新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

措置から保険方式へシフトしてきた社会保障・福祉・医療制度

いま起きている社会保障・福祉・医療制度問題の話に入る前に非常に軽く簡単に日本におけるこの制度の歴史について述べておきたいと思います。後に財源問題について考えるときにも重要になってきます。

その前に前回書いたことでもあるのですが、社会保障制度と福祉・医療制度は同じ厚生行政・事業制度ながら、することが異なっています。
社会保障制度は失業・災害・傷病・障がい等によって起きる所得の著しい毀損やそれによって生ずる貧困問題に対処するための経済的支援制度です。現金の支給が中心の制度と言っていいです。
それに対し福祉・医療は介護や介助、社会復帰支援(リハビリテーション)、傷病の治療行為などといったサービスの提供を行う制度です。こちらは現金よりも現物を支給することが中心の制度になります。

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多くの人々は両者を混同してしまっていますし、政治家たちも「福祉の充実」などといっています。後に話しますようにこのことが大きな罠になっていますので注意してください。

本題に入りますが、日本において公的責任による社会保障や福祉制度が整備されたのは終戦後です。
明治期に極度の貧困状態に置かれた生活困窮者を救護する恤救規則といった制度が生まれましたが、それは貧困者への慈善や恩賜といった性格が強いもので、「お上による施し」といったものでした。「恩賜」とは天皇家からの恩恵や賜物という意味合いになり、明治天皇が医療によって生活困窮者を救済しようという目的で明治44(1911)年に設立した済生会も「社会福祉法人 恩賜財団」となっています。戦前は基本的に生活困窮者や障がい者等の支援は社会運動家や慈善家・篤志家らの手に委ねられていたものであり、国が国民の生活を守る義務に基づいてそれを行っていたわけではありません。

第2次世界大戦後、真っ先に生まれた社会保障・福祉制度は生活保護法(1946)と児童福祉法(1947)、そして身体障害者福祉法(1949)です。これらは福祉三法と呼ばれていましたが、この三法が生まれた背景は戦後の混乱期にあります。終戦によって満州などからの引揚者や失業者が大量に溢れかえり、そのために食糧やモノの盗みや強奪は当たり前の状況でした。戦時中の空襲によって両親や親類を失った孤児も大勢おり、飢えた彼らも当然のようにかっぱらいなどをします。それを防ぐために生活保護法と児童福祉法が生まれたのです。身体障害者福祉法は戦地で手足・眼などを失った傷痍軍人たちを援護していかねばならないという事情から制定されました。
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この福祉三法の成立から間もなくして、長らく日本の福祉事業の基礎となる法律「社会福祉事業法」(現在の「社会福祉法」の前身)が1951年に成立します。戦後まもなく生まれた日本国憲法第25条の「一、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と「二、国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」という条文の精神に従い、福祉事業が国民の生命と生活の権利を護る国家の責務として行われていくことになります。戦前まで「お上の施し」程度の扱いで、しかも国の責任ではなく慈善家や篤志家らに丸投げしていた生活困窮者支援を、国や自治体が公費で費用を負担し、福祉事業を行う原則を打ち立てました。(公的責任の原則) もちろん各福祉事業・施設はすべて完全な公的機関だけではなく、慈善家や篤志家たちが設立した事業・施設も含まれますが、それらは社会福祉法人とし公的機関に準ずるものとして扱われることになりました。逆をいえば長く日本の福祉事業は公営事業体と社会福祉法人のみが行えるもので、民間事業体の参入を拒むかたちで営まれてきたといえます。

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なお公的機関が福祉事業の援護を行うことや、その決定をすることを措置としてきました。戦後の日本国憲法下で国民が福祉サービスを権利性が高まったとはいえ、それは行政機関が判断して処遇するといった考えで進められてきております。旧臭い前時代的な言い方になりますが、子どもを預ける保育所についても実は「本来は自分の子どもは両親が面倒を見るべきものだが、両親とも長時間働きに行かねばならないほど生活が苦しいとか、病気を抱えているなどといった事情があるのだったら子どもを預けなさい。お上がやむを得ない措置として代わりに子どもの面倒をみよう」という考えで生まれた児童福祉施設です。

なお生活保護法・児童福祉法身体障害者福祉法の三法につづき、精神薄弱者福祉法(この法律名は差別的意味合いがあるということで後に知的障害者福祉法に名称変更)と老人福祉法、母子福祉法(後に母子及び父子並びに寡婦福祉法と名称変更)が加わって福祉六法体制となりますが、それは1960年代になってからのことです。
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一方福祉事業ではなく社会保障制度である健康保険や労災保険・失業保険・年金保険といった社会保険制度が整備されていったのは高度成長期に突入する1950年代~60年代の頃です。
戦前にも1922年に公的医療保険である健康保険法が生まれており、1938年には貧しい農村などを対象とした国民健康保険が、年金については1940年の船員保険年金や1941年の労働者年金保険法、1944年の厚生年金保険法などが生まれましたが、戦時中の財政難などで休廃止されていました。(このときの記憶が遺っていた人たちは年金制度に根深い不信感を持っていたといわれる)
終戦後の混乱が落ち着き、日本の経済が復活してくると、公的医療保険や年金制度の再整備がはじまります。
医療保険や年金以外にも1947年に労災保険や失業保険(雇用保険)制度が創設されました。

