新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

高度成長期に生まれ発展していった公的年金・健康保険制度とその変調

前回は国民皆保険・皆年金体制が達成されたときの時代背景やその制度設計の簡単な説明だけさせていただきました。制定された1959年当時には最善といえる日本の社会保険制度でしたが、時代を経ていくうちに国民年金国民健康保険を中心に財政問題等が浮上してしてきました。今回はそのことについて述べます。

世間でよく言われるように、少子高齢化の進行が年金制度の歪みや財政圧迫を招いてきたことは否定できません。しかしながら後に述べるように問題はそのせいだけにできません。1990年代のバブル崩壊とそれによって引き起こされた終身雇用・完全雇用の崩壊と非正規雇用の拡大が大きく絡んできます。

核家族化や都市化・工業化社会化による少子高齢化社会の進行は国民皆年金・皆保険体制の制度設計を行っている段階のときから想定されていたものです。当時、厚生省の官僚で、生活保護法や国民年金制度の制定にかかわった小山進次郎氏の著書(「国民年金法の解説」、1959年)によれば、日本でも高齢化が目立ち始め、それは今後ますます進むから、老人扶養の問題をどうするかは国民が一致して解決に当たらなければならない一大社会問題であることや、家族制度にも崩壊の兆しが見られ、それは今後ますます激しくなっていくから、高齢者が子の扶養に全面的によりかからないで済む国家的な対策が必要であること、などが述べられています。


山田洋二監督作品で倍賞千恵子さんや井川比佐志さん、笠智衆さんが出演された「民子三部作」の第一作目である「家族」という映画がありますが、この作品において高度成長期における家族関係や人々の暮らしの変化が描かれています。
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井川比佐志さんが演ずる風見精一が勤めていた会社が石炭産業の衰退によって倒産したために、一念発起で北海道で酪農家を始めることを決意し、妻の民子(倍賞千恵子)や長男と乳児である長女、そして精一の父源蔵(笠智衆)と共に故郷の長崎・伊王島を捨て、北海道の標津町まで列車を乗り継ぎながら移動するというロードムーヴィーです。

最初は年老いた父・源蔵を広島県の福山に住む精一の弟・力(前田吟)のもとで預かってもらうつもりでいたのですが、狭い住宅に力の妻と子どもが住んでおり、買ったばかりのマイカーローンを抱え込んでいた状態で、源蔵の面倒を押し付けるわけにはいかない状態であることを思い知らされます。結局民子の提案で源蔵も一緒に北海道へ渡る決断をするのですが、高度成長期の核家族化が進む様子がよくわかります。伊王島の石炭産業衰退に象徴される産業構造の転換も雇用保険制度の整備に大きく関わっています。このことは第二作の「故郷」にも描かれていることですが、ある産業に従事していた就労者を新しい産業へと移動させていく、雇用流動化の促進に雇用保険制度がひと役かっていました。
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「家族」に話を戻しますと精一・民子夫婦の幼き娘が旅の途中で高熱と引きつけを起こし、医者を何軒も駆け回るものの、手遅れになって息を引き取るというシーンもあります。この映画は日本の社会保障史という観点から見ても貴重な映像といえましょう。

日本の高度経済成長期とその過程における産業構造の転換を国民皆年金・皆保険・雇用保険制度などの社会保険制度が支えたといっても過言でないかも知れません。日本の社会保険制度は高度経済成長期前夜に生まれ、それと共に発達してきたのです。当初は加入者が払った保険料を積み上げし、支給開始年齢になったらそこから給付を行う完全積立式で、給付額や保険料は少額でしたが、昭和40年代に入るとどんどん給付額や保険料が拡大されていきます。昭和48年4月にはインフレで年金給付額が実質減ってしまう事態に対応すべく物価スライド制も導入され、修正積立式へとシフトしていきます。ます。年金財源は若い世代の加入者の保険料に依存する割合が高くなり、現役世代から高齢世代への仕送りみたいな形の制度に変わっていきます。

しかしながら昭和60年代・1980年代に入る頃には少子高齢化国民年金並びに国民健康保険財政の圧迫が強まってきます。昭和61(1986)年4月に年金制度を大幅に改訂します。
その内容は
国民年金制度を基礎年金化し、日本国民全員を加入させた上、厚生年金、各種共済組合は基礎年金の上にに積み増しする2階建て構造とする。(年金制度の実質統合)
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・厚生年金加入者の妻で専業主婦である第3号被保険者を国民年金加入者とみなし、制度無加入で無年金状態になるのを防止する。
・年金支給開始年齢が旧法で男性60歳・女性55歳からだったのに対し、男女共に65歳へ引き上げ。

といった制度の抜本改革です。

この後も年金制度は改正を繰り返し、2004年(平成16年)の法改正による保険料水準固定方式の導入により、将来的に保険料は定額で固定されることとなり、財源は積立式から現役世代の保険料が年金受給者に給付される賦課方式への移行していくことになりました。また同時に物価スライド方式からマクロ経済スライド方式へと変わり、賃金・物価上昇期には年金支給額の上昇率が、賃金・物価上昇率よりも低く抑えられる形とし、給付額増加を抑える仕組みを導入します。
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これは高度成長期に現役世代だった団塊世代バブル経済崩壊後のロスジェネ世代との給付格差をならす目的があるようです。
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なお国民年金は元々低所得者を対象していたこともあり、厚生年金などに比べ財源が脆弱でした。そのために保険料の1/3は国庫負担で賄う形になっていましたが、1/2まで国庫負担率を引き上げることも決められます。当時この制度改革で「100年安心」といわれたものです。

日本の社会保険制度は高度成長期まではどんどん給付水準が引き上げられてきましたが、少子高齢化だけではなく、1990年代以降の経済長期停滞と国家財政悪化も加わり、給付水準の引き下げや保険料の値上げが繰り返されるようになります。この問題は次回以降に詳しく述べていきますが、制度に対する不満や不信を持つ国民が増えてきています。それについて今後お答えしていきましょう。

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