新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

現代の貧困や労働問題に対処できなくなってきた日本の左派政党

貧困・雇用・格差問題 」編だと言いつつ、左派政党やその支持者には受け入れられにくい話ばかり続けてきました。今回の話は1980年代で行き詰った左派政党のイデオロギー労働組合などの活動と現代の貧困や雇用問題に対処できなくなってしまっていることについて批判していきます。

かつて1980年代の左派政党で代表格だったのが日本社会党で、そこから分かれた民社党、そして今もなお存在し続けている日本共産党に、今は自民党と連立ブロックを組んでいますが公明党などが存在しました。一方各企業の労働組合があり、毎年春のメーデーで賃上げ交渉や労働条件の改善を訴え続けてきております。
1955年以来ずっと日本の政界は保守系与党の自民党と革新系野党複数といった構図で続き、社会党共産党は延々と憲法改正反対と日米安保体制反対、反戦と平和維持を唱え続けてきました。口悪くいえば社会党共産党自民党が打ち出す法案に反対とだけ言って、あとは平和だとか勤労者のために、あるいは福祉を守れなどといったきれいごとだけを唱え続けてきただけです。万年野党の座に胡坐をかき続けてきただけだといえましょう。

1970年代に入るとソ連をはじめとする社会主義国家の行き詰まりが顕かになっていき、1980年代に崩壊していきます。冷戦時代が終わると左派勢力の発言力が急速に失われ、以後日本の左派政党は迷走していきました。
さらにこの時期は日本だけではなく、アメリカやUKをはじめとするヨーロッパ各国でも、財政肥大化や公営企業の不効率化、「山猫スト」などを行う過激な労働組合による企業の経営状況を無視した賃金引きあげ要求などが原因で、景気が低迷しているにも関わらず物価だけが上昇し続けるというスタグフレーションを引き起こします。このこともまた左派や労働組合に対する風当たりを強めることになりました。
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上の画像は日本の国鉄労働組合のひとつである動労がとった遵法ストによって、首都圏輸送が混乱し、乗客が激怒して暴動を起こしてしまったときの新聞記事です。これ以後過激な労組に対する国民の反感が強まり、それが国鉄分割民営化につながっていきます。

米ソの冷戦が終結し、バブル景気が終わった1990年代初頭に自民党竹下派から独立した小沢一郎らが、社会党公明党民社党の他に新党ブームで登場した新党さきがけ日本新党などを巻き込んで、自民党宮澤喜一政権を倒閣し、非自民政権が誕生することになるのですが、このことが社会党民社党などがこれまで掲げていた党の主張を有耶無耶にしたり、放棄してしまうことになり、支持者が離反してしまうことになります。結局多くの元左派系政党が固まって民主党を結成することになるのですが、元々は主義や主張がバラバラの者同士が寄せ集めでつくった政党であるために党の主張や規約がまとまらないままで終わりました。2009年から2012年にかけて民主党は政権を獲得できたのですが、そのデタラメぶりは多くの有権者の記憶に深く刻み込まれます。
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政治史の話はこの辺までとして、今回の話でいちばん重要なのは左派政党の経済観や労働政策の考え方が1980年代で完全に停まったままであるということです。経済が右肩上がりの成長を続け、日本の企業が世界市場を相手に稼ぎまくっており、企業側にいくらでもおねだりができた時代の感覚のままでおります。もう何度か書いてきましたが完全雇用や終身雇用が当たり前だった時代から頭の切り替えができていないのが日本の左派政党なのです。
バブルが崩壊した1990年代に入ってしまうと、経済成長が停まり、企業は終身雇用や年功序列制度といった昭和型雇用制度を維持できなくなってしまいます。昭和時代はずっと右肩上がりの成長が見込めたのですが、平成の世に入ると景気や雇用が不安定化しました。急激かつ深刻な景気悪化がいつ起きるかわからない状態ですと企業は正規雇用拡大を避けるようになります。日本のように厳しい解雇規制があるとなおさらのことでしょう。1980年代の左派政党や労働組合ように強引な賃金引上げを要求すれば逆に新規雇用を縮小し、失業率の増大を招いてしまいます。その問題は以下の記事で書いておきました。


