新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

ベーシックサービス(現物支給型ベーシックインカム)がダメな理由

 

現代ビジネスで伊藤博敏氏が慶応大学の財政社会学教授である井手英策氏へのインタビュー記事を書いていました。

「経済成長」「自己責任」にこだわるなら「スガノミクス」は失敗する』などというタイトルがついています。

 

 

井手氏の記事については何度か読んだことがあるのですが、反経済学・反成長主義だけではなく財政(規律)偏重主義や国家社会主義的思考に囚われてしまっておりお話にもなりません。この方は生活者の味方のふりをした官僚主義者でしょうか。井手氏の発言に関してはいろいろ言いたいことがありますが、今回は記事の最後の方に出てきたベーシックサービス(現物支給型ベーシックインカム)についての批判に的を絞ります。この案についてはYahoo!blogs時代にも批判記事を書いています。

 

 

井手氏が提言するベーシックサービスは国民に現金を給付するのではなく医療・介護・子育て・障碍者福祉といったサービスの現物支給を所得制限なしで行うというものです。井手氏の著書「幸福の増税論」でそう説明されています。

 

 

P83より引用

現金を渡すのではなく、医療・介護・教育・子育て・障害者福祉といった「サービス」について、所得制限を外していき、できるだけ多くの人達を受益者にする。同時にできるだけ幅広い人たちが税という痛みを分かち合う財政と転換する。ようは、財政のあるべき姿への回帰を目指すということだ。

私は自分の過去記事内で井手氏のベーシックサービスという案は旧社会主義国家や戦時中の日本がやっていたような配給制度と同じようなものであり、それは国家社会主義的であると批判しました。本来国民が汗水流して稼いできたお金は国民のものであり、それを自由に遣う権利があります。国民から多額の税金を巻き上げ官給品を押し付けることは国家が経済的自由を奪うもので経済的DV(ドメスティックバイオレンス)に等しいものです。税還元するならば現金給付の方が多くの国民の満足感を得られやすいでしょう。井手氏の案は国民の不満や不信を増長させかねないものです。さらにもうひとつ現物支給型がまずい点は徴税と給付のバランスや公正さがわかりにくくなることです。井手氏は東洋経済の『慶大教授が「弱者救済はやめろ」という言う理由』の文中でこんなことを書いています。

 

普遍的ニーズをみんなに配れば、結果的に格差は解消されます。当初の所得が200万円のAさんと2000万円のBさんがいるとしましょう。それぞれに20%課税すると、Aさんの手取りは160万円、Bさんは1600万円になりますが、税収となった440万円のうち、AさんとBさんに200万円ずつ「サービス」で給付すれば、Aさんの最終的な生活水準は360万円、Bさんは1800万円となります。格差は10倍から5倍に縮まり、税収の残り40万円は財政再建に充てられる

 

 

つまり増税した分のすべてが社会保障に回されるのではなく、財政再建すなわち社会保障以外の歳出に回すということです。極端なことをいえば土木建設公共事業やら特定業界への補助金といったことで膨らませた財政赤字のツケ払いをさせられる可能性があるということです。

 

井出氏が提示したモデルは恐ろしく単純化されており、低所得者であるAさんと高所得者のBさんの二人しかいないもので低所得者高所得者の割合が1:1です。現実では年収2000万円を超える高所得者層の人口は小さく、年収200万円に満たない低所得者層の人口の方が圧倒的に多いです。日本の場合ですと年収200万円以下:年収2000万円以上の比率は87:1(2006年)です。となってくるとひとり200万円のベーシックサービスはとても不可能です。仮に単純なやり方でその比率を前提に計算してみるとフラットタックス20%で徴収できる88人からの徴収額総計は3880万円でベーシックサービスを等分割すると43万円分の給付しかできません。年収200万円の税引き後手取り160万円+43万円で増える所得は3万円だけです。

 

しかも医療や介護サービスの給付は現金給付と違って全国民一律給付ではありません。病気やケガ、障がいなどを負った人のみに給付するもので、その程度もバラバラです。状況によって給付額が変わってきます。当然のことながら病気やケガをしなかった年収200万円の手取りは160万円に下がったままです。所得税を税率20%一律のフラットタックスとした場合、累進課税や控除が廃止されてしまいますので低所得者層にとっては大増税です。消費税を20%にすることでも同じです。彼らは相当な不満を募らせることになるかと思われます。たとえ社会保険料徴収が廃止されようとも所得税や消費税が大幅増税となるとかなりの痛税感となるでしょう。

現行の公的年金医療保険の保険料(税)負担の重さを嘆く人たちが多いですが、30兆円以上も一般会計から補填されているとはいえまだ保険方式の方が徴税と給付の関係や公正さが可視化され説得しやすいでしょう。さらにまずいのは国民医療費や介護費が膨張し続けた場合は所得税・消費税ともども20%どころでは済まなくなってくるからです。現行の社会保険料を半額にした場合でも消費税をあてがうとなると最低税率30%以上に設定しないといけません。所得税をあてがうにしても同じことです。現在の日本ですと消費税30%とか40%などという増税案を国民が受け入れないと思います。

 

医療や介護サービスの徴税と給付方法は税方式よりも保険方式の方があっています。現行社会保険財政は一般会計から独立し、保険料もきちんと年金や医療・介護サービスに使途が限定された福祉目的税として徴収されています。給付側を増やさねばならないとなったら保険料をもっとたくさん支払ってくださいと納税者にはっきり言えますし、逆に現役世代の保険料負担が重すぎるから給付を受ける側の人の受給額を減らさねばいけませんということも言えます。社会保険料の負担はかなり重くなってきていますが、それでもまだ保険方式の方が納得しやすいでしょう。

