新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

実はドケンジアンと同類だった増税・緊縮財政派=小林慶一郎 [国家社会主義者]

先日コロナ対策諮問委員会の委員に招聘された小林慶一郎氏についての批判を続けてきましたが、今回でとりあえず区切りをつけます。小林慶一郎氏らは日本の国家財政は危機的状況にあり、消費税などを増税したり歳出削減を行って財政再建を行わないと国債暴落やハイパーインフレを引き起こすと吹聴してきました。東日本大震災後にも復興税を導入すべきだとも主張しています。しかも彼はこの復興税を臨時ではなく、このまま恒久的に財政再建のために継続していくべきだということまで話しています。

 

しかしながら今回のコロナ危機では一転して小林氏は積極財政を主張しはじめます。彼はコロナ危機によって収入減少を申告した1000万人から2000万人に、最大で24兆円程度の資金をかけて毎月10万円づつ現金給付を行うことや、国民全員にPCR検査を受けさせるべきだというような提案をしたりしています。

 

キャノングローバル戦略研究所

医療のためだけではなく、社会の不安を取り除くための「検査と追跡と隔離」

NEWS WEEK

「収入減少者に毎月10万円給付を、検査能力向上が重要」政府諮問委員・小林慶一郎インタビュー

 

NEWS WEEKのインタビューでは

財源は赤字国債の発行で賄い、その多くを日銀が購入すれば、国債暴落などの市場の混乱は起きないと予想。銀行などの民間金融機関もコロナ危機の継続下では、企業業績の不透明感の強まりなどでリスク回避傾向が続き、国債への選好度は高まり、その面からも日本国債の信用度は揺るがないとの見通しを示した。

なんて小林氏は言っておりますが、

 

『消費税率50%超が要求される日本財政「不愉快な算術」』という記事では

日本の場合、日本銀行国債を無制限に買い入れれば国債の償還は必ず実行できる。しかし、その場合にはマネーが市場にあふれてインフレが制御できなくなる。つまり日本では「財政破綻=高インフレ」である。霞が関の官僚たちは、おそらく次のように考えている。「高率のインフレによって政府の債務負担を事実上棒引きしてしまう方がずっと楽。面倒な増税や歳出削減策を国民に説明し、それを国会で通すために苦労しなくて済む」。

と正反対のことを言っていますね~。

 

彼の先輩である経済再生担当大臣である西村康稔氏が「コロナ対策の諮問委員に任命した小林慶一郎氏は財政再建至上主義者との評価がありますが、任命に際し本人と何度も話しました。最近の氏の論文では、今は財政再建にこだわらず国債発行してでも厳しい状況にある人の支援を行うべきと、財政支出の重要性を主張しています。経産省の後輩でもあります。」などとツイートして庇っていました。

 

これを見た高橋洋一氏はツイッター上で

「この西村大臣の意見 が正しいとすると、小林氏の学者生命もお終いじゃないのか笑。東日本大震災時の鬼のような復興増税とその後の歳出カット論は反省してすむような話なのか」と皮肉っています。小林という男は節操がないですね。

過去にしてきた説明や主張を臆面となくひっくり返して、断りもなく正反対のことを言い出す。こんな人を信用できますか?

 

急に積極財政を打ち出しはじめた小林慶一郎氏ですが、その後の増税も撤回するのでしょうか?

それはないでしょうねえ。恐らく彼は東日本大震災後の復興税と同じく、コロナ増税やその他の財政支出の切り詰めを言い出すことでしょう。「いまは財政支出の拡大を認めるけど、後でしっかり税という形で還してもらうよ」という魂胆です。

穿った見方をすればいまやっている積極財政は後の(恒久)増税を引き出すための駆け引きのために認めているといったことでしょうか。「今回は負けたフリをするが、後で倍返しだ」というつもりであるならばかなり警戒すべきことです。

 

政治家や官僚がどんどん財政支出財政赤字を膨張させて、後になって国民から高い税を毟り取るといった行動について私は常々国家社会主義だと批判してきました。国民が生産した財を国家が収奪し、それを国民が望まぬかたちで濫用してしまうというのは社会主義国家がやってきたことです。国民が好きなものを創って売って、自由にお金を遣う経済的自由を奪うのが国家社会主義です。

 

