新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

拙速な量的金融緩和の解除と景気・雇用の再悪化

2001年3月からはじまった世界初の量的金融緩和ですが、2006年3月9日の金融政策決定会合において、消費者物価指数が前年比上昇率が4ヶ月連続して0%以上になったとして解除しました。

しかし当時の総理大臣であった小泉純一郎氏をはじめ、竹中平蔵総務大臣中川秀直自民党政調会長は緩和解除が早すぎると強く反対しています。小泉総理は「解除をしてみて、やはりダメだったからといって、元に戻すことは許されない。自信をもって解除できるまで、慎重に判断すべきだ」と述べていました。
それでも与謝野馨経済財政担当大臣らは緩和解除を強く圧し、日銀は解除に踏み切ってしまったのです。

結果論をいえばこの緩和解除は早すぎました。解除から数ヵ月経った2007年1~6月の消費者物価指数は小幅ながら0.3~0%に落ちます。さらに同年末あたりからアメリカでサブ(ノン)プライムローンの焦げ付きが表面化しはじめました。翌年9月にリーマンショックが発生して、日本も深刻な経済危機に陥ります。

緩和解除当時、総務大臣補佐官を務めておられた経済学者の高橋洋一氏も「消費者物価統計には上方バイアスがありプラスでない」と解除に反対し、当時官房長官であった安倍晋三氏に「この量的緩和解除により半年から1年後に景気が悪くなる」と述べています。山本幸三議員も上方バイアスが日銀の言っていた0.1~0.2程度ではなく実は0.6もあってマイナス成長のときに緩和解除をしてしまったと指摘されております。(形式的なインフレ率0.5%、実際はマイナス0.1%)


山本幸三さんが述べておられるように量的緩和解除から株価が下落しはじめ、中小企業がバタバタ潰れていき、2008年には大企業も深刻な経営危機に陥りました。

量的緩和政策の解除は目標のインフレ率に達しても数ヵ月以上、再び景気が崩れないか確認してから踏み切らないといけなかったのです。 (アベノミクスの金融緩和についても出口戦略を口走る経済学者やマスコミがいますが論外です。)

ここで前にも引用させていただいた野口旭先生がコラムで使われていた賃金と物価のグラフを見てみましょう。

「日本の名目賃金指数、消費者物価指数、および実質賃金指数(1990〜2016年)」
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引用 ニュースウィーク 野口旭先生 「雇用が回復しても賃金が上がらない理由  」より


1997年から下がり続けた名目賃金ですが、量的金融緩和政策がはじまった2001年以降も下がり続けています。2004年あたりで若干上向きますが、緩和解除になった2006年からまた下落がはじまり、リーマンショックが起きた2008年~2009年で急落しました。
もうひとつ気がつくのは2001年で名目賃金指数と消費者物価指数が逆転していることです。

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小泉政権の当時においても「実感なき景気回復」とか「格差拡大」という批判の声が左派系野党や評論家、マスコミから出ていましたが、企業の業績回復や株価の動きが顕著であったのに対し、賃金の改善は緩和解除までいまいちのままでした。もちろん2002年以降雇用者数が伸びていますので就労者全体に所得分配が進んでいたことには違いありませんが、本格的な賃金上昇にまでは至っていません。もうひとつおまけでいえば2006年から2007年は物価の方だけ上がって賃金は下がっています。

リフレーション政策の説明で言われているように雇用の回復は実質賃金(=名目賃金-物価)が一時的に低下することによってはじまります。それと新規もしくは再就職者の場合初任給が低く、就労者平均の賃金を下げることがありますので、雇用回復初期においてそれ自体は決してネガティヴな現象ではないです。
原田泰先生は量的金融緩和政策と雇用改善の動きについて「金融緩和の目的は雇用を増やすことで賃金を上げることではない。勿論、金融緩和で雇用が伸びて、失業率が下がっていけば、いずれ賃金は上がる。」と説明されております。
しかし小泉政権のときの量的緩和政策は賃金が上昇する前に緩和解除をしてしまいました。緩和解除した2006年には賃金が再下落しています。それが「金融緩和なんかやっても賃金は伸びない」という誤解を与えたのです。これが後々まで多くの人々に金融緩和政策に対する不信につながり、今のアベノミクス批判にもつながってしまうことになります。

この誤解や不信が「小泉や竹中ノセイデ格差ガー」「金持ち・大企業優遇」「トリクルダウンなんか起きなかった」などという俗説を生みました。もちろん小泉内閣の後継である安倍第1次政権も同様のイメージを世間から抱かれ短命に終わっています。

拙速すぎる量的金融緩和政策の解除は弊記事「通常の金融緩和を無効にしてしまう悪質デフレをつくった1990年代の日銀金融無策 」でも書きましたとおり、三重野康総裁から続く日銀の金融極右体質が招いたものです。
森永卓郎氏が「旧日本軍の戦力逐次投入と同じ」と評した日銀の断続的かつ小出しな緩和姿勢がここでも現れました。


次回書く予定ですが、景気回復がまだ確実でない時期の量的金融緩和解除は非正規雇用労働者の問題を結果的に放置したことになり、サブプライムローンショックで彼らを荒海の中へ放り出すようなことにつながります。小泉政権下の緊縮財政と竹中平蔵氏が規制緩和と共に導入しようとしていたセーフティネットの未完について述べる予定です。

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