新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

わたしたちの暮らしを大切にするための経済解説サイトを目指して開設しました。こちらは時評編で基礎知識編もあります。

不確実性を増した1990年代の日本経済

日本の貧困・格差問題についての考察ですが、まず1980年代まで続いた終身雇用制度や完全雇用状態の行き詰まりについて取り上げます。

日本経済は戦後の高度成長期から1980年代のバブル景気まで、右肩上がりの成長を続けました。この時代は職業のより好みをせず、よほどの人でない限り、就職して働こうと思えば働ける職場はちゃんと見つかるという恵まれた状況でした。完全雇用が当たり前だったのです。また会社は一度雇った社員を簡単には解雇せず、就労者は同じ会社で何十年も働き続けられたものです。就労者は同じ会社で何十年も真面目に働き続ければ、給料や役職がどんどん上がっていくことが期待できたために、持ち家やクルマを買ったり、結婚して子どもを育てていくことができました。それが中流家庭の平凡ながらも幸せな暮らしだったのです。
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ところがバブル景気が崩壊してから、これまで当たり前だった終身雇用制度や年功序列制度、企業家族制、完全雇用といった日本の雇用慣行が崩れてしまいます。

1989年に日銀総裁に就任した三重野康は「バブル退治」と称してかなり急激な金融引き締めを行いますが、これで一気に企業の投資が冷え込みます。銀行が企業に融資を渋るようになり、企業は投資ができなくなってしまったからです。雇用は企業にとって「人への投資」です。このことは当然のことながらリストラと称する会社の人員削減や新入社員の雇用縮小に直結します。

バブル崩壊まで日本の企業は厳しい解雇規制によって、業績が悪化しても簡単に長年働き続けた社員を解雇できませんでしたし、しませんでした。日本の企業経営者は「社員は自分の家族である」という考え方を持つ人が多く、比較的温情的なものです。そのために1990年代に企業が雇用縮小のために行なったのは新卒採用の縮小です。このときに就職活動期を迎えていた世代がロストジェネレーションの第一期生になります。精神科医香山リカ氏は「貧乏くじ世代」と呼んでいた記憶があります。この時期から派遣労働という非正規雇用がじわじわと拡がり出すのですが、まだ「働き方の多様化」などとおおらかなことを言っていられる余裕がまだありました。

バブル崩壊後も1997年までは名目賃金・実質賃金ともに上がっています。

ところが経済活動の低迷が長期化し、1990年代後半に入ると新卒採用の抑制だけでは持ち堪えずに、賃下げや早期退職の奨励などといった形での人員削減が行われるようになります。これまで労働組合が行う春闘で毎年毎年賃金を上昇させていくのが当たり前でしたが、そうでなくなります。
止めを刺すように橋本龍太郎内閣は1997年に消費税を税率5%に引き上げた上に、行財政改革と称して社会保障分野まで含めた歳出削減策を打ち出します。

もうひとつ1997年という年で忘れてはならないのは日経連が打ち出した「新時代の日本経営」という提言です。ここでこれまでの日本的経営を見直すべきだという話が出てきています。この時期から財界やマスコミが「もう今までの日本的経営モデルではダメだ。アメリカ型経営モデルに転換すべきだ」と言い出しはじめます。

このあたりで能力主義成果主義の導入をすべきだというエコノミストが増えてきます。雇用の流動性を高めるべきだということで派遣労働などの非正規雇用がどんどん拡がっていきます。事実上の解雇規制緩和や賃下げとなりました。

労働者を雇う企業側の立場に立っていえば、1990年代の急激な業績悪化で今までの終身雇用や年功序列制を維持できなくなったといえます。これまで安定的な経済成長が見込まれていた日本経済は1990年代で不確実性を増してきます。終身雇用で何十年も人を雇い続けるということは、その企業の業績がかなり安定的でないといけません。景気の浮き沈みの差が激しく、先行きが不透明であると企業が正規雇用で人を雇うのはかなりリスキーです。不安定な経済状況であるならば簡単に解雇できない正社員を増やしたりせずに、いつでも契約打ち切りができる派遣などの非正規雇用で人手を賄う方が安全だという動機が生じます。

