新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

恐慌を食い止めよ その6 ニューディール政策は成功したのか?

恐慌という非常事態にいかなる経済・金融政策を打つべきかについて昭和恐慌のときに日本の高橋是清が行ったリフレ政策を軸に考察を進めてきました。昭和恐慌は濱口雄幸内閣とその蔵相だった井上準之助が進めた旧平価での金出解禁とそのための金融引き締め・緊縮財政によって生じたデフレが1929年にアメリカで起きた世界大恐慌と重なり深刻化したものです。
アメリカ側の世界大恐慌に対する当時の共和党フーヴァー大統領の対応はかなり後手後手で、大量失業によってホームレスとなった貧困者が溢れかえってしまう惨状となりました。それから3年ほど経った1932年に大統領選挙でフーヴァーはニューディール政策を掲げた民主党のフランクリン・ルーズヴェルトに敗れ政権を奪われました。

ルーズヴェルトの経済政策「ニューディール」については非常に有名で「世界で初めてケインズ経済の理論に基づいた経済再生政策」という見方をされることが多いですが、私は「そうかな?」と疑問に思っています。最初に結論を述べれば日本の高橋是清財政に比べたらあまり見るべきものがないというのが当方の受け止め方です。本当はこのブログでニューディール政策について詳しく触れようと最初は考えていたのですが、この政策はあまりに雑味が多く文章量を無駄に費やすだけで、恐慌からの脱出をどう計るのかという要領がつかめないレポートになりそうなのでやめました。ニューディール政策のひとつひとつは良いものがあり、金融システムの安定や労働者保護・アメリカ国民の厚生福祉の向上に貢献したものがいくつかあります。しかしそれらが統合的で一貫性のある政策パッケージとしてまとまっていたとは言い難いです。どこか単発的で場当たり的かつ総花的に感じられます。そのためか政策効果も本当にあったのかないのかわかりにくいものになっています。

ニューディール」は日本で「新規まき直し政策」と訳されますが、私は「新しい(富の)分配方法導入」という意味に捉えています。(でもルーズヴェルトは野球好きで「巻き返し」を好んだかも?)ルーズヴェルトは大統領選挙中にニューディール政策の中身をはっきり声明していなかったといわれています。バラク・オバマの「チェンジ!」や日本の民主党(現・民進党)が政権を獲る前に掲げた「国民の生活が第一」「命」「コンクリートから人へ」に近い選挙スローガンでしょう。

ルーズヴェルトは政権獲得後に政治ならびに経済の専門家をブレインとし、ニューディール政策の中身を詰めていきました。ルーズヴェルト自身は経済学にさほど精通していたわけではなかったようです。そのためかニューディール政策は日本の民主党政権が打ち出していたマニュフェストに近い印象を持ってしまうのです。

まずニューディール政策で最初に打ち出したものは4日間の銀行閉鎖とその間の緊急銀行救済法で預金者の不安を払拭し金融システムへの信頼を回復させ、金本位制からの離脱と大規模な金融緩和を行うことでした。これによって信用創造(銀行が融資でマネーを生むこと)の収縮がおさまったのです。これは大きく評価すべきことでしょう。
グラス=スティーガル法によって投機ブームにのっかって異常な信用膨張と乱脈融資を行っていた銀行の責任を厳しく追及し、健全経営に努め更生の見込みがある銀行には資金の貸し付けを行って、救済の見込みがない銀行はどんどん整理・淘汰していきました。
この法律で
・証券と銀行の分離 ・連邦準備制度の強化 ・預金者保護のための連邦預金保険公社(FDIC)の設立 ・要求払い預金への利子の禁止
などが盛り込まれ、1999年の廃止に至るまでアメリカの金融システム安定化に貢献してきております。

また世間ではこちらの方のイメージが強いかと思われますが、財政出動で有名なTVA(テネシー川流域開発公社)を代表とする大規模な公共事業工事やCCC(民間資源保存局)による大規模雇用もニューディール政策の一環として進められます。

しかしながらその一方でルーズヴェルトは産業側への生産調整や価格統制のためのカルテルを行うなど、自由主義的な生産活動に規制をどんどんかけてしまいます。上のマネー供給拡大や金融緩和によって投資や生産活動に対しアクセルを踏んだのですが、同時に生産規制強化によってブレーキをかけてしまうようなことをしてしまったのです。証券取引委員会を設置して銀行に投機行為の規制をかけたまではいいのですが、大企業への融資も抑え込みました。
農業調整法(AAA)では農家に生産を削減させ、それによって生じた減収は補助金で償うといったことをしています。豚肉価格維持のために政府は子豚と妊娠した母豚を高く買い取り、何百万頭も屠殺して生産調整をしました。当時はこうした政策について「ソヴィエト以上に社会主義的」だと揶揄されたぐらいです。

それから1937年にルーズヴェルトはインフレを嫌っての金融引き締めと財政悪化を恐れての増税と緊縮財政へと舵をきってしまいます。これによって再び失業率が一気に悪化してしまいました。ルーズヴェルトのやってきたことはかなりちぐはぐだったのです。

ニューディール政策が足踏みしている間にルーズヴェルトの目は次第にヨーロッパを中心に繰り広げられていた第2次世界大戦へと向き始めます。当初アメリカはこの戦争に非干渉の態度を貫いていましたが、ルーズヴェルトは密かに参戦へと動き始めました。
 

ルーズヴェルトが第2次世界大戦介入のプロバガンダづくりに利用されたのが日本です。アメリカは当時植民地拡大を進めていた日本に屑鉄輸出禁止や石油の禁輸措置・日本側の資産凍結で兵糧攻めをはじめました。そしてハル・ノートという皮手袋で日本の頬を叩きます。
ルーズヴェルトはその動きを事前に察知しながら黙止し日本に真珠湾を攻撃させました。これでアメリカの世論は戦争参加へと傾きます。つまりは「日本に一発殴らせ、100倍返しでフルボッコ」という罠をしかけたのです。

第2次世界大戦参戦後のアメリカは軍需によって産業が活発化し、失業者はその労働力や兵士になっていくことで吸収されていきます。経済学者のケインズは「私の説の正しさを証明できるに十分なほどの財政支出は、戦争でもない限り不可能だ」と述べていたのですが、ルーズヴェルトはその言葉どおりのことを実行しました。ニューディール政策行き詰まりを戦争で有耶無耶にしたといっても過言ではありません。

冒頭で述べたケインズ経済学とニューディール政策の連関ですが、ルーズヴェルト自身はケインズの話を「統計の数字ばかりで理解できなかった」と述べ、赤字国債発行による景気刺激策についても「途方もないホラ話」として切り捨てたそうです。ニューディール政策ケインズ経済という見方はできないでしょう。

日本において「世界大恐慌ニューディール政策ケインズ経済に基づく大規模な財政出動(特に公共事業工事や軍需)が行われたことで収束させることができた」という見方が支配的になっていますが、これは経済学者の都留重人が広めたものだと云われています。当方はその見方を決して支持することはできないなと思いました。

私もケインズ経済学について、もう一度読み返しその理論を学び直さないといけないと考えています。


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