 

井出氏は現金給付型のベーシックインカムよりも医療や学校を無償とするベーシックサービスの方が生活にかかる経費は非常に少なって人々の暮らしが楽になると説いていますが、逆をいえばそれさえあれば現金収入が無くても生きていけるのでしょうか?住宅は公営住宅に住めばいいとして日々の食事もフードスタンプとかメニューが選べない給食にしたり、衣服も行政が支給するのでしょうか?公的年金医療保険生活保護雇用保険などまで全部廃止してベーシックインカムに統合してしまうなどというのは極論ですが、井出氏のように現物支給だけしかしないベーシックサービスもまた極論です。現金収入が途絶えて自殺してしまったり、ひどい場合はホームレスで野垂れ死にするより刑務所に入った方がマシとか死刑上等の「無敵の人」が続出する危険性も出てきます。

 

さらにベーシックインカムについてはひと月の支給額をひとり7万円に設定した場合90兆円以上もの財源が必要であり、いまの社会保障制度や税制を大改編しないといけないために実現が難しいとされています。また高橋洋一氏が指摘していますがいまの保険方式主体の社会保障制度とベーシックインカムとの整合性をどうとるのかという難題があると仰っていますが、井出氏のベーシックサービス案は現金給付のベーシックインカム案以上に大きな障壁を抱えています。

 

BI。基本的な難問。BIと保険原理に基づく社会保障をどのように整合させるのか。BIをいう人は保険数理を知らない人ばかりなので、この難問の答えは窮するだろう。BI論者でこの問題があることを理解していない人も多い。なぜ世界でBIを本格的に導入してこなかったのはこの難問へ解答できないから — 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) September 25, 2020 

BIは基本的に広く給付。保険原理は広く集めて少数に給付。社会保障は、生活保護を除くと年金、医療、介護は保険原理で運営されている。もし保険原理をBI原理にした場合、極端に単純化するとすべての人から徴収し同じ額を給付ということになり、社会保障が成り立たなくなる

高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) September 25, 2020

井出氏のベーシックサービスを実現しようとなるとやはり現金支給のベーシックインカムと同じく100兆円以上の財源が必要となってきます。社会保障費のうち医療費は39.6兆円ですが患者自己負担分や自費診療も合わせた総医療費は64兆円程度です。介護費や障碍者福祉のための費用は公的負担分だけで27.2兆円、さらに教育や保育無償化、住宅補助なども加えたらベーシックサービスに100兆円以上かかることが想定されます。ちなみに老齢年金はこれに加算していません。低所得者層はフラットタックスの所得税や高い税率の消費税だけではなく老齢年金の保険料も負担し続けることになります。

 

 

あともう一度繰り返しますが、ベーシックサービスだけでは現金収入がほとんどない生活困窮者を支援できません。

 

あと井出氏のベーシックサービスは医療や介護サービス、教育、保育の無償化ですが、これは官製統制市場の問題をはらんでおり、需要と供給の歪みを生み出しかねません。もうすでに日本の医療や介護、保育の現場で働く人たちの長時間過密労働が問題視されていますが、無償化となるとこの矛盾がさらに拡大します。保育ですと保育園に入れない待機児童が問題視されたこともありました。無認可の保育所の利用料は月5~7万円が相場ですが認可保育所の利用料は国や地方自治体からの補助金で低く抑えられています。となると認可保育所に利用希望者が殺到し需要過多状態になります。保育士さんの数よりも子供を預けたい親の数の方が圧倒的に上回ります。そのことを図で示すと以下のとおりです。

かつては暇な老人たちがたいした病気でもないのに病院へいって待合室を社交場がわりにしていたりしました。こんなことをやっていたら医師や看護師らの限られた労働資源を空費してしまうことになります。官製統制市場の問題はハイパーインフレを起こしたベネズエラでも抱えていることです。

図説 野田加奈子氏

 

井出氏らは竹中平蔵氏のベーシックインカム提言を批判しましたが、井手案の方が竹中案以上に現行社会保障制度を大きく歪め国民の不満や不信を増大させかねません。財政規律という観点でも危険性が高いものです。まだ現金支給型のベーシックインカム案の方が試算をしやすいでしょう。

 

いろいろ書きましたが、現物支給型ベーシックサービスで国民の生活が楽になると本気で考えているのであればかなりズレていると断じるしかありません。現金を求めている無・低所得者層がかなりいることを忘れているのでしょうか?

 

最後に井出氏のベーシックサービス論について批判した論文を紹介しておきます。大阪経済大学の梅原英治さんが書かれた「消費税で格差を縮小できるのか」です。こちらが書いた文章で指摘しきれなかった問題についても考察されています。

 

https://www.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000031Repository/repository/keidaironshu_068_004_197-210.pdf

 

全般ランキング


政策研究・提言ランキング

 

 

ご案内

「新・暮らしの経済手帖」は経済の基礎知識についての解説を行う基礎知識編ブログも設置しております。画像をクリックしてください。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200814191221j:plain
https://ameblo.jp/metamorphoseofcapitalism/

ameblo.jp

 
サイト管理人 凡人オヤマダ ツイッター 

 

https://twitter.com/aindanet

twitter.com

 

お知らせ

「暮らしの経済手帖」プロモーショナルキャラクター・友坂えるの紹介です。

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200814190559j:plain

 

f:id:metamorphoseofcapitalism:20200812163152p:plain