新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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結局MMTのどこがまずいのか?

ここで何度も批判してきたMMTですが、結局何がいちばんまずいのか?そして俗にいうリフレーション政策との違いは何かという点についておさらいしておきたいなと思います。

内容的には半年前に書いた「MMT(現代貨幣理論)とリフレーション政策の違いは何か? 」の記事と被ります。

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ニューケインジアンのポールクルーグマン教授(左)とMMT代表論客のひとりステファニー・ケルトン教授(右)

 

自分はMMTの理論的欠陥は3点あると見ており、その3つを通じて見えてくることは、この理論がモノやサービスといった財の生産・供給側(サプライサイド)をかなり軽視していると同時に、負債や貨幣を永久機関のように殖やし続けることができてしまうという結論を導いてしまうという奇怪さです。そのことがMMT導入によるひどいインフレや金利上昇への懸念を生んでいるのです。

 

まずMMTの第一の理論的欠陥は金利と民間企業の投資(←”人への投資”である雇用も含まれる)の連関を把握できていないことや、金融政策の軽視です。これの何がまずいのかをいえば中央銀行金利調整というアクセルとブレーキを使わずに、ただ惰性的に市中へお金を次々と垂れ流しにしてしまうことで、ひどいインフレを起こすといった問題を引き起こすことです。

実はMMTと一見真逆の主張をしているかに見える日本の大蔵省~財務省と日銀は同じ経済政策観を持っていたりします。(中央銀行無能論という)こちらはMMTとは逆に景気悪化やデフレ状態を放置してお金を市中へ流れていかないままにしていました。国民へのネグレイトというべきものです。

 

岩田規久男教授と大論争をしたことで有名な翁邦雄氏は日銀理論の権化というべき人ですが、この方は金融政策の効能をあまり認めず、中央銀行(日本だと日銀)は市中が経済取引に必要としているマネーを供給することしかできないという主張をしていた人です。「民間がお金を遣わないからしょうがないんだ」という傍観者的態度でした。

それに対し岩田教授側は日銀が(「物価を~%に引き上げていく」というコミットメントをつけた)金融政策で市中の民間企業や個人に投資や消費でお金を積極的に遣わせるように仕向けさせることが可能だと反論していたのです。 

生島ヒロシ氏が司会する番組「未来ビジョン」で、リフレーション政策の説明をする岩田規久男氏。岩田氏の説明も実は貨幣内生的供給説に沿ったもの。市中のお金を活発に動かすことでベースマネーが後から市中へ引き出されていく。f:id:metamorphoseofcapitalism:20190920114812j:plain

MMTの支持者たちがこういう説明をできるでしょうか?私はできないと思います。

財務省や日銀はアクセルのないクルマで、MMTはブレーキのないクルマみたいなものです。

金融緩和政策で民間企業の投資や雇用拡大意欲を促すかたちにすれば、政府は失業給付や公的扶助の負担が減ることが期待されますし、所得税法人税などの税収が伸びることが期待されます。財政政策だけではなく金融緩和政策も使えば少ない財政赤字で大きな経済効果を引き出すことができます。MMTは余分な財政赤字をつくる恐れがあります。

 

次に第二の理論的欠陥である生産・供給側(サプライサイド)制約の無視に話を移していきましょう。

ポール・クルーグマン教授とケルトン教授との論争において、クルーグマン教授はマイナスやゼロ金利を脱し、完全雇用に達した後も、どんどん財政赤字を出し続ければ 金利上昇を招いて民間企業の投資を阻害してしまうじゃないかとケルトン教授に疑問を投げかけます。

和訳参照 

クルーグマン教授がケルトン教授に示した図(IS曲線f:id:metamorphoseofcapitalism:20190915101012p:plain

しかしケルトン教授は財政赤字をつくっても中央銀行金利を低く抑えつけられると反論します。彼女はマンデル=フレミングの法則やヒックスがケインズの理論を説明するのに作成したIS/LM曲線を否認しているようです。

 

ケルトン教授らをはじめとするMMTerが考えているように、財政赤字をどんどん拡大していっても、金融緩和や財政ファイナンスでずっと金利上昇を抑えつけ続けることは可能なのでしょうか?

 

それはできないと私は見ています。

モノやサービスを生産する上において原材料等につかわれる資源や人々の労働力は有限です。生産設備も一挙に増強できません。完全雇用とは人的資源がフル稼働している状態となります。こうした供給側の壁にぶつかると需要>供給となって急激な金利上昇や物価上昇を引き起こします。クルーグマン教授が示したグラフですとIS2からIS3へと右上シフトし、そのIS曲線完全雇用(Full  employment)の域を示す線の均衡点がB点からC点に達した段階です。

 

どうもMMTerが描いている世界は完全雇用という状態が存在せず、永久に不完全雇用とデフレの状態が続くというものではないかと思えてなりません。MMTの正当性は極端な流動性の罠に陥っているときは成り立つけれども、そこから脱し、景気回復で金利や物価が再上昇して完全雇用に達したときには破綻してしまうことになるでしょう。局所合理性だといっていいかも知れません。

 

第三の欠陥はMMTが政府の予算制約を完全に無用だと決めつけてしまっていることです。つまりは財政赤字は(インフレにならない限り)どんどん膨らませていいし、それが当然であるということです。「財政規律?そんなの関係ねえ!」となってしまいます。

私は何が何でも政府は財政赤字を出してはいけない、常に財政は歳入と歳出は均衡であるべきだというような財政規律偏重主義者ではありません。不況の場合は財政赤字を許容してでも、景気回復のための財政政策や、生活困窮者への給付を積極的に行うべきだという立場ですが、完全に財政規律を放棄しているわけではありません。時として数十年、百年といった長期のスパンで財政が均衡させていけばいいという見方です。

 

MMTの流行?によって信用貨幣論や租税貨幣論に関する認識が広がりましたが、これについても突き詰めてみていけば貨幣や負債を無限に膨張させることが可能であるという結論は出てきません。債務者が還すことができない負債をつくって債券を紙屑にしてしまえば信用貨幣制度は崩壊しますし、租税貨幣論についても国が先に負債を生むけれども、後で民から税を徴収して債権者に負債の償還をする見込みがあって成り立つものです。ノーフリーランチです。

 

こうした理論や論理の脆弱性を抱えている以上、私はMMTを支持することはできません。

 

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