新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

効率的な資金や資源の配分を考えていくことが大事な防災事業

 

 

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 先週末~今週はじめにかけて巨大かつ勢力が極めて強い台風19号が日本列島を襲い、全国各地で洪水や水没など大きな被害をもたらしました。やはり多くの死者・行方不明者を出しております。犠牲になられた方の冥福と被害に遭われた方へのお見舞いを申し上げます。

 

私事ですが被災地のひとつで千曲川の氾濫に襲われた長野・上田市は私も何十年か前に住んでいたことがあり、決壊した千曲川の堤防道路をクルマで走ったり、橋梁が落橋した上田交通(現上田電鉄)別所線も何度か利用したことがあります。

 

本題に入りますが、台風が過ぎた翌日に民主党の元参議院議員である金子洋一さんのツイートをRTさせていただきながら、以下のツイートをしましたところ、結構大きな反響がありました。この場を借りて感謝の言葉を述べさせていただきます。

twitter.com

ツイート

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このツイートについていくつか有り難いリプを頂きましたが、念のために誤解がおきないよう、再度ツイートの主旨や意図について強調しておきたいと思います。

その主旨は「防災事業に携わる建設業者やその現場作業員に無理な負担がかからないよう、平準的に事業の発注をすべきだ」ということになります。

 

私はもともと学生時代のときより、田中角栄やその流れをくむ自民党の派閥であった経世会がやってきた土建利権まみれの金権政治に強い反感を抱いていました。「日本列島改造計画」をはじめとする濫開発に不快感を持っていたものです。 

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東日本大震災発生後に藤井聡三橋貴明らが中心となってこの「日本列島改造論」を想起させる国土強靭化計画なるものを提唱しております。

経済アカウント内でよく使われるスラングで”土建”や”利権”と(オールド)ケインズ主義をかけあわせて”ドケンジアン”とか”リケンジアン”というものがありますが、ドケンジアンらは政府がどんどん財政支出を行って公共事業でカネをばら撒けば景気はいくらでもよくなるんだなどという妄想に囚われています。それについての批判はこのブログの「財政政策のあり方  」編で批判してきております。

彼らの場合、財政赤字の膨張に無頓着で、建設事業者や作業員らの労働力ならびに資材といった供給側の制約を無視しがちです。公共事業を発注すれば請けてくれる業者がいくらでもあるし、資源も無限だと勘違いしているところがあります。そうしたことが1970~80年代のスタグフレーションにつながり、「ケインズは死んだ」とまで云われるようになりました。

2000年代に経世会の政治手法を忌み嫌っていた清和会の小泉純一郎が総理の座につくと、公共事業の削減などを進めていきます。土建利権まみれの政治を一掃します。

田中角栄時代は公共事業にぶら下がっていた建設業者が山ほどありましたが、今や建設業界自体があまりお役所仕事を好まなくなってきています。第2次安倍政権のアベノミクスでマンションなど民間の建設需要が旺盛になり、公共事業に依存しなくてもよいからです。逆に建設業界は慢性的な人手不足に悩まされており、役所が公共事業を発注しても業者が入札に応じず不調になるケースが目立つようになりました。供給制約を考慮して公共事業計画を考えないといけない状態です。

 

今回の台風で治水などをはじめとする防災インフラ整備の重要性を訴える論調が大きく目立つようになってきました。ネット上でも「国債をどんどん発行してでも防災関連の公共事業を積極的に行うべきだ」と主張する人たちが増えています。

いま地球温暖化の影響があってか、台風や豪雨の勢力が年々強まっているように感じます。地震も各地で多く発生しています。毎年毎年、日本列島のどこかで大きな自然災害に見舞われ、多くの家屋や道路、鉄道などの公共インフラが破壊されている状態です。限られた数の建設業者や作業員らの手によって破壊された家屋やインフラの復旧工事を行っていかねばなりません。

 

私が強く注意しておきたいのは、建設に携わる会社やその作業員の数や労働力・供給力は有限であるということです。工事を発注すれば請け負ってくれる業者や作業員がいくらでも集まるという時代ではありません。政治家などが思い付きで次から次へと公共事業をやろうとしても、肝心の建設業者がそれに応えられなくなってきています。供給側の状況を見計りながら公共事業を計画していかねばなりません。

 

突然ドカンと大量の公共事業を発注されても建設業者は逆に困るだけでしょう。東京オリンピックの会場となる新国立競技場の建設に携わった技術者が、過労自殺に追い込まれたりもしました。

私はそういうかたちの事業発注ではなく、政府が毎年毎年一定規模の仕事をつくることを建設業者に約束して、業者がそれに合わせて建機などの設備投資や若い建設技術者・職人らを育てあげていくようにしないと、結果的に現場作業員に無理な超過労働を強いて潰してしまうことになりかねません。外国人労働者に頼ればいいという考えも姑息的です。

 

あと土木建設公共事業の財源についても触れますが、これには長期の建設国債が向いています。防災インフラは数十年以上に渡って人々に便益をもたらすので、その建設費負担は数十年間に分散した方がいいのです。東日本大震災の復興財源も本来復興税ではなく国債で財源を調達すべきでした。

しかしながら上で述べた藤井聡三橋貴明らをはじめとするドケンジアンは事業の意味を考えないまま、ただ無神経に「今後10年間で200兆円の公共事業を行う」などと言い出したり、MMTに被れて「インフレにならなければいくらでも財政赤字を出してもいいんダー」みたいな主張をはじめたりします。シンパである中野剛志に至っては「財政赤字5000兆円でも構わない」などという暴論を吐きます。

 

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私はただ防災関連の公共事業にどんどんお金を注ぎこみさえすれば、国民の安全性が確保されるなどとは考えていません。むしろコスト感覚がないまま無計画な防災事業を進めることは逆に安全性を損ねたり、環境破壊や財政悪化を進めるだけだという結果になりかねません。

 

東日本大震災が起きた2011年11月に原田泰さん(現日銀審議委員)がコスト感覚のない復興事業についての批判をされています。このコラムで原田さんは第2次世界大戦中にハリー・トルーマン上院議員が軍事費の不正使用を問題とする「トルーマン委員会」を設立して、150億ドル近い浪費を削減した話を出しています。軍事費を圧縮してもアメリカは日本に圧勝できたことはご存知のとおりです。一方日本の軍部はあれも出せこれも出せといった調子で湯水のように軍事費を浪費しまくりました。彼らは投資の意味や目的を深く考えていなかったのです。その不効率さが飛行機不足を招いていました。

 

人材や資源、財源が無限にあると考えてしまっているような人たちがまともな防災計画を考えることができるのでしょうか?私はできないと思います。原田泰さんが仰るようにコストと効率性を考えないまま怠慢な公共事業を濫発しても国民や国土の安全は護れないと私は思います。

 

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