新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

生産性に関する勘違い

 

f:id:metamorphoseofcapitalism:20201029183617j:plain

先日10月15日に政府が設置する成長戦略会議のメンバーに元金融アナリストで文化財の修復などを行う小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏が起用されることになりました。IT関連企業会長の金丸恭文氏や、国際政治学者の三浦瑠麗氏の他に慶應義塾大学名誉教授の竹中平蔵氏もメンバーとして起用されたようです。

アトキンソン氏の名前は私もちょこちょこ聞きますが、氏は日本の(労働)生産性の低さとそれによる日本の労働者の低賃金化を問題視しており、その原因は大企業に比べ生産効率が低い中小企業の多さにあるとみているようです。ゾンビ企業というべき中小企業を整理統合したり淘汰させることで、生き残った生産効率が高い優良大手企業に日本経済を牽引させていくことが望ましいという考えです。

toyokeizai.net

これについて経済学者の朴勝俊(パク・スンジュン)さんがアトキンソン氏に対し批判をしています。

parkseungjoon.hatenadiary.com

それに対しアトキンソン氏も記事に名前こそ出さなかったものの朴氏に反論記事を書いています。

toyokeizai.net

アトキンソン氏の記事をざっと読んでみたのですが、やはりこの方はマクロ経済学の知識が薄いなという印象を持ちました。その中でいちばん気になるのは氏がいう「生産性」という言葉の定義があやふやになっている点で、生産性の低い中小企業を整理統合させたり淘汰させ、残った生産性が高い企業が雇用や経済成長の牽引役になるような構造改革を進めていくべきだと考えてしまっている点です。こういう思考を清算主義といいます。アトキンソン氏に限らず生産性の低いゾンビ企業をどんどん淘汰することで日本経済が復活するという妄想を抱いている人がかなり多くおり、彼らは金融政策や財政政策といったマクロ経済政策を無視するのです。

会社経営者にありがちなことですが、ミクロのことばかりに関心が向いてしまう傾向にあります。よくありがちですが経営と経済を混同してしまっているのです。両者はまったく結びつきがないというわけではないですが、経営の場合は一事業者というかなりミクロな世界で、経済の場合は社会や国全体、もっと視野を拡げて国家間というマクロな世界を対象としていっます。経済学者が会社の経営をやってうまくいくのかというとそうでなかったりするし、また経営者が経済学や経済政策を理解しているわけでもありません。日本国民を30年以上も苦しめ続けたデフレ不況やその真逆のハイパーインフレといった問題は一会社経営者の努力で解決できることではありません。会社経営者にできることはそうした事態に対処して自分の会社や従業員を守ることだけです。政府や中央銀行が解決にあたるべき問題ですし、その助言ができるのは経済学者です。守備範囲が異なります。

それはさておき上で述べたアトキンソン氏がいう(労働)生産性についてはどうも氏の捉え方には大きな問題が潜んでいます。朴氏だけではなく他の経済学者も指摘していることですが、経済学でいう労働生産性とはGDP÷就業者数です。ついでに言いますとGDPを人口で割ったものは一人当たりGDPです。アトキンソン氏の文章を読むと両者の区別がついていないのです。氏のいう「生産性」についても効率のことなのかGDPのことなのかあやふやな部分があります。あと「実際に仕事をしている就業者の労働生産性が1000万円の場合」という文言が出てきますが、これは潜在GDPのことでしょうか?

さらにアトキンソン氏はGDP÷就業者数=労働生産性ならば就業者数×労働生産性=GDP労働生産性を上げることで生産性(GDP?)がもっと増えるはずだという勘違いもしているようです。朴氏が指摘するようにGDP÷就業者数=労働生産性というのは左辺の結果として右辺の解になるというもので、逆に右辺を大きくすれば左辺の値も大きくなるのかというとそう限りません。因果関係でいえば左辺は「因」で右辺が「果」となります。

ついでに言いますとここは朴氏と私で見解が異なるかも知れませんが、同じくGDPを構成する式で

Y(GDP)=C(消費)+I(投資)+G(政府支出)+NX(純輸出)

というものがあります。これもやはり勘違いしてGの政府支出をどんどん増やせばYのGDPはいくらでも増えるんダーという二文字な人たちが大勢います。自分も以前ツイッターで絡まれた経験を持っています。

日本の場合はご存じのとおり四半世紀以上もの長期のデフレ不況に悩まされてきました。これは需要不足不況です。日本の労働生産性や一人あたりのGDPが低い原因は何でもない低成長でGDPが伸び悩んでしまっているからです。アトキンソン氏のいう生産性というか生産効率の向上は供給側の能力を伸ばすという話になります。需要側が頭打ち状態で生産・供給側の能力や効率が向上したとしてもGDPが伸びていくということはないでしょう。例え話をしますと普通のバスから連接バスに置き換えしますと、1車輛が一度に輸送できる人員が倍増します。バスの運行でいちばん大きな経費は運転士の人件費ですが、運転士ひとりあたりの輸送人員が増えることになり、生産効率が上がることが容易に想像できるでしょう。しかしお客が数名しか利用しないような路線でこんなバスを入れたところで収益が伸びるでしょうか?