同じ財政政策でも無条件の現金給付というかたちは国民の経済的自由を国家が束縛しないどころか、一度税というかたちで国家が奪った国民のお金を遣う裁量権を給付というかたちで還元するという見方もできます。しかしながら国民からとった税を政治家や官僚が国民の福祉に反するかたちで濫用してしまうことは収奪行為だといえましょう。

 

小林氏の全国民PCR検査実施という提案ですが、彼はこれをやると全国民に安心感を与え、経済活動にも良い影響を与えるとしています。しかし大規模なPCR検査実施がコロナウィルス感染拡大防止や限りある医療・検査資源の適正配分につながるのでしょうか?私はそうなるとは思えません。

PCR検査は高い専門知識を持った臨床検査技師が丁寧かつ慎重に操作をしないと誤判定が出てしまったり、場合によっては検査施設で感染を拡げてしまうようなことにもなりかねず、多く人的労力と資材を必要とします。小林氏が考えているように医療の仕事に従事してこなった人を僅か半年程度の研修だけで検査員にしてしまえばいいとか、捕らぬ狸の皮算用的に格安の検査キットを開発すれば54兆円もかかるといわれている全国民へのPCR検査コストを数兆円に抑え込むことができるという発想はかなり妄想的だといえましょう。

現場無視の小林慶一郎が開陳する全国民PCR検査実施提言の愚

 

「検査を受ければ安心できる」という理由だけで、やみくもな大規模一斉検査を行って限りある検査資源を食い潰し、検査崩壊や医療崩壊を招いてしまったら元も子のありません。PCR検査を受けて陰性だという結果が得られても実は偽陰性であったり、検査直後に感染してしまうこともありえます。ですので「陰性だからもう安心」ではないのです。

 

つまり全国民PCR検査は年間数十兆円という膨大なコストが予想されるにも関わらず、得られる受益が極めて低い対策である可能性が高いのです。これに巨額の公費を注ぎこむことは最終的に国民へ大きな負担だけを押し付けることになりかねません。日本の民間が持つ生産力や供給力をPCR検査だけに一極集中させてしまうことは医療現場の崩壊だけではなく、わたしたちの経済社会にも歪な生産力や財の配分という弊害を招く恐れがあります。

 

林慶一郎氏が極めて夢想的な全国民PCR検査などという発想に飛びついたのは公衆衛生学者である渋谷健司氏の影響だと篠田 英朗氏は指摘します。

 

 渋谷健司氏

 

アゴラ 篠田 英朗氏

渋谷氏と全国民PCR検査推進の小林慶一郎氏が諮問委入りの騒然

 

篠田氏は上の文中で小林氏に対し

イギリスの渋谷健司氏に巨大契約「アウトソーシング」でも計画しているのだろうか?

ということを述べています。なんかきな臭い話ですね。

 

さらに小林氏は

10万人の雇用を作って検査、看護(できれば介護も)体制の拡充をはかる。そうすれば100兆円の損害を2兆円で済ませることができる。

などと勝手に大風呂敷を広げているようです。

篠田氏は

雇用拡大のために検査関係の職員を増やすという発想も、何やら新手の巨大プロジェクトを推進する開発事業者のようである。

と小林氏の発言を形容します。

 

私は篠田氏の文章を読んだとき、渋谷健司氏や小林慶一郎氏が推し進めようとしていることが、三橋貴明氏や藤井聡氏、中野剛志氏らが唱えてきた国土強靭化計画とそっくりだと思えてなりませんでした。

 

思わず政商(レントシーカー)という言葉を吐きたくなってしまいます。

 

国土強靭化計画が出てきたのは東日本大震災で多くの日本国民が衝撃を受けて不安のどん底に突き落とされている最中で浮上してきたものです。この震災で東北・北関東の太平洋側が巨大な津波に呑みこまれ、何千人もの死者・行方不明者を出し、町全体が壊滅してしまいました。そのために日本全国に巨大な防波堤や道路などの公共インフラの耐震性強化を年間20兆円づつ、10年で200兆円という巨費を投じて整備しろという主張を行ったのが藤井・三橋・中野氏らです。

 