しかしながら1955年までは農業、自営業などに従事する人々や零細企業従業員を中心に、国民の約3分の1に当たる約3000万人が医療保険の適用を受けない無保険者だったという状態が続いています。1959年に国民年金法が制定され1961年に国民年金制度が発足しました。(1959年は安倍総理の祖父である岸信介氏が総理であったことが興味深い) 国民皆保険の達成です。
そして1973年には田中角栄内閣が「福祉元年」と銘打ち、老人医療費無料制度の創設(70歳以上の高齢者の自己負担無料化)や健康保険の被扶養者の給付率の引き上げ、高額療養費制度の導入といった社会保障・福祉・医療制度の大幅拡充が計られます。

国民皆保険制度の達成や福祉元年といわれた時期は安保闘争ロッキード収賄事件で革新・左派勢力が非常に強く、当時の岸信介政権や田中角栄政権は激しく非難を浴びていました。そうした背景から保守系自民党政権も厚生分野の拡充を計らざるえなかったという事情があります。また民間企業においても労使対立の激化を和らげるために社員の厚生福利拡充の一環として、国ならびに労使折半による医療保険制度や年金制度を整備に協力していったのです。

後に述べますが、日本の公的医療・年金保険制度は右肩上がりの経済発展が進んだ高度成長期に整備・拡充されていったために、法制度設計もそれを前提としたものになっています。このことが1990年代のバブル崩壊と「失われた20年」といわれるデフレ不況時代で綻びを見せつつあることは否定できません。

公的医療・年金・雇用保険といった社会保障制度から支援サービスの供給を中心とする社会福祉事業の方へ話を戻しますと、1990年代あたりから社会福祉事業法に基づく措置方式や社会福祉法人に限定した事業主体制限見直しの気運が高まってきます。児童・身体障碍・知的障碍・老人の各分野のうち、老人介護については民間事業者の参入の動きが出始めました。折口雅博氏が創業した人材派遣業のグッドウィル傘下にあった介護サービス会社コムスンなどがその代表例でしょう。
2000年に社会福祉事業法は社会福祉法へと法律名が改められます。社会福祉事業は入所型を中心とし法規制が厳格な第1種と通所もしくは短期入所を中心とし、法規制や参入規制が緩い第2種に分かれました。

第1種は公的機関や社会福祉法人に事業主体が限定されますが、第2種は都道府県知事への届け出制で誰でも事業参入できます。

さらに1997年に医療保険や年金保険とは独立し、40歳以上を被保険者とした介護保険法が制定され、2000年から施行されます。これは急速の日本の高齢化社会進行によって高齢者福祉関係の歳出が膨張し、別の財源を確保せざるえなくなったという事情で生まれたのですが、別の見方をすれば一般会計による措置から保険制度で利用者がサービスを買う形態への転換とも受け止められます。
介護保険制度は1997年という年が物語るように橋本龍太郎政権下で生まれたもので緊縮財政色が極めて濃厚です。一種の増税です。しかしながら保険方式のよって財源を一般会計から分離してどんぶり勘定になってしまうことはありません。少なくとも「福祉に予算を出すから消費税率引き上げを認めろ」というよりはましな筋の話です。さらに措置方式のように公的機関が措置内容や措置先を決めてしまう官給品を押し付けるようなやり方ではなく、医療保険のように介護福祉サービスの利用者が自分の好むサービス提供事業者を選び、その事業者が介護報酬を受け取るというかたちとなり、サービス利用者の権利性が高まるという面もあります。ただしこの話はあくまで建前上のことに過ぎませんが。

こうして福祉八法時代を迎えます。
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保険方式は他の財源への流用を防止できるという面でもいいでしょう。公正厳格さが重んじられるヨーロッパ圏では社会保障・福祉・医療制度は保険方式を中心とします。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による年金財源の株式運用のことや保険料収入が増えるはずなのに介護福祉従事者の報酬が下げられてしまうような問題を指摘できるのも保険方式だからです。

今後年金の話や生活保護問題をはじめ、後にここでも取り上げる予定のベーシックインカム構想を語る上でも、社会保障・福祉・医療制度や財源がどのような構造になっているのかを頭に入れておいた方がいいでしょう。正直この理解が混乱したままの状態の人が多いです。

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