f:id:metamorphoseofcapitalism:20201030141200j:plain

連接バスを入れて輸送力(供給)や運転士ひとりあたりの生産性を高めても、輸送需要がなければ意味がないということです。

もし労働生産性を向上させれば就業者数の分GDPが伸びるというのは需要不足不況を完全に脱し完全雇用を達成しているような状態ならばアトキンソン氏がいうように労働生産性↑×就業者数→=でGDP↑となるでしょう。しかし需要不足でGDPの伸びが頭打ちになっていたとすると労働生産性↑×就業者数↓=GDP→となる可能性が出てきます。いままで10人でやっていた仕事が生産効率の向上で5人でできるようになり、なおかつ需要がそのままで変わらないのであれば5人は余剰人員となりリストラ対象となります。

 

東洋経済に寄稿されたアトキンソン氏の文章を読ませていただくと批判対象がMMT(現代貨幣理論)となってはいるものの、アベノミクスの一環として行われた異次元金融緩和政策や財政政策についても決して肯定的ではないと見受けられます。氏は「日銀によるゼロ金利政策などの金融緩和によって流動性を高めた結果、生産年齢人口が減っているにもかかわらず、驚くことに就業者の絶対数は史上最高になり、就業率も過去最高を更新しています。」と認めつつも、「近年の日本の生産性の向上は、労働参加率の上昇によるものなのです。人の給料は、国全体の生産性で決まるものではありません。人の給料は、労働生産性で決まります。」と言ってしまっています。

実際には企業の投資(Invest)やそれに比べたらいまいちだったけれども消費(Consumer)といった有効需要の増大で多くの雇用需要を発生させたといった方が正しいでしょう。需要のパイが大きくなったから多くの人にパイを切り分けできるようになったといった方が自分は正しいとみています。ところがアトキンソン氏の場合は労働生産性や効率が高くなると需要のパイも大きくなると思っているように感じられます。上の自分の例えでいえばバスを大きくしたから乗客もその分増えるというものではありません。

日銀副総裁だった岩田規久男さんも次のような例え話をされています。

景気が悪化し、デパートが販売する商品への需要が減少すると、客は商品を見るだけで購入しない。すると、店員1人当たりの売上量も減少する。これは店員1人当たりの生産性の低下を示しているが、店員の売る技術が低下したことが原因ではない。

結局需要そのものが落ち込んでしまうと、労働者が同じ質の同じ量の仕事を忠実にこなしていても、生産性が落ちてしまうことになります。乗客が数十人であろうが1人か2人しか乗らなくてもバスの運行経費は一緒で、乗客が少なければ運転士の労働生産性が悪くなります。

岩田規久男さんの例え話に同じく経済学者の飯田泰之さんが

この例は甘い 生産性ガチ勢なら 「客が来るようにデザインからビジネスモデルを変える,店員も客が来ないなら来るように努力・工夫する。。。そういうのまで含めた生産性なのだ」 と返してくる.実際学会でみた.

 なんてツッコミを入れられたそうですが、長引くデフレ不況でお客となる労働者の所得が落ち込んだり不安定化してしまい、いくらお店側が魅力的なデザインやら画期的なサービスを提供しようが「ほしいけど高いから買えない」となってしまいがちです。結局有効需要を喚起する金融緩和政策とか積極財政政策をやって皆が安心してお金を遣えるようにならないと高付加価値のモノとかサービスを買おうとしないでしょう。

それと日本の中小企業の生産性が高くない理由のひとつに仕事の取引先となる大手企業や販売店などから仕事の報酬や単価を低く押さえつけられてしまったり、大企業が効率の低い業務を中小企業に丸投げして、おいしい仕事だけ自社でやるといった図式があることも疑うべきです。中小企業にカス仕事ばかりを押し付け「お前ら生産性が低いから潰れろ」という論理は極めて身勝手といえましょう。大企業がやりたくない仕事を請け負ってきたのも中小企業だということを忘れてなりません。

あとアトキンソン氏の話からズレますが、コロナ危機でこれまで堅実な経営をしてきた会社がいきなり資金繰り悪化で経営危機になって、倒産や廃業に追い込まれてしまうという理不尽な事態が発生しています。こうした企業をゾンビ企業だとか言って切り捨ててしまえということをいう人が結構目立ちますが、このようなことをやって日本でどれだけの企業が生き残るのでしょうか?生き残った企業がコロナ危機で倒産・廃業した会社が稼いでいた分以上の収益を稼ぎ出して、これまで以上に日本のGDPを押し上げてくれるのでしょうか?私はそう思えません。この国は心筋の大部分が壊死した心臓と同じで残った心筋が辛うじて動いてくれているような状態だと思っています。コロナ危機以前よりどんどん客ばなれが進んで衰退の一途を辿っていたような企業ならまだしも、しっかりと営業を続けてきた企業ならば一時的に公的支援をしてでも残さないと、この国は何もできない・何もつくれない国となってしまうことでしょう。安易にゾンビ企業というレッテルを貼り付けてしまう構造改革偏重主義者こそこの国を衰弱死させかねないのです。


parkseungjoon.hatenadiary.com

全般ランキング


政策研究・提言ランキング

 

ご案内

「新・暮らしの経済手帖」は経済の基礎知識についての解説を行う基礎知識編ブログも設置しております。画像をクリックしてください。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200814191221j:plain
https://ameblo.jp/metamorphoseofcapitalism/

ameblo.jp

 
サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター 

 

https://twitter.com/aindanet

twitter.com

 

お知らせ

「暮らしの経済手帖」プロモーショナルキャラクター・友坂えるの紹介です。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200814190559j:plain

 

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200812163152p:plain