藤井・三橋・中野の三氏は小林慶一郎らと正反対で、かなりの財政拡大主義で消費税などの増税に反対し続けています。一見主張が真逆に見える両者ですが、私は両方とも国家社会主義者という共通軸を持っていると思います。国民が持つ労働力や生産した財を国家が吸い上げ、政治家や官僚らがそれを濫用するという図式や国家主導で経済活動を回すという発想です。

 

藤井・三橋・中野の三氏の場合、国土強靭化計画の財源は通貨発行益や国債発行をあてにしており、国民の税負担はないかのように言っていますが、濫発した貨幣や国債をつかって国民の労働力や生産した財を吸い上げて、それを土木建設関連の公共事業に流し込んでしまい、富や財の偏在を招く恐れがあります。

 

林慶一郎氏や渋谷健司氏らが画策していた全国民PCR検査実施にしろ、国土強靭化計画にしてもかなり膨大な量の国民の労働力や生産した財をその事業だけに一極集中させてしまい、歪な労働力や生産力の配分で民間の生産活動や経済的自由を阻害しかねないものです。多くの労働力資源や物資を投じても得られる国民益は小さく、その消耗に終わってしまう恐れが高いです。


10万人にも殖やした看護や検査のための人員はコロナウィルスの感染が収束した後にも、そのまま残すのでしょうか?いまは非常時で膨張している看護や検査の需要ですが、感染収束後は縮小します。となると彼ら・彼女らをいつまでも看護や検査業務に縛り付け、民間経済活動への復帰を促さないと大きな損失や不効率な労働力配分を招きかねません。

最後に貨幣と国債の発行の意味についてもお話しておきましょう。

もともと貨幣は原始時代に農耕社会が生まれ、未だ実っていない農作物を収穫後に渡しますという証しや記録として生まれたとされます。つまり貨幣は「わたしはあなたに借りがあります。いつかその借りを返します」という証文とか「わたしが持っているものや労働力をあなたに譲ります」といった約束手形みたいなものです。

やがて時代が進みクニが生まれると、クニの支配者たちは貨幣を発行し、建設事業に携わった人足らに報償としてそれを渡すようになります。しかしそれだけでは表彰状と同じで交換価値が生まれません。クニが民の生産した財を徴税する権限を担保に貨幣を発行することで、市場においてモノやサービスと交換できる価値が生まれたのです。

 

 

 

わたしたちが遣っているお金はある人が持っている私財や労働力を譲り渡してもらう権利書のようなものです。言葉悪くいえばある人にお金を渡してモノやサービスを買うということは負債の取り立てです。あるいは国に代わって税を徴収しているようなものだともいえましょう。逆にいえばお金をもらった人はお金を出してくれた人に対し、自分が持っている私財の一部や労働力を手放さないといけないという債務を負うことになります。

 

国が国債を発行したり通貨を発行するということはある国民が自分の持っている私財や労働力を国か他の誰かに譲らないといけないという責務や負債をつくることになります。国民が豊富なモノやサービスといった実物財を産み出す生産能力が高ければ、その責務を果たすことが十分可能

です。しかしながら国民の生産能力を無視して国がどんどん国民の私財や労働力を譲り渡す権利書や手形をどんどん刷ってしまうと、国民は大変なことになってしまいます。

 

戦争は国家が大量の人的資源や物資を消耗するような事態ですが、このようなときに国は戦時国債や軍事手票(軍票)を発行し、国民や占領地の住民から物資の調達を計ろうとします。このふたつはやはり終戦後に正規の貨幣などで債務を還すという約束手形となります。第2次世界大戦中の日本も戦時国債軍票という遣って、日本国民や占領地民からどんどん物資や労働力を吸い上げて、戦力に注ぎこみました。ところが日本の敗戦によって戦時国債軍票は空手形となってしまい、戦時国債を買った国民や軍票をつかまされた占領地民たちは提供した物資の見返りを受けないまま債権を踏み倒されることになります。

 

林慶一郎氏や渋谷健司氏らが進める全国民PCR検査実施構想と藤井聡氏・三橋貴明氏・中野剛志氏らの国土強靭化計画は共々、国民の人的資源や物資を湯水のように浪費し、不適正な財や生産力の配分が進んで民間の自由な経済活動を衰えさせることでしょう。両者のやり方は東日本大震災やコロナ危機によって生じた国民の不安につけこみ、国家財政の濫用を企むショックドクトリンというものです。 

 

 

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