しかし今まで賃上げが当然だったのに賃下げが行われたり、昇給が見込めないようになってくると、労働者の所得見通しが悪くなります。高額なローンを組んで家を買ったり、クルマを買うといったことができにくくなります。
さらには労働者が勤めている会社の業績が悪化したり不安定になってくると、自分がリストラ対象となって長年勤めてきた職を失う不安に晒されるようになります。非正規雇用者は特にいつ労働契約を打ち切られるかわからず、いつも失職の危険が付き纏います。こうなってくると多くの人々は普段の生活費を切り詰めて貯蓄という形で生活防衛をするしかありません。企業もまた万が一の業績悪化に備えて、収益から得たお金を投資にまわさずどんどん貯め込むようになってきます。こうしたことは1990年代後半に日本が流動性の罠に陥った原因であると考えられます。

 流動性の罠についての過去記事

特に3番目の記事をよく読んでいただきたいのですが、1997年からはじまった賃金下落と非正規雇用拡大の動きと共に、連続的に物価が下落していきます。収入が不安定になってこれば労働者は積極的な消費行動を手控え、安売りしないとモノが売れなくなるので物価が下がるのは当然です。これが名目金利から物価を差し引いた実質金利の高止まりとなり、名目金利をゼロ近くに下げても企業の投資が回復しないという流動性の罠につながったというのが私の仮説です。

ニュースウィークで野口旭教授が「雇用が回復しても賃金が上がらない理由  」というコラム記事を書かれていますので併せて読んでいただければと思います。下のグラフは野口先生の記事から引用させていただいたものです。
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1990年代を境におかしくなったのは経済だけではありません。国家財政(の一般会計)や社会保険財政もひどいことになっていきます。増税や歳出削減といった緊縮財政を敷いたにも関わらず、逆に財政が雪だるま式に悪化していきます。
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1990年代以降の日銀金融政策と政府の財政政策の失敗が、企業の投資萎縮や雇用の不安定化による消費の低迷を招き、さらに経済の不安定化や国家財政の悪化を招くという悪循環に陥っていったのがわかります。不確実性と不信・不安の拡大再生産を続けたのが「失われた20年」です。金融・財政政策の緊縮→企業の投資や労働者個人の消費低迷→財政悪化→緊縮財政という「共貧レジーム」が生まれました。

この共貧レジームは多くの人々に「これからどんどん日本は貧しくなっていく」「モノが売れなくなっていく」「病気で体が動かせず働けなくなったときも国は助けてくれない」といったネガティヴな暗示が刷り込まんでいきます。多くの人々が少しでもお金が入ったら遣わず貯金しないといけないという行動を強めていくことになりました。

この多くの国民や企業が長年植え付けられてきたネガティヴな暗示から解放されるには、日銀や政府が適正な金融政策や財政政策をきちんと続けるという確実性を人々に示し、信頼を取り戻すことにあります。
「きちんと投資や消費が回復するまで金融緩和政策や財政拡張政策の手を緩めない」という約束です。

その約束の重要性を説明したのが当方が書いた「インフレターゲットのほんとうの意味と目的 ~リフレはコミットメント~ 」という記事です。

2013年に日銀の黒田東彦総裁や岩田規久男副総裁らが国会で行ったコミットメントや量的・質的緩和政策の狙いは企業に対し「インフレ目標2%を達成するまで金利を引き上げるようなことはしません」「マネタリーベースをたくさん積み上げたので金利を上げたくても上げられない状態にしました」と伝えることで、安心して経営者が大型投資や雇用拡大ができるように仕向けたのです。企業の経営は時として十年単位の長期ビジョンに立って方針が定まりますので、将来の見通しがすごく重要です。正社員雇用は企業にとって人に対する何十年にも及ぶ大型投資といえます。企業が一度雇った社員を一人前になるまでしっかり育てあげるには大きなコストがかかります。

残念ながら過去20年において日本の経済政策は長期のビジョンに立って考えられてきたものだとは言い難かったです。金融政策や財政政策は散発的であり、個人や企業は将来の見通しに従って動くものだという観点が抜け落ちていました。人々の将来の予想を変えることで投資や消費行動を変えるという考え方が日本で採り入れられたのは2013年以降のアベノミクスが初です。

アベノミクスがはじまってから早いもので6年近く経っていますが、企業の投資態度は大きく転換させられたといっても、一般消費者(=労働者)の予想は未だ完全にポジティヴに転換したとは言い難いと思います。20年以上にも及ぶ不安定な雇用がもたらした傷は大きく、今の状態があと十年以上続かないとロスジェネ世代を含めた人たちまでネガティヴな暗示から解放されないでしょう。日銀や政府は今後もしっかり雇用を守るという強い意思と責任を世に示していかないと、四半世紀近くにまで及んだ長期停滞から日本は抜け出せないと思います。

こちらでも政治等に関する記事を書いています。

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