新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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スピーナムランド貧民制度はベーシックインカムの失敗例なのか?

ベーシックインカムに反対する人がよく持ち出してくるのが、産業革命期であった18~19世紀頃にイングランドのスピーナムランドで導入された貧民制度の例をあげる人が多いです。評論家の橘玲氏がプレイボーイで記事を書かれていましたし、前回取り上げた海老原嗣生氏もベーシックインカム案に対する批判記事でも触れられています。


スピーナムランド貧民法についてはここのブログサイトの「プロテスタンティズムと絶対王政下で生まれた懲罰的なイングランドの貧民法(救貧法) 」という記事でも取り上げたことがあり、読んでいただきたいのですが、何百年も前で産業革命期とはいえど、農工業の発達や生産・供給力もさほど高くない時代の話を引き合いにして、ベーシックインカムの失敗例だというのはあまりに無理筋でしょう。あとで説明するようにこの当時は極端かつ横暴といっていいほど資本家の発言力が強まっていた時代で、貧困はその者が怠惰であるがゆえに起きるのだから、懲罰を与えるべきだという思想が闊歩していたことを差し引いて見ないといけません。

もう一度1795年にはじまったスピーナムランド貧民法について説明しておきますと、パンの値段と家族の人数から最低水準の生活費を算出し、それ以下の所得しかない貧困者に不足分を補うといった内容のものでした。海老原氏は給付付き税控除に近いものだと述べていますが、日本の生活保護制度に近いものでしょう。

給付金の財源は地主階級からの土地保有税で賄っていました。ところがその後1814年あたりからイングランドは農業不況に陥り、地主階級が没落して救貧税の徴収がうまく行かなくなります。一方で貧民の数が増加して給付額が増えて制度破綻したと伝えられております。

橘氏はスピーナムランド救貧法が破綻した理由について
・最低所得保障は懸命に努力してもさぼっても受け取る所得が同じになってしまい、人々は好き好んで働こうとせず、労働の倫理が破壊された。
・労働者をただ働きさせても、差額の賃金が税金から補填されるので、雇用主は労働者へ支払う賃金をどんどん下げてしまった。さらに貧困層に支払われる家賃扶助を目当てに、あばら家を貸し付けて儲けるようなことも始め出した。
・勤勉な労働者たちの賃金が大幅に引き下げられたために、彼らのほとんどが破産してしまった。
と述べています。

海老原氏も同様の話です。

しかしながらスピーナムランド制度を研究していた人の文献を見ますと、いくつも疑問点や不審点が出てきます。
そもそもこれは200年以上も前の話で、当時において現代のように正確な経済・社会統計がなされていたのかというところから疑問を持つべきです。

 参考 京都大学の廣重準四郎氏の研究論文

橘氏は「生存権を大胆に認めたスピーナムランド法は、イギリス全土に急速に広まっていきます」と書かれていますが、廣重氏の研究によるとスピーナムランド制度はイングランド全域で広まっていた制度ではなく、この制度の適用を受けた貧民制度対象者はほんの一握りしかいなかったと述べます。また1800年代初頭に当初の3倍以上に膨れ上がった重い救貧税負担に農民が耐え切れず、貧民化してしまったとされていますが、農村の貧困拡大はスピーナムランドだけではなく、他の農村も同じような状況だったと指摘します。

さらにいうと、スピーナムランド制度は失敗だったと結論づけていた報告書自体が、制度廃止ありきでデータを捏造していたという人もいます。この調査報告書は貧民法の給付縮小や厳格化を狙った新貧民法(新救貧法)制定の審議のときに作成されたものです。

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新貧民法下の懲治院における劣悪非情な処遇を批判するビラ

この当時は宗教改革プロテスタンティズム自由主義思想が強まっていた時期で、古典派経済学者の一人であるマルサスイングランドの人口がますます増加することは、さらなる貧困を生むのだから、人口抑制をしないといけないし、ギルバード法やスピーナムランド制度のように貧民を甘やかすような政策を行うことは、勤労意欲の低い彼らが子どもを殖やして、ますます貧困を悪化させるのだと唱えていきます。彼は「人口は幾何級数的に増加するが、食糧算術級数的にしか増加しない」と考えていましたが、実際は産業革命は飛躍的な生産・供給力の増加をもたらし、さらに多くの人口を吸収できるようになりました。「マルサスの罠」と呼ばれる誤りです。

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トマス・ロバート・マルサス

リカードゥもまた貧困者への公的扶助を行うための税を貧困者以外から取ることは、その人々の可処分所得を減らすことになり、経済成長を妨げると主張します。
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デーヴィット・リカード

このように「働かざる者食うべからず」「貧困は悪である」といったプロテスタントの宗教観や資本家の自由と利益を最大化させようという極端な古典的自由主義が強かった時代にスピーナムランド貧民法は失敗の烙印を捺され廃止に追い込まれていったのです。

この後時代がさらに下り、産業革命期における資本家らが利己主義の限りを尽くし、労働者を過酷かつ劣悪な労働環境で遣い潰していきます。その結果貧困や格差がどんどん酷くなって、後に共産主義社会主義運動を勢いづかせることになりました。 (「産業革命の陰で進んだ労働者の貧困 」)
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そういう歴史背景を考えると、十分な検証がないまま、スピーナムランド制度を否定し、現代の社会のありとあらゆる公助を否定しまう発想は粗暴といえるのではないでしょうか。

ベーシックインカム導入反対論の批判はここで終え、次回から各国のベーシックインカム導入実験について取り上げていきます。

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