単刀直入にいえば公的年金保険制度はそう簡単には破綻しない制度設計になっています。健康保険制度や雇用保険制度も含めてですが、社会保険制度は公営の保険すなわち民間の保険会社が提供している保険商品と基本構造は一緒だと考えてください。民間の保険会社の保険商品と公的保険に違いがあるとしたら、加入者の所得状況に応じて保険料が異なるといった低所得者優遇の配慮がなされているいるといった点でしょう。
民間の保険商品は基本的に保険料収入=給付支出となるように設計されています。公的保険制度も同様です。保険数理士(アクチャリー)が保険料収入=給付支出となるように給付が必要となる事故や疾病の発生確率を算出し、それによって徴収する保険料を設定します。自動車保険なんかも保険加入者が事故をたくさん発生させ、多額の保険金が保険会社から支払われていくと、保険料が値上がりしますが、これも保険数理上でいえば当然の話です。
公的年金の場合ですと将来の人口動態を予測しながら、5年に1回ずつ保険の収支バランスを確認し、保険料や支給額の調整を行っています。「今の保険料や給付水準だとまずいぞ」となったら、保険料の引き上げや支給額の削減・支給開始年齢の引き上げといった調整が行われるのです。
いまの日本の公的年金制度ですと20歳~60歳までの40年間、全国民が強制的に国民年金に加入させられ保険料を支払い続けることになっています。一方年金支給は65歳(必要な場合は60歳からでも)から支給が開始され、死ぬまで支給が続けられます。
保険数理的に見たら
現役世代の間に40年間支払い続けた保険料=65歳から死ぬまでの間に支払われる支給額
ということになります。
人々の平均寿命が延びて年金支給期間が伸びたり、少子高齢化によって現役世代人口<高齢者人口となっていくると保険料を引き上げ、支給額を減らさないといけないということになります。これは仕方がないことです。
それともうひとつ公的年金制度を考える上で忘れてはならないのは被保険者が現役世代のうちに保険料を積み上げて高齢になったときに受け取る積立方式か、現在の現役世代が支払った保険料を現在の高齢者に支給し、仕送りするような賦課方式を採用しているのかという違いを知らないといけません。日本の場合ですと最初は積立方式で公的年金制度がはじまりましたが、1970年代から賦課方式へとシフトしていきます。
積立方式と賦課方式はそれぞれメリットとデメリットがあります。
積立方式は将来少子高齢化が進んだとしても、年金給付を受ける世代が現役時代に積み立てたお金を財源としていますので、若い世代に負担増加を課すようなことはありません。しかし急激な物価上昇が起きると年金支給額が実質低下することになります。さらに長寿化が進み、高齢者人口が増えると給付額を下げざる得ません。
賦課方式はインフレが起きても受給者の年金支給額が実質目減りするリスクはなくなりますが、少子高齢化が加速し、現役世代が減少すると彼らの負担が大きくなってしまうという問題があります。
日本の年金制度は賦課方式にシフトしたとはいえ、現在年金給付を受けているの高齢者たちが過去に支払ってきた保険料が年金積立金として残してあります。この積立金の額は昨年2017年8月ですと153兆円に上ります。(過去最高額ですぞ。) このお金を切り崩して給付に回すことによって、今後増えてしまう若年現役世代の保険料負担を軽減するということも可能です。
こういうと「年金の積立金があと20~30年ほどで枯渇してしまうと言われているじゃないか!」という人がいますし、そうした内容の記事を書き、「年金制度破綻」というタイトルをつけて脅すような経済学者の記事もあったものです。
しかし年金積立金の残高の推移はどうなっているでしょう?
年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF) 「年金積立金とはどのようなものですか。」より
あれれ?増 え て い ま す ね ~(棒読み)
アベノセイデーなのでしょうかw (GPIFが年金積立金を株式運用に使い、アベノミクスによる株高で運用益が出たということ)
仮にこの年金積立金が枯渇するようなことがあっても、最低現役世代からの保険料収入で高齢者の年金給付が賄う賦課方式による財源は確保できます。
厚生労働省が用意したウェブサイト「いっしょに検証!公的年金」で年金保険の給付や財源のしくみについて解説されていますが、そう易々と壊れるような制度設計にはなっていないことがわかります。2040年には日本の人口の4割が65歳以上の高齢者になってしまうと予想される超少子高齢化社会の到来も盛り込み済です。
ただし公的年金制度自体は簡単に破綻しないといっても、現役世代の負担や高齢者の年金支給額が今の水準を維持し続けられるということまで保障されていません。次回は今後予想されるわたしたちの厳しい状況についてのお話です。かなり気が重くなるかも知れません。