新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

ちぐはぐな防災観が命を奪う危険性

 


f:id:metamorphoseofcapitalism:20191016113846p:plain

先月の台風19号は日本各地で大きな被害をもたらしましたが、その直後から防災について声をあげる人があちこちで出てきました。正直防災の話となると非常に政治的な話で、議論をしても冷静さを見失いがちになります。

私自身も若かりし頃より、自民党田中派を始点とする経世会が進めてきた土木公共事業の濫発やその背後にある政治家と土建業者との癒着にウンザリしていました。バブル当時に自分がいた大学にもゴルフ場をあちこち造りまくる動きに反対していた教授がいたりしたものです。田中角栄以来の金権政治を徹底的に退治した清和会の小泉純一郎氏に対し「よくやった」という気持ちを抱きました。

日本の災害対策は公共インフラの補強などハード面ばかりに偏向し、工事そのものが目的化してしまっていた嫌いがあります。それと事前減災が強調され、後でお話するように、あれも造成しなきゃこれも補強しなきゃで次々と手を出してしまい、過去に土木公共事業費が水膨れしてしまうようなことになってしまったのです。

過去の土建国家批判はここまでとして、先日wezzyで公開された木村貴氏の「行政任せの防災が命を奪う モラルハザードの危険性」という記事を読んで、大きな違和感を感じたので取り上げます。正直この方は一本筋が通った防災観というのを持ち合わせていないのではないかという疑念を持ちました。wezz-y.com

私が大きな引っかかりを覚えた部分を書き写してみました。

引用1

”今回の台風のように、大きな自然災害が発生すると必ず政府が救援や復興の先頭に立つ。その光景をあまりにも見慣れているため、国民もメディアもそれが当然と信じて疑わない。ところが皮肉にも、政府のそうした積極的な災害対策こそが被害拡大の一因になっている可能性がある。”

引用2

”つまり、事前の減災努力にかかわらず事後に手厚い財政支援を行う仕組みがあらかじめ用意され、そのうえ、想定外の災害が発生した場合には支援が上乗せされてきたわけだ。 野村総合研究所の上席コンサルタント浅野憲周氏は、災害復旧制度は「事前の減災投資よりも事後の救済を期待するようなモラルハザードを引き起こす要因となっている」と、内閣府経済社会総合研究所の報告書で指摘している。

 実際、税収の少ない自治体ほど災害時の復旧事業に対する補助率が高くなるため、地方では平時の公共投資は控え、災害時に復旧制度を活用した公共投資を行おうとする「災害待ち」の状態が生じているとの指摘もある。”

 

この方は被災自治体に国が復旧や復興費を国庫で補助する災害復旧制度があるから、自治体は事前の防災補強対策を怠ってしまうのだと言っているのです。私はここを読んで「はあ?」と感じました。

災害復旧制度は財政規模が小さい自治体が大きな災害で生活や歳基盤が破壊されてしまったときに、国庫補助を投入していち早く復旧や復興を果たして、地域経済の衰退や過疎化が進んでしまうことを防止するためにあります。この制度がなければ地結果的にその地域だけではなく国全体の大きな経済損失につながりかねません。復興が遅れれば災害によって失職した人たちのなかで再就業をあきらめてしまう人が出てきて、年金や失業保険、生活保護等に依存してしまう人を増やすようなことにもなります。

木村氏らは「事前の減災投資を怠るモラルハザードが進行する」と言っておきながら、後の方で「堤防やダムなどの公共工事には、政治的な癒着や無駄が多いことも以前から指摘されている。」などと旧田中派的な土建国家批判をやっています。私が先に述べたように1970年代の土木公共事業やその再来を望む三橋貴明藤井聡といった”ドケンジアン”らは「もっとインフラを補強しないと国民の生命ガー」といって、ハード面の減災投資ばっか進めてきたのです。木村氏は同じ記事の中で矛盾したことを書いているのです。

減災投資の難しさは実際に起きる災害規模の想定にあります。東日本大震災で東北三陸から福島、茨城にかけて巨大な津波が襲い掛かりましたが、それを防波堤や土地のかさ上げだけで津波の被害を抑えようとしたら、日本中の海岸線を高さ何十mにも達する巨大な壁で要塞のように覆いつくさないといけないでしょう。それこそ「日本列島改造計画」です。財源や建設事業者の供給力を考えるとそれは不可能な話でしょう。さらにそれが生活や漁業や観光などの経済活動に支障を来す場合もあります。だからあるレベルまでの津波の高さまでに対応できる防波堤とか土地かさ上げ工事といった具合に線引きをせざる得ないのです。それをやらなければ「国家財政赤字5000兆円」を積んでも財源が足りないでしょう。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20190921141055j:plain

いくら減災投資を行っても100%完璧に天災の被害を阻止できるわけではないのですから、実際に災害が発生したときにいち早く住民を円滑に避難させるなどといった対策や、人々の生活基盤や都市基盤が破壊されたときに短い期間で再建させる復旧・復興行政といった事後の防災、受動的安全性が必要となってきます。ダメージコントロールという言い方もされます。

私は冒頭で申し上げたとおり日本の災害対策はハード面の減災投資ばかりに偏ってしまい、災害が起きたあとにその痛みを小さくするダメージコントロールが軽視されてきたと感じております。木村氏の文を読むとその切り分けがまったくできていないのですし、下手をすれば災害を受けた人や地域をほったらかしにしかねないトンデモな話であると思います。

災害対策というものはソフト・ハード、そして事前減災と事後の被害拡大防止、生活・都市基盤再生という3つのステージをまんべんなく広い視野にたって進めていくべきものだと私は考えます。困ったことに今の災害対策の議論は「ソフトかハードか」といった二分法的なものになったり、「事前減災か避難対策か」といった狭視野のものになりがちです。


 お知らせ


サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター https://twitter.com/aindanet

 
イメージ 1