極めてアンビバレントな存在 小泉純一郎氏と竹中平蔵氏
小泉氏や竹中氏ですが、世間における両氏の賛否の評価は真っ二つで両極端となっています。
両氏に対して多くの人に強くのこした印象は新自由主義者で、規制緩和や自由競争、自由貿易を推し進めた政治家でしょう。国家の干渉や介入は最小にし「為すがままにせよ」というレッセフェール的態度や自己責任・自助努力といったアメリカ流保守主義を前面に打ち出していました。
このような政治姿勢や態度を極度に気嫌いする人は少なくありません。私もそのひとりでした。小泉政権から10年数年以上経った今でもこのことが大きな禍根を遺していて、現在も経済・金融政策の議論をする場面において誤解や混乱を引き起こすことがあります。新自由主義は政治的イデオロギーであり、経済・金融政策であるリフレーション政策と分別すべきことですが、両者が混同されて純粋な経済学的議論ができなくなっております。
小泉氏や竹中氏が志向したことはアメリカのレーガン大統領が導入していたレーガノミクスやUKのサッチャー首相が進めていたサッチャリズムに近いものがありますが、たまに今のアベノミクスやリフレ政策をサプライサイド経済学と混同しているような発言をする人も見かけます。
今の安倍政権が進めている経済政策・アベノミクスはリフレーション政策の考えが採り入れられていますが、小泉氏の後継者であった安倍総理の印象からかリフレ政策は新自由主義的政策と誤認され、「アベノセイデ格差ガー」とか「金持ち優遇」「トリクルダウンが起きないじゃないか」などという的外れな非難をされることが未だ続いています。リフレーション政策は世界標準でいうとむしろ労働者寄りの経済政策とされており、欧州左派政党が好んで採用しています。
話を小泉氏や竹中氏に戻しますと経済政策の評価についても金融政策面と財政政策面で分かれてしまいます。
しかし財政政策に関していえば橋本龍太郎と同じく緊縮傾向が強く、「増税なき財政再建」で増税は避けたものの、歳出は引き締めが強かったです。田中角栄とその流れを引き継いだ経世会が好んだ土木建設公共事業や農協などの特定業界団体への補助金バラマキを切っただけではなく、社会保障や医療・福祉などといった厚生分野での予算も削減していったために、小泉・竹中は「冷血非情」「金持ち優先・弱者切り捨て」というネガティヴな印象を与えてしまいました。小泉政権の後継である第1次安倍政権もそれを引き継いだものと国民から見做され、政権の寿命を縮める要因のひとつになったのかも知れません。
それと後で詳しく述べる予定ですが、小泉政権時代はご存知のとおり1997年からはじまった労働者の賃金の切り下げや非正規雇用拡大による収入の不安定化を食い止めるどころか、さらに助長させてしまっています。もちろん量的金融緩和効果で雇用者の拡大が進みましたが、政権末期に緩和が解除されてしまい、賃上げが実現しないままで終わってしまったのです。この中途半端さが「(金融緩和で)格差ガー」という誤解を生み、人材派遣会社パソナに関わった竹中平蔵氏に対する見方を厳しくしたといえましょう。
また現在ネット上の経済マニアどうしの議論で金融政策重視のリフレ派と財政政策重視の(オールド)ケインズ派がいがみ合うような場面をよく見ますが、これも小泉政権が発端になっているのではないかと思えてなりません。
ひどく乱暴な言い方をすれば
経世会主導の自民党政治は小渕恵三総理が急死したことで途絶え、森喜朗氏が総理に就いたことで清和会主導になっていきます。森氏の後に総理となった小泉氏はさらに清和会色を強め、経世会型政治屋が進めていた土木公共事業や特定業種団体への補助金などをバッサリ削減しました。小泉氏は「自民党をぶっ潰す」というキャッチフレーズを用いていましたが、むしろ「経世会をぶっ潰す」といった方がいいぐらいだったでしょう。
こうした議論の混乱を整理する上で小泉政権時代に遡り、当時の政策を再検証する必要を感じました。
ここでは小泉政権下で進められた量的金融緩和政策を高く評価する一方で、緊縮財政や労働者の賃下げ・非正規雇用拡大・中途半端に終わったセーフティネット再編については厳しく批判するという態度で記事を書き進める予定です。