1990年代以降の日本経済の低迷は三重野康総裁時代から白川方明総裁時代まで続いた抑制的な金融政策が元凶だったのですが、左派政党はマクロ経済政策に疎く、金融緩和を促すどころか「金利を上げた方が景気がよくなる」とまで言い出します。左派政党は「金儲け主義の大企業を許すな」と企業を敵視し、金融緩和政策まで許さなかったのです。これではモノやサービスの生産活動が向上せず、分配する富や財のパイが大きくできません。いくら平等に分配しても切り分ける前のパイが小さければ一人分のパイも小さくなります。すなわち国民の低所得化と貧困の拡大につながります。
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しかも左派政党の支持層は高度経済成長時代に現役世代を送り、終身雇用制度や年功序列制度に守られてきた中高年齢層が主体です。彼らは上級ブルジョア階級化した人たちであり、表面上だけ低所得者層に目を向けているかのような素振りを見せつつも実は関心がなく、学生運動をやっていた時代の感覚のまま、平和だとか環境などといったポエムに酔いしれてしまっているのです。左派の多くは反経済成長思考を持ってしまっており、「下り坂をそろそろと下る」とか「里山資本主義」などと言い出す人が出てくる有様です。
左派政党は就職氷河期によってなかなか就職が決まらず涙を流した学生さんたちや、不安定かつ低所得のまま中高年を迎えてしまった人たちを救うことができなかったですし、しようともしませんでした。

結局多くの人たちは左派政党に愛想を尽かし、自民党や維新の会などを支持するようになっていきます。

ほんとうはいつまでも昭和型雇用制度にしがみつづけるような主張を繰り返すのではなく、金融緩和政策や民営化・規制緩和などといった構造改革によって、1990年代以降に萎縮しきってしまった日本の民間企業の経営活動を活発化させ、それからもっと勤労者や低所得者層に(再)分配せよと主張すべきでした。一見企業よりに見えるかも知れませんが、解雇規制緩和などによって雇用の流動化を計る一方で、給付付き税控除やベーシックインカムなどの包括的所得保障制度の導入を計るといった新たなセーフティネットの整備を訴えていくのが真の革新といえましょう。

しかし日本の左派政党は経済学に無関心です。そうこうしているうちに現在の自民党・安倍政権が大胆な量的質的金融緩和政策を看板政策に掲げ、低迷していた企業の投資や雇用を劇的に回復させます。もはや左派政党の存在理由はないと言っても過言ではありません。

もうひとつ左派側で最近あった動きですが、マルクス主義者でありながら金融緩和政策を主軸とするリフレーション政策を支持する松尾匡教授や井上智洋さんらが薔薇マークキャンペーンを立ち上げました。松尾匡さんは私がここのブログ記事を書くときに何度も援用させていただいた方であり、保守系を名乗る方でも松尾さんの経済理論を高く支持していた人は少なくありません。井上智洋さんやブレディみかこさんに対しても同様です。それだけにこのキャンペーンがはじまった当初は全面的とは言わないまでも多少の期待を持っていた人が相当数いたと思われます。

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ところがこのキャンペーンもだんだんと「財政拡張・反緊縮」の声だけが高くなり、金融緩和政策推進のトーンが下がってきます。そしていよいよ薔薇マーク推薦の選挙候補者が発表されていくのですが、金融緩和政策に反対する共産党候補者や立憲民主党候補を指定し出します。これを知った経済マニアたちが「裏切られた」と気づき、キャンペーンから離反してしまうのです。

薔薇マークキャンペーンは結局のところ、共産党立憲民主党などによるあざとい集票活動に過ぎないことが露呈してしまいました。これまでの自説とは大きく矛盾する活動を行ってしまった松尾匡さんは学者としての信用が失墜したと言っていいでしょう。井上智洋さんも同様です。

残念ながら今の日本には低所得~中所得者層の人たちや病気ないしは障碍を持った人などといった社会的不遇者の意見を代弁し、彼らの福祉を向上させることを目指す政党が実質存在しません。自民党の一部や維新の会の議員が左派政党の代務しているといった状況です。

民間企業の活動を支え、日本経済全体の底上げを計りつつも、国民の厚生福利向上を目指す政党の登場が強く望まれます。

上で左派は金融政策を知ろうとしないと述べてましたが、それだけではありません。
日本においてこれまで正規雇用の拡大や賃金の上昇を阻んできた要因は企業側にとって自社の業績が不透明であるから、正規雇用を拡大しにくいという事情があります。企業や個人は目の前の状況だけを見て行動するのではありません。中期~長期の予想も考慮しつつ行動するのです。
国や日銀が金融政策を通じて、中長期に渡って雇用を維持するという責任を果たさねば、企業は正規雇用の拡大や賃金を認めることができません。左派や労働組合がいくら要求しても実現しないでしょう。

こちらでも政治等に関する記事を書いています。

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