新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

ポストバブル経済モデルの構築失敗と日本病の始点となった1990年代

また自分の想い出話となりますが、大学時代にある講師の先生と親しくなり、講義が終わった晩にいつも食事を共にさせていただいておりました。そのときはちょうどバブル経済が崩壊したばかりの頃だったのですが、これからの日本経済や社会の動きはどうなるのかという話をしました。
私は当時今以上に青臭いものの考え方をしており、スウェーデンのような高福祉型の北欧型経済モデルや脱工業化社会などに憧れの気持ちを抱いていたものです。自分の期待や願望が混じり私は「これからの日本は大量生産・大量消費型経済や拡大・膨張主義から脱して、少量・高付加価値型の成熟型経済モデルへ移行させていった方がいいのではないか」ということをその場で述べました。
しかし講師の先生は「いや、多分これからの日本はどんどん安く、粗末なものばかりが増えていく世の中になりますよ。旧いクルマが街中を何台も走り回っているような状況になるでしょう」と答えられたのです。

結果からいえばその先生が仰ったとおりの世の中になりました。前回書いたようにコストダウン一辺倒の安普請なクルマがトヨタ・日産・マツダなどから続出したり、価格破壊を謳い文句に飲食店や衣料品店が値下げ販売を常態化させていきます。(「デフレと清貧志向が破壊した日本のものづくり 」)
バブル時代のように高額ブランド品を身に着け自慢するような人がいなくなって、ユニクロしまむらなどで購入した服で十分と考える人が多くなりました。そうしたビジネスモデルは高度成長期以来日本が続けてきた薄利多売の大量生産・大量消費型経済モデルをさらに推し進めようとしたものです。

日経連をはじめとする財界や自民党政権が描いたバブル経済後の「新時代の日本的経営」像も高度成長期以来の日本型経済モデルをもっと強化していくべきだという守旧的な発想にとらわれたままのものでした。(「労働者にバブルの尻ぬぐいを押し付けた御都合主義の日経連提言(1995年「新時代の日本経営」) 」)

過去の成功に酔った多くの日本企業の経営者が選んだ道は「日本は安くていいものを作ってきたから海外からも高く評価されたくさん売れたのだ。だから乾いた雑巾を絞るようなコストカットでものの値段を下げれば再びたくさん売れるようになる」という薄利多売型の経済モデルをバブル期以上に徹底化させようというものです。

マニュアルトランスミッションのクルマの運転になぞらえると、1990年代以降の日本的経営は低いギアから高いギアに切り替えずに、ただアクセルを底踏みしエンジンをレッドゾーンを振り切るまでぶん回し続けたようなものです。そうした運転がエンジンを消耗させ傷めさせていくことになります。

薄利多売型の経営モデルは労働者の分配を減らし、極限まで過重労働を背負わせないと成り立ちません。長時間労働問題や過労死問題はバブル時代にも多く存在しましたが、1990年代以降はもっとそれがひどくなっていきます。労働力の疲弊を加速させました。でも経済成長はずっと低迷したままです。

日本の多くの企業は戦中の「欲しがりません勝つまでは」といった前時代的な思考で設備投資や雇用を縮小する緊縮経営を行い、「努力」とか「工夫」などと言いながら戦局を乗り越えようとしました。その結果兵力をどんどん消耗させ戦況を悪化させていったという日本軍部と同じ過ちをしたのです。

そして自民党政権サッチャーリズムやレーガノミクスを意識したかのように日本を中(税)負担・中福祉国家から低福祉国家へと移行させようとします。高福祉型の北欧型モデルではなくアメリカ型モデルへの移行を目指そうとしました。橋本龍太郎内閣から麻生太郎政権に至るまで何代も総理大臣が入れ替わりましたが、基本的な流れは歳出を切り詰めた緊縮財政志向で(再分配が)「小さな政府」化を進めていたといえます。
このことは後に反新保守(ネオコンサバーティヴ)や反新自由主義ネオリベラリズム)を唱える人たちを生むことにつながりました。(ただし私は新保守主義新自由主義という言葉は定義があいまいなので使用を控えています。)

90年代以降企業が投資や雇用を縮小することによって、中小企業等への仕事発注や労働者への賃金が削減され、富の分配が進まなくなっていきます。さらに国は国家財政再建のために増税社会保障予算削減を行い、国民への再分配も減らそうとします。労働者(国民)の低所得化が進行し、貧困問題も顕著になってきました。これが消費低迷やデフレの慢性化へとつながっていきます。企業はさらに投資や雇用をしにくくなってしまいました。(「流動性の罠」問題はまた後に)

バブル崩壊のときに日銀の三重野康総裁がかなり強烈な金融引き締めを行ったために、銀行からのマネーの発生や供給が停まりカネ不足状態に陥ります。そのおかげで企業から個人、国に至るまで「カネは死ぬ気で掴め!掴んだら殺されても放すな」といわんばかりにお金を遣わなくなり、動かなくなっていきました。とにかく日本中がモノやサービスの値段を下げろ!労働者に対する賃金もギリギリまで下げろ!余分なカネを遣うなとなってしまったのです。

冒頭で書いたような高付加価値型経営モデルや量から質の経済成長への転換はできなくなりました。

高付加価値型経営モデルや質の経済成長は金融緩和もしくはヘリコプターマネーといわれる手法によってマネーを市中に多く供給していかないと実現しないでしょう。もし仮に1990年代初期に三重野総裁が引き締めた金融政策を再度緩和に切り替えていれば日本は高付加価値型経営モデルや質の経済成長によって成熟した経済モデルを構築できたのではないかと悔やまれてなりません。

次回は橋本龍太郎内閣の跡を継いだ小渕恵三政権と宮沢喜一財務大臣が進めたオールドケインジアン財政出動と国家財政赤字の膨張について取り上げます。

「お金の生み方と配り方を変えれば 暮らしが変わります」

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