福井俊彦日銀総裁は就任当初こそ圧倒的な政治力を持っていた小泉純一郎氏に逆らわず、ネコの皮を被って大人しく緩和に応じておりました。しかし氏は小泉政権末期になると、だんだんと金融タカ派色を出すようになり、2006年3月の量的緩和解除以降も金利の引き上げを2回に渡り行います。
拙速すぎた金融緩和解除が祟り、景気はずるずる悪化していきますが、何も手を打とうとしません。そうしているうちに福井総裁の任期が2008年3月で切れます。後任総裁の人事ですがそこで大きな混乱が生じてしまいました。
第1次安倍政権のときに参議院選挙で自民が大敗し、民主党議席を奪われます。そのため衆議院参議院ねじれ状態が発生してしまいました。日銀総裁人事も自民・公明の意向だけではなく、民主党の意向も汲まないといけません。当初自民・政府側は武藤敏郎副総裁を総裁に昇格させ、副総裁に白川方明京大大学院教授と伊藤隆敏東大大学院教授を充てる案を示します。しかし、衆参両院で同意されたのは白川氏のみとなり、野党が多数を占める参議院では、武藤・伊藤両氏は不同意とされました。武藤氏が不同意になった理由は元財務官僚で、伊藤氏の場合は内閣府経済財政諮問会議の議員であるというものです。

民主党財務省出身である武藤氏の日銀総裁就任をふさわしくないと主張した理由は、財政と金融の分離でした。バブル期に大蔵省出身であった澄田智総裁の金融政策は緩和傾向が強かったのですが、それはインフレ状態の方が税収が増えて財政収支がよくなるという大蔵省の意向を汲んだものです。その緩和政策はバブル経済を引き起こしたのだという批判があがって、財政と金融の分離が唱えられるようになってしまったのです。
しかしこのブログでもずっと批判してきましたとおり、三重野康総裁の代からずっと日銀はインフレを悪と捉え、景気悪化で雇用が縮小し続けても金融緩和を渋り続けました。

三重野以降の日銀金融政策の批判記事

民主党という党も三重野氏と同じく、バブル憎しで物価が上がることを嫌い続け、反経済成長主義の思想に染まっています。
金融緩和に走りそうな武藤氏の総裁就任は望ましくない。ましてはアメリカ被れの強欲資本主義・新自由主義の権化ともいうべき竹中平蔵日銀総裁就任なんか絶対に許せないというわけです。

この後もなかなか新総裁が決められず、空席状態がしばらく続きましたが、結局総裁代行を担っていた白川副総裁がそのまま総裁に昇格してしまいます。その後白川総裁が第2次政権誕生まで頑迷といっていいほどの金融引き締め政策を続け、日本経済のどん底へと導いたことは言うまでもありません。ポール・クルーグルマン教授から「白川総裁を銃殺刑にせよ!」とDisられるほどでした。この人事を後押ししてしまった民主党(現在民進党立憲民主党希望の党に分裂中)も万死に値するでしょう。

民主党政権時代の極悪な金融政策については後の記事で詳しく書くとして、深刻な不況と雇用悪化が進行しているにも関わらず、福田政権や福井~白川総裁体制の日銀は悠長に「日本の景気は回復軌道に乗っている」としてそれの手当を怠り続けました。財政規律原理主義と金融引き締め原理主義を貫き通します。企業の倒産が相次ぎ、膨大な数の失業者が発生し、恐慌に陥りかけているにも関わらず、ちっとも財政出動や金融緩和を打ち出そうとしませんでした。

一方アメリカではそのときベン・バーナンキFRB議長が経営悪化に陥った金融機関に公的資金を注入したり、信用緩和政策をはじめております。


ジョージ・W・ブッシュ大統領も景気浮揚のために1,680億ドルもの財政出動を行いました。とにかく恐慌という最悪の事態を回避すべく金融政策や財政出動を必死にやっていたのです。アメリカ以外の国の中央銀行も総需要を増加させるために自国の市場へ大量の資金を投入していました。

にも関わらず日銀は「金融緩和余地が少ない」などと寝ぼけたことを言って量的緩和政策をいつまで経ってもはじめようとしません。他国が全開モードで金融緩和し資金供給をしている最中に日本だけが相も変わらず金融引き締めを続けているために円<他国通貨状態になり、円高が急激に進行します。円高原油などの資源コストが下がり出しますが、輸出に頼る自動車メーカーや電機メーカーは収益が急減して経営は虫の息状態に陥ります。そのしわ寄せは派遣労働者の解雇やサプライヤーである中小企業への発注激減という形で押し付けられます。

そして今回もうひとり批判の遡上に上げる人物として与謝野馨についても述べておきましょう。
彼はもう故人になってしまいましたが、死神と形容したくなるような男でした。この男が関わる政権は皆潰れていくということで「政権の墓掘り人」という異名がついております。

与謝野は2006年3月の量的緩和解除の項でも述べたように、その圧力を加え続けた政治家の一人です。増税や歳出切り詰めばかりを唱え続けた筋金入りの財政規律至上主義者といっていいでしょう。
典型的な財務省の狗(いぬ)というべき人間でしたので、各省庁が持つ特別会計内のヘソクリというべき”霞が関埋蔵金”についても当初与謝野氏は「伝説の類」といってしらばっくれていました。しかしその発言をした年末にあっさりと埋蔵金が出てきます。与謝野は官僚たちの隠し金の存在を国民に知られたくなかったのでしょう。

しかしそれ以上に与謝野の経済感覚のひどさを物語るのはリーマン・ブラザーズの経営破綻のときに涼しい顔をして「日本経済にもハチが刺した程度の影響」などといったことでしょう。50年・100年に一度の金融危機世界大恐慌の再来と恐れられた事態です。よく呑気にこんなことを言えたものだと思います。

さらにもっと許せないのは政府貨幣の発行に反対して大規模な財政出動を邪魔したことです。彼は政府貨幣を「異説の類」とか「(政府貨幣で)『円』っていうのは使えないんですよ。だから、『両』とかにねしないと。信用あります?流通しないですよ」などと言って潰しました。
当時世界一の業績を誇る自動車メーカーといわれたトヨタでさえ業績が急激が悪化し、部品を納入していた業者の多くが軒並み倒産するかしないかの苦境に追い込まれました。製造に携わっていた派遣労働者は一斉に解雇され、寮を追い出せることにより路頭に迷うような人もいたのです。
にも関わらず与謝野氏は財政出動を妨害して、失業者を見殺しにするようなことをやったのでした。

与謝野と白川元総裁がやったことは大量殺人と同じです。銃殺刑でも軽すぎるぐらいで何千回殺しても殺したりないほどの凶状だったといえます。

次回は麻生太郎総理が行った緊急経済対策について述べる予定ですが、もう一度政府貨幣のことについて触れるつもりです。

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