自民政治の綻びと進む日本経済状況の悪化 ~第1次安倍・福田内閣時代~
2001年4月より5年半に渡って政権を担っていた小泉純一郎氏は前々から宣言していたとおり、自民党総裁の任期が終わる2006年9月に総理を辞任しました。小泉政権は発足当時より国民からの支持や期待が非常に強く、1996年から2009年までの間における自民党政権の最高期であったといえましょう。
しかしながらその小泉政権も最大目標であった郵政民営化法案を通した後あたりから、勢いに陰りが出始めます。与謝野馨のような金融極右・財政規律偏重派の発言力が強まりはじめ、福井俊彦日銀総裁らを抑え込むことができなくなっていきます。その結果2006年3月に量的緩和政策解除を押し切られてしまうことになりました。
その後物価や投資・賃金の再下落がはじまり、派遣労働者をはじめとする非正規雇用労働者たちは所得の減少と不安定化に苛まれるようになります。このことが小泉・竹中改革に対する不満や不信を生む元凶になっていきました。
小泉政権の後継は第1次安倍政権になりますが、安倍総理が憲法改正にのめり込みになり、戦前の儒教的教育の復活など前時代的かつ復古主義的な教育観を前面に打ち出してしまったが故に左派を中心とする国民やマスコミから警戒感を抱かれます。これに小泉・竹中時代の競争至上主義やレッセフェール的な新自由主義の印象が重なってしまい、僅か1年で辞任に追い込まれてしまいました。
しかしまだ安倍氏は金融政策や民間経済活発化による税収増で増税(率)を回避しながら財政再建を計る上げ潮派的な経済・財政政策を理解している人だったのですが、安倍氏の次に総理となった福田康夫氏になるとそれを否定しはじめます。福田政権になると財政規律偏重主義路線がよりはっきりし、緊縮財政であった小泉政権時代よりもさらに公共事業の削減といった歳出切り詰めや増税(定率減税の廃止、配偶者特別控除の廃止、老年者控除の廃止、たばこ税・酒税の引き上げなど)を進めました。この結果福田内閣も支持率が悪化し、1年あまりで退陣に追い込まれます。
自民党政権の迷走と共に経済もどんどん悪化していきます。
金融政策の方を見ますと日銀は2006年7月にゼロ金利を解除し、それから2007年2月に0.5%へと引き上げました。当然中小企業は資金繰りが苦しくなっていきます。
まだ第1次安倍政権時代だった2007年頃より定住地を持たずネットカフェで寝泊まりし続ける非正規労働者や失業者、無職者たち=ネットカフェ難民の問題が注目されるようになってきました。それは若年層だけではなく中高年齢層にも及び、貧困の拡大が深刻化してきていることが浮き彫りになったのです。
そんな最中にアメリカでサブ(ノン)プライム住宅ローンの焦げ付きによる金融危機が燻りかけます。これによって2000年ごろからアメリカで続いていた住宅バブルやそれに連動した消費拡大の動きが止まりました。証券化されたサブプライム住宅ローンの値が暴落したために、投機家たちがそのかわりとして原油や小麦・大豆などの市場にそのマネーを投機したため、その価格が高騰します。
原油・小麦・大豆等の資源価格高騰は低所得に苦しむ日本の消費者=労働者の家計を直撃します。2007~2008年あたりまでですが、所得が低下するのに物価は上がり続けるスタグフレーション的状況になりました。
しかしながら物価が上昇したといってもそれは資源価格高騰というコストプッシュ(経費押上げ)型インフレで、消費意欲向上によるディマインドプル(需要引き出し)型インフレではありません。2006~2007年あたりからはじまった賃下げ・雇用縮小による労働者=消費者の所得低下・不安定化によって需要の冷え込みが進行しています。企業はコスト高騰で値上げしたいのに、消費低迷でそれができないために徹底的な投資・雇用縮小でコストカットし、商品価格の高騰を防ぐしかありませんでした。そうするとますますの賃金下落と失業の増加を招くことになります。
アメリカのサブプライム住宅ローン危機は2008年9月のリーマンブラザーズショックを引き起こし、世界金融危機へと発展します。それによってアメリカやその関連諸国の消費活動が減速したために世界同時不況に陥りました。日本の自動車や電機製造メーカーは1990年代より低迷が続く国内需要よりも国外需要に依存した経営へとシフトしていたために、この世界同時不況で重い傷を負うことになります。それが多くの派遣労働者を解雇に追い込むという事態へとつながるのです。
2006年からはじまり、2007年~2009年に深刻化した経済と雇用の悪化は安倍・福田・麻生の3代に渡る自民政権への憎悪を強めていきました。この当時各氏に対し国民やマスコミは「金持ち優遇」とか「お坊ちゃま」「格差拡大」「上から目線」といった罵詈雑言を浴びせていくようになり、自民党政権倒閣の気運が高まっていきます。
1990年代のバブル崩壊から2009年までの間、日本は経済再生のために大規模な財政出動を行ったり、金融緩和政策を導入してきましたが、一般労働者=一般消費者の所得向上や安定化が顧みられることはあまりありませんでした。その結果国民個人の消費はじわじわと衰え続け、自動車や電機メーカーは内需から外需依存型の経営を採り始めます。そのことが2000年代末期の深刻な経済・雇用危機を招くことにつながったのです。
前回あたりで述べたように小泉・竹中改革はアメリカのレーガンやUKのサッチャーが採り入れたサプライサイド経済学に近いもので、企業の投資や労働意欲向上など供給側を刺激することによって経済活動再活発化する考えでした。しかしながら同時に国民の所得や消費意欲をさせて需要増大を計るケインズ的な考えも完全否定すべきではなかったとも思えるのです。このことについては後に改めて触れる予定でいます。
~お知らせ~
今後日本の政局や北朝鮮問題についての論考は下記ブログで掲載していきます。